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スケッチブック 〜写真で綴るスローライフな日々2

写真を撮りながら、日々の暮らしや旅先で感じたことを書いています。
2016年からは撮った写真をイラスト化しています。

広島 原爆ドームを訪れる

2011年01月18日 | 文化/歴史/技術
1945年8月6日午前8時15分。B29爆撃機エノラ・ゲイは、広島市内の川に架かるT字型の相生橋を目標にリトル・ボーイ(原子爆弾)を投下し、今ではアトミック・ボム・ドーム(原爆ドーム)と呼ばれることになった広島市産業推奨館から東に150M、上空580M付近で炸裂、今まで誰も見たことがない激しい閃光と風速440M以上の衝撃波と3000度C以上の灼熱と何十年も人体を蝕む大量の放射能を一瞬に浴びせ、その後黒い雨まで降らして、14万人以上の一般市民の命を奪い去ることになりました。僕は太平洋戦争を実体験で知らない世代です。戦争の名残のようなものを身近に感じてこなかった環境のせいか、あまりよく分かっていません。ですが、戦争の話はたくさん見聞きしています。しかしそれは、知識だけを持っていただけなのだと知ることになりました。僕は、生まれて初めてアトミック・ボム・ドームを体験しました。平和記念公園に入り、まず「広島平和記念資料館」を参観しました。原爆投下で破壊された街の写真、焼け焦がれた遺留品の数々、戦禍に巻き込まれ命を絶たれた人の手記などを見ているうちに言葉を失いました。これは本当に起こった出来事なのか?今僕が立っているこの場所が、かつてそうだったのか?どうして原爆でなければならなかったのか?どうして広島でなければならなかったのか?などなど胸を締め付けられるような疑問が湧いてきました。8時15分で止まったまま壊れて動かない小さな腕時計は、無言ではあるけれど深い悲しみを背負ったまま、後世の人々に重く暗い事実の証人として展示されています。衝撃的でした。館内では参観する人のすすり泣く声を何度も聞きました。うつむきながら資料館を出て公園内を真っすぐ歩き、奇跡的に残骸として残ったアトミック・ボム・ドームの所へ行きました。この建物だけが当時のままです。歩いて周囲から眺めてみました。寒空ですが青く澄んでいます。8月6日は暑かったでしょう。(この空の上でピカドンは起きたのだ。)ハイポセンター(爆心地)にも行きました。今は病院が建っています。この真上なのかと思うと、また悲惨な状況が甦ってきます。核保有国の国家元首は全員、一度はここに立ってもらいたいですね。核兵器がいかなるものか体感して欲しいです。僕は戦争が大嫌いなので絶対反対です。



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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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街は復興 (猫ママ)
2011-01-19 21:53:20
私も二度訪れています。一度目は中学の修学旅行。あまりの悲惨な資料に、気持ちは重くなりました。
二度目は社会人になってから。
これが、現実のものかと真正面から向き合いました。

公園内の鳩の数が、とても印象的です。平和のシンボル鳩がこの地を忘れるなよと言っているようで、背筋がぞくぞくしました。

街は奇跡的に今も動いています。
戦争、なぜしなければならないのかな?人間の愚かな習性は、終わることがないのかな?
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信じられにですね (signofthetimes)
2011-01-23 18:32:29
知っていることと、その場に立って感じるとは大きな違いがあります。体験した人はもっと違うでしょう。日本人なら一度訪れて欲しいとも思いました。
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