Sightsong

自縄自縛日記

沖縄「集団自決」問題(8) 鎌田慧のレポート、『世界』、東京での大会

2007-10-13 23:10:55 | 沖縄
来年からの高校教科書に対し、沖縄戦で日本軍が住民の「集団自決」をもたらしたことを意図的に消そうとする「検定」については、先日(2007年9月29日)、その撤回を求めて沖縄県で県民大会が開かれるなど、反対の動きが着実に強くなってきている。ようやく全国紙でもとりあげられているようだが、一部の新聞ではネガティブキャンペーンを展開しており喧しい。

最近の『週刊金曜日』、それから岩波の『世界』でも、注目すべき記事がある。

●『「集団強制死」歪曲に世代超え11万人が結集』(鎌田慧、『週刊金曜日』2007/10/12)

『東京新聞』の鎌田氏のコラムに予告があったので、この金曜日に福岡で買おうと思ったら、福岡での発売日は土曜日とのことだった。(沖縄では翌週火曜日。)

鎌田氏は自ら県民大会に参加し、その盛り上がりを実感として書いている。これを読むと、主催者発表の「11万人」が実際より多いだの何だのという指摘がいかにつまらないものかと思える。鎌田氏にとっては、「ひとつの会場で、これほど詰め込んだ集会は、多分、はじめて」であり、また、鎌田氏の訪沖の飛行機でも、偶然、両隣の乗客が大会への参加者だったということだ。また、新崎盛暉氏は、1995年の米兵による小学生暴行事件に対する抗議集会(8万5千人参加)よりも人が詰まっていたと鎌田氏に言ったそうだ。

鎌田氏の文章は、さすがというべきか、情緒的でありながら本質を衝くものだ。

62年前と同じように、米軍の攻撃機が飛ぶ下で、ほかならぬ友軍のはずの日本軍が、沖縄の人たちを追い立てた集団死の事実を認めよ、という集会を開かなければならない。そのときとおなじように、卑劣で無責任な仕打ちが続いている。

それはお前の思い過ごしだ、だれも命令などしていない。そう言い張るのなら証拠を出してみろ、と政府がいうのは、人間の存在の根幹に関わる問題である。自己に都合の悪い歴史を書き直すのは、保身の一種のようだが、それは相手の体験の否定である。体験は個人にとってのアイデンティティであるから、その体験の否定は、存在の否定でもある。嘘つき奴!記憶の否定は、心の奥に手を突っ込んで、裏返しにしようとする暴力でもある。

この続編は同誌10/26号に掲載される。



●「教科書検定”修正”という虚構」(藤吉孝二、『週刊金曜日』2007/10/12)

「検定」への政治介入の背景について整理している。言うまでもなく、現在政府が「検定を撤回するのは政治介入であり望ましくない」と答弁していることではなく、そもそも「検定」が政治介入であったことを指している。

高嶋伸欣氏(琉球大学教授)は、今回、教科書会社からの「訂正申請」(本来は凡ミスや誤字脱字などの訂正に使う)を受けて修正する方向であることを、「検定」の「撤回」ではないから、本質的ではないと見ているようだ。確かに、落とし処として、その「訂正申請」が固まりつつあるように見えるが、「検定」そのものの恣意性が誤っていたとの結論を出さなければ不十分だということだろうか。

この記事は、前首相が主導して「教育改悪」を行い、その一環として教科書についても改悪する流れが出来上がっていたことを改めて指摘している。勢いがあったころの―――といってもたかだか1年間程度での変化だが―――「日本のネオコン」による政治介入を、再度政治介入によって元に戻さなければ、また私たちが忘れた頃に問題が発生するのではないか。少なくとも、「検定」撤回だけを「政治介入」だと表現するのは、しらばっくれすぎだ。

●「誰が教科書記述を修正させたか」(安田浩一、『世界』2007/11)

