東海北陸自動車道が岐阜県側と富山県側を結び開通するには少し時間がかかりました。白川郷を中心とする合掌造りの集落へはたとえ文明の利器を使っても辿り着くには労を要したからです。自動車道が完成する前に一度白川郷に行ったことがありますけど、あの頃は狭い山道の上に舗装も悪かった時でしたから、随分山奥に来たなあと強く思いました。氷見の帰り道、合掌造りの集落も見物したくなり、富山県側の五箇山「相倉合掌造りの集落」へ国道を伝って向かいました。山間を抜けて行く方がいいかなと思って。途中、土砂崩れで道路が片側通行しかできないところが何カ所かあって、道中に怖い思いもしながら進みました。やはり富山側からも奥深い場所でした。その昔は加賀藩が辺境の地の利を使い、流刑地でもあり、火薬の材料を生産させていたために軍事機密を持つことになり、住人でさえも不出の集落だったのです。ですから長らく昔のままの生活様式が残る珍しい集落になったのだそうです。駐車場に車を停めて村の入り口に立つだけで、異次元の空気を感じました。お伽話とかタイムスリップという言葉で言い表されることが多い合掌造りの印象ですけど、僕はちょっと違う匂いを嗅いだようです。確かに郷愁と呼ぶに相応しい面影がたっぷり残っているのは事実ですが、ここは今も現存する村落なんだということも同時に感じることができます。20棟ほどの合掌造りの家々は人の営みが続いているのです。観光地ではない場所を観光地にしているところが妙な雰囲気を作っています。集落の中に通る道は生活道路であり、駐車場には自家用車が置いてあり、田畑は食べるために耕され、郵便ポストが立っていて、明日の衆議院選挙の告知ポスターもちゃんとあるのです。何もしなければ合掌造りの家をあきらめることになり、観光地として存続を選ぶなら、あえて見せ物になることも容認しなければならない葛藤があったのではないかと想像します。だって自分が住んでいる家を見るために観光客が毎日やって来る生活を想像できますか?僕だったらお断りしたいところです。一軒の家では喪服を着た人達が慌ただしく出入りしていましたが、おそらく法要かなにかでしょう。見物客がうろつく中で親戚等が集まって法要も何もと思ってしまいます。この集落はしんと静かな里です。この静かさを大事にしたいと思いました。






