杭州への飛行機で、ジョン・ウー『レッドクリフ Part II』(『赤壁(下)』)を観ることができた。そのつもりで、直前にテレビ放送された前編を観ていたので、準備万端である。最近の中国映画の大作といえばワイヤーワークやCGのアクション満載のスペクタクルばかりで、<映画的>なものが希薄だとケチをつけたくもなるが、面白いものは面白い。
上海の書店に入ったら、DVDが15元(200円くらい)で売っていたので入手した(ただし日本と異なるPALフォーマット)。あとで仕事のついでに、DVDが安いねという話題をすると、海賊版なら3元だと言っていた。なお、空港では50元以上で売られている。以前はそれを見て、ああ安いんだなと感じていたのだったが。
『三国志』のひとつの目玉、「赤壁の戦い」を描いた連作である。曹操、劉備、孫権、孔明、周瑜をはじめ多くの人物それぞれの個性を際立たせた群像劇であり、戦いの終結までを飽きさせずに展開するのはジョン・ウーの手腕か。少なくともアクションにおいては、『男たちの挽歌』や『フェイス/オフ』でみせたのと同様に子どもの命を大事にするシーンがあったりとひたすら多彩。
ところで、伴野朗『中国歴史散歩』(集英社、1994年)では、『中華医学雑誌』に掲載された、李友松という医者による説を紹介している。それは、
「曹操軍の赤壁での敗北は、兵士たちが長江流域に蔓延する風土病にかかっていたためであり、あまりに死者が多いので曹操は自ら船団を焼き、撤退したというのが真相である。」
というものだ。この風土病は「山風蠱(さんふうこ)」という長江流域にある急性吸血虫病であった。孫権・劉備軍は地元であるから比較的免疫があった、ということだ。
実際、本作でも曹操(ところで英語字幕では「Cao Cao」とされている)の軍に百人以上の伝染病による死者が出て、相手方にも感染させるべく死体を筏で届ける、という場面がある。もっとも寄生虫病と伝染病とでは異なるわけだが、『三国志演義』や吉川版ではどのように語られているのだろう。(私は三国志トーシロである。)
曹操については、周瑜の妻を幼少時から想い続けていたり、故郷に残してきた病弱の息子を思い出したりと、人間味のある悪役としての描写が印象的である。また、兵士たちに、勝ったら故郷の家族たちが払う税金を3年間免除してやろうと約束する。
これは蠣波護『中国(上)』(朝日新聞社、1992年)の受け売りだが、このような税に関する政策は曹操政権のあみだしたもので、あとに続く諸王朝に継承されている。
「屯田には軍屯と民屯とがあり、軍屯はすでに前漢時代から長城付近に大軍を駐屯させる際などに行われていたが、曹操は軍屯だけでなく内地での民屯をも奨励した。戦乱で荒廃して主がいなくなった田地を政府の管理に移し、そこに流民や貧民を招いて耕作させ、収穫の5割ないし6割もの高い地代を徴収した。」
「『三国志演義』では、劉備と諸葛孔明が善玉、曹操が悪玉として叙述されている。しかし、現実の曹操は、よく部下を心服させ、時勢の行方を洞察した指導者であった。」