上記事よりさらに具体的に、「検定」時の恣意性を検証している。これまでの説明=文科省は「検定調査審議会」に口出しできない、が事実に反していたこと、である。

記事では、文科省が審議会に提出した「調査意見書」と、審議会の答申を基にした「検定意見書」は全く同じだったことを明らかにしている。すでに、審議会には沖縄戦の専門家がひとりもおらず、議論されなかったことが『沖縄タイムス』により報道されている。つまり、文科省→(意見)→審議会→(そのまま検定意見)→(議論せずスルー)→検定、という流れが明確になっている。もちろん、源流は前政権の意向にあった。



●沖縄戦教科書検定意見の撤回を求める総決起集会

2007/10/15(月)18:30-20:30、星陵会館で行われる。いかに「県民感情に配慮」という、本質とは対極にある考え方を退けていくのか、また、撤回をどのように強く求めていくのか、私も見ておきたいと考えている。



★★★ 高江のヘリパッド建設に反対の声を集めよう ★★★

2007-10-12 23:59:59 | 沖縄
沖縄県北部のやんばるにある高江では、米軍のヘリパッドが増設されそうになっている。これが貴重な自然生態系の破壊、住民の安全と住環境の破壊、そして戦争への加担につながることは明らかだ。

いま、高江では、国会請願のための署名を集めている。1名でも署名を出すことが、良心ある私たちのできることだと思う。当面は年末が目途だということだ。

●署名用紙 → リンク
●いま高江で毎日起こっていること → ブログ「やんばる東村 高江の現状
●高江の訪問記 → このブログ

一坪反戦通信、ビリー・ハーパーの映像

2007-10-10 23:59:46 | アヴァンギャルド・ジャズ
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックが発行している『一坪反戦通信』(2007/9/28)に、会主催による新崎盛暉氏の勉強会(→過去の記事)に関する報告を掲載していただいた。この号には、先日の教科書検定意見撤回を求める沖縄県民大会のことや、辺野古のことなども報告されている。何部かあるので、ご興味のある方には差し上げます。

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大好きなサックス奏者のひとり、ビリー・ハーパーのDVD『Billy Harper in Concert: Live From Poland』が出ていた。しばらく新譜もなかったので気がつかず、慌ててamazon.comで購入した。送料を除いて18ドル弱だった。

ポーランドのコーラス隊数十人をバックに、いつものハーパーの編成(トランペット、ピアノ、ベース、ドラムス)、プラス管楽器数人、という布陣。独特の粘りつくような長いブロウが、ポーランドの教会に響いている。曲は、『ソマリア』(1994年、オーマガトキ)で演奏された曲や、名曲「飢えの叫び」など。

実は「動くハーパー」を観るのは、『ソマリア』が発表された1994年以来なので嬉しい。そのとき、たまたま、確かテレビ東京の「エバーグリーン」とかいう番組でハーパーが長々とサックスを吹くのを観て、ハーパーを知らなかった私はすっかり魅了されてしまった。それで、ブラックセイントやソウルノート、デンオンなどの過去のレコードを揃えていった。来日することを切望する音楽家のひとりだ。もし来たら新宿ピットインは超満員になると思うんだけど。


『Billy Harper in Concert: Live From Poland』


『SOMALIA』

チェ・ゲバラの命日

2007-10-09 23:49:47 | 中南米

40年前のきょう、ボリビア政府軍によってチェ・ゲバラが射殺された。フィデル・カストロらとともにキューバ革命を成功させ、コンゴでの失敗を経て、ボリビアでも結局は革命を成功させることができなかった。しかし、キューバはもとより、ベネズエラのチャベス政権、ボリビアのモラレス政権を筆頭に、アルゼンチンのキルチネル政権、ブラジルのルーラ政権、チリのバチェレ政権など、ラテンアメリカの独自性追及に際しての存在感はますます増しているように見える。ゲバラの敵は、旧政権だけではなく、ユナイテッド・フルーツ社などの大資本やCIAを通じた米国政府だった―――これは、もちろん、ネオリベラリズムを通じた米国との対決という構図につながっている。

