Sightsong

自縄自縛日記

『小川プロダクション『三里塚の夏』を観る』

2012-05-28 22:02:28 | 関東

小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)のDVDが、関係者による映像を観ながらの詳細な対談、シナリオ、小論を収めた本とともに、DVDブック『小川プロダクション『三里塚の夏』を観る』(太田出版、2012年)として出ている。これが小川作品はじめてのDVD化である。早速、解説を参照しながら、じっくりと観た。

三里塚は明治以降の開拓の地であり、戦後は引き揚げてきた満洲開拓民や土地を奪われた沖縄人たちも開拓に加わった。明治天皇の御料牧場もあったことは偶然ではなく、牧畜はできても農地には適さない場所であった。それを開拓者たちは10年以上かけて開墾し、土を育ててきた。そして1963年には、政府により、養蚕を推進するシルクコンビナート構想が開始される(映画にも、桑畑が映しだされる)。ところが、1966年、政府により突如として新空港用地として指定される。さまざまな利権の他、オカネで立ち退かせやすい貧しい農民だとする思惑もあった。これが、三里塚闘争のはじまりである。かけがえのないものとして育ててきた農地と人生を、ひとつの命令で簡単に左右しようとするオカミへの激しい怒りであった。

のちに三里塚闘争は分裂し、複雑化を辿ることになるのだが、小川プロの三里塚シリーズ第一作『三里塚の夏』が撮られた1968年は、「三里塚芝山連合空港反対同盟」、全学連などの学生、そして主役たる農民たちが協力し、闘争を激化させていった時期にあたるようだ。ここには、彼らが模索し、話しあい、真摯に理不尽な権力行使に向かいあう姿がある。

測量に来る「新東京国際空港公団」とそれを装った私服警官、機動隊の判断停止による暴力は凄まじい。それは昔も今もそうかもしれない。しかし、下校してきた子どもたちを通すため、機動隊が左右に道を開ける場面を視ると、そうでもない、非人間性はさらに進んでいるような気がしてくる。沖縄県高江でヘリパッド建設に反対し座り込む人びとに対し、国は通行妨害禁止仮処分の申し立てをしたが、その中には当時8歳の子どもも含まれていたという悲しい事実を思い出してのことだ。もはや、権力行使は個々の相手が視えない形でなされている。

それはともかく、剥き出しの暴力や、闘う者たちの顔を撮る大津幸四郎のカメラは怖ろしいほどの緊張感を今に伝える。至近距離での撮影の挙句、狙われて逮捕されてしまうのだが、そのあとを受け継いだ田村正毅が機動隊員たちの顔をアップで撮る迫力もすさまじい。

カメラのことが色々と書かれている。ボレックスでは連続撮影に難点があり、基本的にはアリフレックスSTを使っている。但し、放水車からの水を浴びながら撮る場面では水に強いスクーピック、最後の三里塚空撮は16mmではなく35mmのアリフレックス。この作品は、モノクロ撮影と非シンクロ撮影の掉尾を飾った作品だといい、このことが、ドキュメンタリーとしての特性に影響している。このあと、小川紳介はシンクロ撮影により1ロール1カットの実験に入っていくのだという(その過程で、ボリュー200を使うも、シンクロが厳密ではなくてうまくいかなかったらしい)。

映画としての完成度はもとより、カメラの技術も、状況と密着した緊迫感も素晴らしい。そして、対談を読みながら観るとさまざまな発見がある。大推薦である。

●参照
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(萩原氏も映画に登場する)
鎌田慧『抵抗する自由』
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
前田俊彦『ええじゃないかドブロク(鎌田慧『非国民!?』)
大津幸四郎『大野一雄 ひとりごとのように』


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