Sightsong

自縄自縛日記

大友良英+マッツ・グスタフソン@GOK Sound

2018-06-15 06:57:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

吉祥寺のGOK Soundにおいて、大友良英、マッツ・グスタフソンのレコーディングライヴ(2018/6/14)。

Yoshihide Otomo (turntables, g, banjo)
Mats Gustafsson (bs, metal cl, fl, electronics) 

大友良英さんのプレイに直接接するのはいつ以来なのだろう、おそらく8年前にマドリッドでジョン・ブッチャーとのデュオを観て以来である。それ以降は企画や制作の側に立つ人というイメージだった。しかしこの日の生々しく間に何かを挟むことのないプレイを観ると、それは思い込みだったと感じさせられた。

ターンテーブルをふたつとギター、バンジョー。マッツ・グスタフソンの強すぎるほどの圧にまったく負けることはなく、レコード盤を楔のように攻める。またギターを別の楽器として操るというよりも、ターンテーブルと連続的につながっている音響を作りだしていた。強度とともに巧みさもあった。

マッツ・グスタフソンはパワープレイなのだが、それは遮二無二エネルギーを放出するものではない。両足を広げて立ち、全身でむしろ軽やかにバランスを取りながら吹く。エレクトロニクスさえ、その肉体のダンスのひとつとして操っている。フルートによる切れ切れの音は、ウルトラセブンがアイスラッガーを飛ばすような勢いと短さのものだったのだが、やはり、身体の挙動のひとつとして位置づけられた。メタル・クラリネットはフルートに自分でマウスピースを付けたものであり(と、演奏後にマッツが説明してくれた。昔からやっている、珍しくもない、と)、その音色の多彩さはまた面白いものだった。スタンドに付けてそれごと吹くということさえもやった。

レコーディングだからなのか、ひとつひとつの試みに基づく曲は短く、ショーケース的なライヴでもあった。濃淡あれすべて両者が噛み合っていた。作品として改めて聴くのが楽しみである。

●大友良英
阿部芙蓉美『EP』(2014年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ジョン・ブッチャー+大友良英、2010年2月、マドリッド(2010年)
井上剛『その街のこども 劇場版』(2010年)
『その街のこども』(2010年)
大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』(2009年)
サインホ・ナムチラックの映像(2008年)
大友良英の映像『Multiple Otomo』(2007年)
『鬼太郎が見た玉砕』(2007年)
原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』(2006年)
テレビドラマ版『クライマーズ・ハイ』(2003年)

●マッツ・グスタフソン
マッツ・グスタフソン+クレイグ・テイボーン『Ljubljana』(2016年)
ザ・シング@稲毛Candy(2013年)
マッツ・グスタフソン+サーストン・ムーア『Vi Är Alla Guds Slavar』(2013年)
ピーター・エヴァンス+アグスティ・フェルナンデス+マッツ・グスタフソン『A Quietness of Water』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』(2009年)
マッツ・グスタフソンのエリントン集(2008年) 


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