ゲバラはアジアやラテンアメリカで絶大な人気を誇る(日本でも、ほとんどTシャツの柄と考えられているのではないか)から、自己の日記を含め、評伝の類が多く出版されている。いま私の手元にあるのは、戸井十月『チェ・ゲバラの遥かな旅』(2004年、集英社文庫)、三好徹『チェ・ゲバラ伝』(1998年、原書房)だ。どちらも、10年前のボリビアにおけるゲバラの遺骨発見までをフォローしており、ロマンティストの姿をリアリスティックに描くという点で良い本だと思う。どちらかと言えば、戸井本のほうはゲバラ青年期の放浪に多くのページを割いており、そのためかロマンチックに傾いている。三好本のほうは、ゲバラという稀代の人物がいたことを歴史のなかに位置づけようとしており、好感が持てた。

チェがいかに自分の欲望を殺すタイプの人間であったか(略)でなければ、のちにキューバ工業相の地位を弊履のごとくすてて、困難なゲリラ戦士の隊列に戻るような道は、選べなかったであろう。これがかれの、すぐれた性格であり、エルネスト・チェ・ゲバラをラテン・アメリカの他の革命家と根本的に分つ特異さなのである。
(来日したゲバラに輸出入のバランスばかり求めたエコノミック・アニマルぶりを示した池田通産相(当時)について) 

他の国の、ナセル、ネルー、スカルノ、チトーといった指導者たちの態度と比べてみても、チェに対する認識不足がはっきりとうかがわれる。 しかし、歴史は厳正な審判者である。いまかれらは共に鬼籍にあるが、その世界史における評価には、はるかなへだたりが生じてしまった。」 「独りチェのみが、すべてを投げうって、一介の兵士に戻り、新たな戦いに身を投じた。この稀有の生き方をみるだけで、多くの言葉は不要であるだろう。」 「あるラテン・アメリカの知識人が、ある日チェにたずねた。 「わたしの国の革命のために、どうしたら貢献できるでしょうか」 チェは問い返した。 「失礼ですが、あなたはどんなお仕事をなさっていますか」 「わたしは著述家です」 「ああ!わたしは医者でした」 とだけ、チェはいった。 行動することによって思想をのべるというかれの生き方は、この話からもうかがえる
(以上、三好本より)

ゲバラはむろん、武装革命によって理想的な社会を実現しようとした。若いころ、ラテンアメリカを一緒に旅した友人がシモン・ボリーバル(ベネズエラ人。19世紀にスペインからの独立開放を指導)の著作に影響されて「先住民による非武装革命」の希望を語ると、それを全面的に否定する。

「非武装革命だって?君は、銃で闘うことなしに革命が起こせると、本気でそう思っているのか?」 (略) その時初めて、アルベルトは、ゲバラが自分とは違う未来を見ようとしていることに気がついた。その目があまりに真剣なので、アルベルトは少し怖くなった。」(戸井本より)

このあたり、かつての連合赤軍や、ボリーバルの精神をことあるごとに引用している(国名にまで使っている)ベネズエラのチャベス大統領の方法論との違いが興味深い。チャベスは軍隊出身であり、選挙によって権力を固め、軍が民生協力や公共事業を行う軍民協力を推進するというあり方も、ゲバラとももちろん私たちの社会ともまったく異なっている。

チェ・ゲバラの娘であるアレイダ・ゲバラが、チャベス大統領にインタビューを行った記録がある(ウーゴ・チャベス&アレイダ・ゲバラ『チャベス ラテンアメリカは世界を変える!』、2006年、作品社)。ここでは、当然チェ・ゲバラのことを時折織り込みつつ、多彩な発言をしている(もっとも、米国の悪口を放ついつものニュースも多彩だが)。

私は、ベネズエラの寡頭勢力と反革命勢力に対し、平和革命を非武装革命と混同しないよう警告したことがある。私たちは平和革命を遂行しているが、武装しているのだ。武器は山岳地帯に置いてあるのではなく、兵営にある。軍の武器で武装しているわけだが、他にも、イデオロギー、憲法、知識などの武器がある。私たちは非武装ではない。この点を見誤っては困る。」(アレイダのインタビューに対する答え)

