Sightsong

自縄自縛日記

『アース』と『ホワイト・プラネット』

2008-01-20 23:55:37 | アート・映画

『アース』(アラステア・フォザーギル、マーク・リンフィールド、2007年)の鑑賞券がエコバッグ付きで当ったので、家族そろって観てきた。

話は北極での冬眠明けのホッキョクグマ親子からはじまり、ツンドラ、熱帯林、砂漠などを経て南極に到達し、最後にまた北極でホッキョクグマの行く末を眺めて終わる。評判通り映像がもの凄く、空撮(シネフレックス・ヘリジンバルという制御装置付きの新型カメラを使用)、海中撮影、赤外線撮影、長期の定点観測などやりたい放題である。かけたオカネは桁外れだろうと思うが、ひとつひとつの映像が記録として素晴らしいので批判する気にはならない。

カラハリ砂漠のアフリカ象は、飲み水なしでやせ衰えながら延々と歩き続ける。昼はライオンも手を出せないが、暗くなってから眼が見えるライオンに襲われる様子は、真っ暗な中で赤外線カメラで撮ったものだ(ライオンと1人のカメラマン以外にとっては真っ暗で何が起きているのかわからない)。歌う鯨として知られるザトウクジラの泳ぐ様子にも眼を奪われる。ゴクラクチョウが雌の気を引こうとして奇抜なダンスを踊るシーンなどは笑いが起きていた。ツルがヒマラヤ山脈を超える空撮シーンも凄い。

帰宅してから、録画しておいた『ホワイト・プラネット』(ティエリー・ラコベール他、2006年)を観た。地域も対象もてんこ盛りな『アース』と比べて、こちらは地域を北極周辺に絞っている。わりに同じものを撮っているのだが、映画としての性格は随分違う。『ホワイト・プラネット』では、その世界と生物たちに感情移入しようと試みていて、典型的なモンタージュ手法が使われている。当然、詩的にもなっている。

たとえばオーロラについては、『アース』が、冬の寒さを暖めるものではないと簡単に触れているのに対し、『ホワイト・プラネット』では、イヌイットの伝説を引用している。狐は闇を好み、烏は光を夢見た。それで、精霊が昼と夜を交互に訪れるようにして、「ホワイト・プラネット」ができた、というわけだ。

『アース』では、衰えたホッキョクグマは最後にセイウチを襲うという賭けに出て失敗し、死を待つのみとなる。『ホワイト・プラネット』では、はなから闘いを回避し、セイウチの様子も温かく観察している。ここでは、観察とドラマ化の対象を手広くしないことが奏功している。

さらに、ホッキョクグマの冬眠は、『アース』では、穴から出てくるところから捉えているが、『ホワイト・プラネット』では、穴にもぐり、穴のなかで子どもたちと眠りについているシーンもあり、楽しい。

ひとつ気になることは、『アース』が、動物たちの食物連鎖を示しつつも、最後に口を血だらけにして食べるところまでは見せないことだ。これをもって、ショッキングでないから子どもと観ても大丈夫、というわけではないだろう。また、それぞれの映像が撮られた地域がはっきりと示されないことも引っかかる点だ。科学番組のように驚異的な映像を見せながら、「どこか別の世界で起きていること」のようになっている気がする。

それでも、身銭を切って家族連れで観に行く価値はある。いつかまた観たい。

『アース』のサイト(映像が沢山あって楽しめる)