Sightsong

自縄自縛日記

大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』

2009-10-17 23:59:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

家族が用事で出かけてしまったこともあり、その間に、高円寺に足を運んだ。目的は、GALLERY 45-8におけるサウンド・インスタレーション、大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』である。

マッツ・グスタフソンのサックス・ソロのレコードに、尾関幹人による切り絵が貼り付けてある。より正確には、レコード盤全面に貼り付けた薄い塩ビ版をカッターで刻み、残す部分以外を剥離する方法である(会場では製作風景の映像を観ることができる)。

この作品が、壁面に8種類展示してある。鋭角的なもの、曲線的なものがあり、細密さには仰天してしまう。今まで切り絵と言えば、東京タワー展望台などでの横顔カットなどといったものを除けば、中国山西省の伝統芸能が印象的だった。カッターではなく、鼻毛鋏程度の大きさの鋏でカットしていく驚異的なものだ。先日、なぜか現地の中学校の若手教師たちとの意見交換会に参加し、お土産に作品集の冊子を貰った。改めてじろじろ見ると感嘆する。ただ、ここでの尾関作品ははるかに現代的だ。


山西省の切り絵

レコード盤を観るだけではない。ギャラリーには5台のレコードプレイヤーが置いてあり、訪問者は壁からレコードを外してそれを再生できる。実際に行ってみると、あまりにも障害物となる切り絵が異質であるため、同じパターンを繰り返していたかと思うと、突然別のところにジャンプする。そして複数台で再生するときの音波は愉快である。

はじめにこの展覧会のDMを目にしたとき、思い出したのは大友良英と同様のターンテーブルのパイオニア、クリスチャン・マークレイによる『Record without a Cover』だ。カバーなしで販売・保管され、それによるノイズが音を追加していくコンセプトである。ただ、私は袋に入れて保管している(笑)。

勿論、ここでのコンセプトは異なる。マークレイの「サウンド/アート」は、演奏行為を伴うものを除けば、3つのグループに分けられる。①レコード盤を素材として用いたオブジェ、②音響と直接関係があるレディメイド、③音響と直接の関係はないが、より観念的な意味ではあきらかに「音」を主題としていると思しきインスタレーション。(佐々木敦、『美術手帖』1996年12月号所収) この中で言えば①に近いが、誰でも演奏行為に参加できる点が大きく異なり、ラディカルなところだ。そして、既に両者によってインパクトを少々滅失しているターンテーブルでの演奏という形式に刺激物・異物として加わった切り絵が、インスタレーションの存在感を増しているのは明白のように思った。

これらの再生音源を使って、大友良英がCD『with records』を製作している(doubtmusic、限定800枚、現在ギャラリーのみでの販売)。帰宅して聴くと、ギャラリーでは希薄だったマッツ・グスタフソンの音が濃密になっている。つまり、CD販売というメディア・ミックスがないと、なぜマッツなのかということになるわけか。それにしても、展示後のレコードはどうするのだろう。

●参照
マッツ・グスタフソンのエリントン集
ヘイディ・ケンヨンによるアボガドの葉の切り絵(オーストラリア・パース)
魯迅の切り絵(中国山西省)


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