アレイダ、ここにいらっしゃい。あなたのお父さんは、「戦いは今日、明日は私たちのもの」と言った。明日はあなた方全員のものだ。」(アレイダとの対談)

チャベスの革命が、エネルギーの国有化と自国への利益誘導、土地改革、軍民一体化(私たちのそれではなく)、米国に対峙してのラテンアメリカの連帯、などを目指すものとして、どうしても脆弱さがついてまわる。特にエネルギー政策がそうだ。 しかし、片や対米追従を是とするこの国にあって、ベネズエラも、他のラテンアメリカ諸国の地殻変動も、注目し続けなければならない側面がとても多いと思う。私たち自身への警告にもなりうるものだ。そのための情報や報道のあり方が不十分なのも事実である。

余談ながら、チャベス大統領が引用した、ベネズエラの詩人アンドゥレスエロイ・ブランコの詩、「一人の子供を持つ者は、世界中の全ての子供を持つ」はとても心に残った。


戸井十月『チェ・ゲバラの遥かな旅』(2004年、集英社文庫)


三好徹『チェ・ゲバラ伝』(1998年、原書房)


ウーゴ・チャベス&アレイダ・ゲバラ『チャベス ラテンアメリカは世界を変える!』(2006年、作品社)


ジョセフ・ジャーマン

2007-10-08 19:01:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

これもネガを見つけてプリントした。

2000年、渋谷のメアリジェーンでソロライブを演ったときのジョセフ・ジャーマンだ。ジャーマンといえば、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの主メンバーだが、ロスコー・ミッチェルという先鋭的なテクニシャンの前で印象が強くない気がする。それも悪くはないのだが、思索的で素朴な感じさえもするサックスの音色は、他の管が入らない小編成のほうがきわだつと思っている。


ジョセフ・ジャーマンのサックス Pentax MZ-3、FA50mmF1.4、イルフォードデルタ3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


ジョセフ・ジャーマン Pentax MZ-3、FA50mmF1.4、イルフォードデルタ3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


ジョセフ・ジャーマン Pentax MZ-3、FA50mmF1.4、イルフォードデルタ3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


『インヘリタンス』 ジェリ・アレン、フレッド・ホプキンス、ドン・モイエとの良いカルテット。ベシェの「小さな花」が可憐


『ポエム・ソング』 吉野弘志、斎藤徹、沢井一恵、栗林秀明、板谷博とのセッション。ソロの「ジンボ」でのフルートが良い


アート・アンサンブル・オブ・シカゴの作品は多いが、『オルタナティブ・エキスプレス』も好きな作品。レスター・ボウイもマラカイ・フェイヴァースも既に鬼籍に入った


最近(2000年)の『ライフ・タイム・ヴィジョンズ』。マイラ・メルフォードとの「ジンボ」が聴ける


高木元輝の最後の歌

2007-10-08 08:07:34 | アヴァンギャルド・ジャズ
故・高木元輝氏を撮った昔のネガを見つけたので、ついでにプリントした。

2000年4月21日、渋谷のライブハウス(名前を忘れたが、ON AIR 何とかのビルの上にあった)で観た。高木元輝という名前は私にはレコードとCDに刻まれたもので、もう東京では10年くらい演奏していなかった。その高木元輝が、フェダインや渋さ知らズで活躍していた不破大輔(ベース)、大沼志朗(ドラムス)とのトリオで、関東では久しぶりに演奏するということは、私にとっては大事件だった。

好きな録音には、高柳昌行との『Call in question』、富樫雅彦との『We now create』『略称・連続射殺魔』、吉沢元治との『深海』、豊住芳三郎との『藻』、自己のグループでの『モスラ・フライト』(これは死後の再発CDで聴いた)なんかがある。

ライブハウスはせまいところで、観客は10人か20人くらいだったと思う。「サックスを始めたが、お金がない。チャーリー・パーカーのモザイクのボックス・セットを取り置きしてもらっているが払えない。」という観客のひとりが、演奏者に許可を得て録音していたので後で聴かせてくれるよう約束したがそのままだ(笑)。

高木元輝のサックスは、過去の録音で感じた以上に、繊細で剛い音を放っていた。轟音のなかで演奏した、オーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」は素晴らしかった。演奏後、サインをもらいに挨拶すると、「サインなんて照れちゃうな!」とはにかむ様な笑顔を見せたことが印象的だった。「また聴きに来て」ではなく、「また逢いましょう」と言って握手をしてくれたあと、2年もしない2002年末に、高木元輝は亡くなった。

このライブの1年後に録音された『2001.07.06』が、メンバーが不破大輔(ベース)、小山彰太(ドラムス)とほぼ共通していて、雰囲気も近い。発売時には、これで本格的に復帰して、CDも出すようになったのだと思っていたのだが。

ドラマー・のなか悟空による思い出話が面白くて悲しい(→リンク)。


高木元輝 Pentax MZ-3、FA50mmF1.4、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


不破大輔 Pentax MZ-3、FA50mmF1.4、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


高木元輝 Pentax MZ-3、FA50mmF1.4、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


高木元輝と大沼志朗 Pentax MZ-3、FA50mmF1.4、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用



「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る

2007-10-07 17:40:40 | アヴァンギャルド・ジャズ
2007年10月1日、「KAIBUTSU LIVEs!」と銘打たれたコンサートを観に行った。会場の杉並公会堂は予約客でかなり埋まっていたが、当日券の私も早めに行ったので最前列にもぐりこむことができた。客席には、井野信義、古澤良治郎、望月英明などジャズ・ミュージシャンの姿もあった。



荻窪くんだりでここまで盛り上がっている理由は、メンバーが目をひん剥くくらい凄いことによる。ヘンリー・グライムス(ベース、ヴァイオリン)、トリスタン・ホンジンガー(チェロ)、ルイス・モホロ(ドラムス)、原田依幸(ピアノ)、トビアス・ディーリアス(サックス)

特にヘンリー・グライムスはセシル・テイラー、ロイ・ヘインズ、ローランド・カーク、アーチー・シェップなどと活動し、またアヴァンギャルド・ジャズの記録を多く収めたESPディスクからもリーダー作『The Call』を出した伝説的なミュージシャンだ。しばらくファンの間では消息不明だったが、2000年ころに復帰して話題になった。私もミラノで2003年にライブを観るチャンスがあったが今ひとつ予定が合わず悔しい思いをしたことがある(余談ながら、ミラノではもう未来派の絵画を常設展示しているところがない)。

ホンジンガー、ディーリアスは、昨年(2006年)、ICPオーケストラのメンバーとして来日して以来だ。モホロはいつ以来の来日なのだろう。だいぶ前に見逃した記憶だけはある。

本番は1時間弱のフリー・インプロヴィゼーションを2セット。最初はグライムスのベースが音塊に隠れて出てこない感があったが、たまにインターバルを置いて再び入ってくると低音が脳髄を震撼するのだった。ホンジンガーの躁的なチェロの流れもとてもよかった。原田依幸のピアノとモホロのドラムスあわせて打楽器2人は、徹頭徹尾、音楽全体をひっ叩いて駆動する力があった。やはりこのような集団即興は大好きなので、終わると脳内が泡立ち活性化するような気がした。

ホンジンガーは10月13日(土)には大久保イシモリホールで、10月16日(火)には池袋バレルハウスで演奏するようだ。できれば後者の方に行きたいが、可能かどうかわからない。

写真はエルマリート90mm(Mマウントの初代のタイプ)をライカM3に付けて使った。全部F2.8開放で30分の1秒だが、有効基線長が長いM3でショックも少ないので手ぶれは平気だった(相手が動くコマは多かったが)。このレンズ、最初リバーサルで使ったときはピントが甘いのかと思ったが、ルーペで見るとシャープでマイルド、割に感動したことを覚えている。

印画紙は普段はキャビネ判か大キャビネ判を使っているが、今回手持ちのGEKKOがなくなったのでハンガリーのフォルテの多階調RCペーパーを使った。温かい黒がいい感じ―――しかし、これもハンガリーの工場閉鎖によりもう市場から姿を消す運命にある。さてどうするか、というところだ。


原田依幸 Leica M3、Elmarit 90mm(初代Mマウント)、TMAX400(+2)、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


トリスタン・ホンジンガー Leica M3、Elmarit 90mm(初代Mマウント)、TMAX400(+2)、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


ヘンリー・グライムス Leica M3、Elmarit 90mm(初代Mマウント)、TMAX400(+2)、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


ルイス・モホロとトビアス・ディーリアス Leica M3、Elmarit 90mm(初代Mマウント)、TMAX400(+2)、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


ヘンリー・グライムス Leica M3、Elmarit 90mm(初代Mマウント)、TMAX400(+2)、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用


ヘンリー・グライムス『The Call』(ESP) クラとベースとドラムスのトリオで格好良い


印画紙をGEKKOからフォルテの多階調に変えた 100枚だとすぐなくなるが・・・

北京の散歩

2007-10-03 21:21:49 | 中国・台湾

北京で撮ったモノクロ写真をプリントした。これで、いつも使っていた三菱製紙の印画紙・GEKKOの手持ちがなくなった(既に販売終了している)。つぎはフォルテのRCペーパーを使うつもりだ。


朝の太極拳 Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


店先 Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


居眠り Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


動物愛護おじさん Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


清掃 Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


屋根 Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


中国将棋 Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


中国将棋 Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


子どもも中国将棋 Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


胡同の横丁 Pentax K2DMD、M28mmF2.0、TMAX400、GEKKOの2号


城間ヨシさん、インターリュード、栄町市場

2007-10-02 22:40:57 | 沖縄
那覇となると、つい、大人しく寝ないでふらふらと散歩に行ってしまうのだ(といいつつ、目的地は決まっている)。

いーやーぐゎー」は、以前「まるみかなー」という国際通り沿いにあった店。小浜司さんが店長をやっていて、いまは少しはずれにある。訪れたら、沖縄最高齢の演歌歌手、城間ヨシさんがおられた。来年1月15日に米寿を迎えられるそうで、その場で盛り上がり、その日に「いーやーぐゎー」でライブをやろうということになったが、本当だろうか。

CDを聴かせていただいたが、ご本人の雰囲気も含め、とても格好いい。私は演歌はもともと好きでないのだが、とてもいいと思い、CDを買いたいと申し出たが本気に受け取ってもらえなかった。酔いもあって、大変失礼なことに、ナプキンにサインをいただいた。永久保存版だ。

辺野古から戻った日にも行ってアバサー汁をご馳走になったが、その日も南沙織やら何やら聴かされて、両日ともに何故か沖縄民謡を聴けなかった。何のお店だろう(笑)。


城間ヨシさん Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号



次に、大好きな与世山澄子さんが経営されている「インターリュード」に行った。金曜の夜なのでライブを聴くことができたが、最初のステージが終わったときにはもう12時をまわっていて、翌朝の高江行きが早いのでそこで失礼した。

与世山さんはマル・ウォルドロンとの共演で有名だ。お店にも、マルの字で「友達」と書いたサインが飾られている。私はいちどだけ、1995年に新宿ピットインでマルのソロピアノを聴いた。オウムが新宿上空からサリンを撒くのではないかという風評が流れたその日だった。与世山さんのことは、当時知らなかった。


与世山澄子さん Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


こっちは私の宝物。マル・ウォルドロンにサインを貰った『レフト・アローン』

与世山さんはこの11月にも東京でライブを行うそうだ。11月6日(火)が青山の「ボディ・アンド・ソウル」、11月7日(水)が代官山の「晴れたら空に豆まいて」、11月8日(木)が千葉の木更津のどこか(お店の名前を思い出せないとのこと)、という予定だ。木更津は帰るのがつらいので、初日か2日目に足を運びたいと思う。

帰京する日の午前中には、那覇の栄町市場を散歩した。生活と溶け合った昔からの風情と、新しいお店や活動とが混ざり合って、とても楽しい。カウンターで旨いコーヒーを飲める「potohoto」や、雑貨店とアジア料理とを兼ねた「さわでぃー」なんていう良い感じのお店を見つけた。

市場のあちこちでは野菜を売りがてら、もやしのひげ取りをしている。毎回見かける方からゴーヤーを買って、ついでに写真を撮らせていただいた。ゴーヤーは帰宅後チャンプルーになった。


「potohoto」の水出しアイスコーヒーとパン Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


「potohoto」の目印はよくみると手作りだった Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


「さわでぃー」で食べた「ポロ」(ウイグル自治区のジューシー) Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


もやしのひげを取る女性 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


もやしのひげを取る女性 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


看板 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号

午後から、ちょうどラジオの公開生放送をやっていた。盛和子さんという歌手が喋り、歌った。ゲストには、歌手の仲本勝子さんが来ていた。市場の方のコメントやクイズなんかもあって楽しかったが、つい居すぎて、飛行機に乗り遅れそうになった。しかし、まだ「生活の柄」や「栄町ボトルネック」には突入できていない。いつかの機会を虎視眈々と狙うのだった。


コメント Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


コメント Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


コメント Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


盛和子さんの歌 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


仲本勝子さんの歌 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


見物 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、Gekkoの2号


どこにまわっても楽しい Pentax LX、24mm★F2.0、Provia 400X、DP

高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘

2007-10-01 23:52:20 | 沖縄
9月25日朝、高江を後にした私たちは、自動車で辺野古に向かった。沖縄東岸を東村から名護に向かうわけだ。途中、宮里藍さんの実家の横を通り、慶佐次で貧乏旅行君とまた逢ったりして、大浦湾の北側から米軍のキャンプ・シュワーブを眺めた。紆余曲折を経て、新たな「V字型滑走路」は、キャンプ・シュワーブのある辺野古崎の先っぽに作られる計画が進められている。しかし、そのための環境アセスは、事業を行う「ためにする」、酷い似非アセスであり、しかもそれが政府によって、米軍協力のためになされているという現実がある。先日、このアセスの「方法書」については、意見書を沖縄防衛局に送ったばかりだ。


大浦湾の蝶 Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


大浦湾の北側からキャンプ・シュワーブを眺める Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


キャンプ・シュワーブのゲート Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


キャンプ・シュワーブのゲート Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP

辺野古の街中は、映画『ホテル・ハイビスカス』のロケ地となったあたりだ。飲食店を見つけ、昼食をとる。その隣には、辺野古基地建設を推進する目的のプレハブがあった。実際、漁協は推進の側に立っているという。

漁港に到着し、まずは座り込みのテントにお邪魔する。既に何人もの方がいた。ヘリ反対協議会代表の安次富浩さんもおられて、色々と話をした。この日も高江同様に動きがあまりなく(もともと日曜日はそうだとのこと)、何だかよくわからない沖縄防衛局のチャーター船がリーフ辺りをうろうろしているとのことだった。安次富さんは、双眼鏡やカメラで、「前に歩く蟹」を観察していた。三番瀬にもいるマメコブシガニだろうか。砂浜は赤土流出の色にそまっていたが、沖の海はとても綺麗だった。テント内から見ていると、チャーター船も戻ってきた。


辺野古の座り込みテント Pentax LX、FA★24mmF2.0、Provia 400X、DP


辺野古の座り込みテント Pentax LX、FA★24mmF2.0、Provia 400X、DP


釣り人もいる Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


辺野古の座り込みテント Pentax LX、FA★24mmF2.0、Provia 400X、DP


チャーター船が戻ってきた Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP

漁港のすぐ東隣の砂浜に出てみた。キャンプ・シュワーブとの境界が鉄条網で区切られている。そして境界は海まで飛び出している。そして監視カメラも見える―――この風景に違和感を覚えない者は相当麻痺しているに違いない。基地のフェンスよりも、相当「ナマ」の形なのだ。鉄条網には、「裂け目のこちら側」にいる人たちが付けた多くのリボンが、風に揺れている。

さっき眺めた、辺野古崎のキャンプ・シュワーブを、今度は南側から見る。ここに滑走路ができて、ヘリが垂直離着陸を繰り返したりしたら、明らかにこの風景は一変する。たぶんそれを意識しない子どもたちが、砂浜で遊んでいた。砂浜には、中国からと思われる漂着物がいろいろあった。「中国脅威論」など、これ位にとどめてほしいものだ。


キャンプ・シュワーブの鉄条網 Pentax LX、FA★24mmF2.0、Provia 400X、DP


キャンプ・シュワーブの鉄条網は海に飛び出る Pentax LX、FA★24mmF2.0、Provia 400X、DP


キャンプ・シュワーブ Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


中国脅威論テープ Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP

テントに戻って程なく、アーティストの照屋勇賢さんが来た。24wackyさんに紹介して頂き話したが、今度移転して際オープンする「沖縄県立博物館・美術館」で展示の準備を進めているそうだ。「ジュゴンの見える丘」に行こうという話しになり、初めて会う6人ほどで自動車で向かった。場所はわかりにくいが、また大浦湾の北側に戻り、天仁屋と嘉陽の間あたりのようだった。道は、別の建物に居た、ずっと辺野古で活動している冨田晋さんに教えてもらったようだ。

自動車を降りて、山道をてくてく歩く。時々、木々の間から、イタジイの森が見えた。「ブロッコリー」がいっぱい並んでいる。大きな女郎蜘蛛もいた。

しばらくして到着した丘からは、とても美しい海が一望できた。安部崎の向こう、大浦湾を挟んで、やはりキャンプ・シュワーブが見えた。当然、珍しいジュゴンをすぐに見ることができるわけはないが、このあたりを回遊し、餌場にしているのだ。滑走路ができて、影響がないわけがないと実感できる。歌手のCoccoが、『ジュゴンの見える丘』という歌を発表し、既に那覇市内では沖縄限定発売のCDが売られていた。


イタジイの亜熱帯林 Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


イタジイの亜熱帯林 Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


女郎蜘蛛 Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


ジュゴンの見える丘から大浦湾の方向を眺める Pentax LX、FA★24mmF2.0、Provia 400X、DP


ジュゴンの見える丘からジュゴンの海を眺める Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


亜熱帯林とジュゴンの海 Pentax LX、FA★200mmF2.8、Provia 400X、DP


照屋さんもジュゴンの海を眺めて撮影する Pentax LX、FA★24mmF2.0、Provia 400X、DP

辺野古で気が遠くなるほど地道に座り込みを続けている人たちも、問題意識ゆえに集まってきた人たちも、やはり、きわめて誠実に、真摯に、この海や生態系と向かい合い、それから海がもたらすかもしれない戦争への拒否をあらわしていた。私たちが近づくことのできない米軍敷地内に滑走路を作り、そこから離発着するヘリが住民の住環境や安全を平気で侵害し、そしてジュゴンやサンゴの棲む貴重で大切な環境を損なう。そのために、アセス法をも政府自らが明白に違反している。

米軍の戦争に加担して多くの罪のない人々を殺し続ける国防政策・外交政策は間違っている。仮に、上からの押し付けではなく、私たち自身による民主的な検討の結果、マクロ的にそのような政策をとることになったとしても、人や生物が生きる環境を犠牲にするのも間違っている。環境保護は国防政策・外交政策の次に来るものだと勝手に定め、国自らが法律違反を犯し、暴力を使ってでも強行する―――これが、さまざまな教訓と経験を蓄積してきたはずの私たちの国が行うことだろうか。

夕刻、辺野古を後にして、那覇に戻った。

24wackyさんと、スーパーマーケットでオリオンビールと惣菜を調達し、もう建物は完成している「沖縄県立博物館・美術館」の横の公園で小宴を開いた。風が気持ちよかった。