結局行かなかったが、竹橋の国立近代美術館で「リアルのためのフィクション」と銘打って、ソフィ・カルの展覧がされていたのを機に、本棚にあった『本当の話』(ソフィ・カル、平凡社)を読んだ。
ソフィは、たまたま尾行した男と話したときに、その男がヴェネチアに旅に行くことを知る。そして、男には告げず、金髪のかつらを被り、ヴェネチアで男を探し、ただ尾行を続ける。また、別のプロジェクトでは、ソフィは、私立探偵に自分を尾行して報告書を提出するよう依頼する。もちろん、私立探偵はそのことを知らない。
犯罪的のひとことで片付けられる行動であり(本当に行ったのかどうかわからない!)、ストーカー行為として捕まってもおかしくはない。しかし、自分というバウンダリを敢えて裏返したり戻したりして、そのバウンダリの姿を指で辿るような方法には、不思議と奇妙さを覚えない。むしろ、機会さえあれば自分もやってみたいと思わせもする。
実際、自分の行動を他人の目で確認したがるのは本能的ではある。それに、和辻哲郎や折口信夫といった「無関係」な人間の足跡を辿ることは、多くの人がしていることではないか。さらに、ガイドブックで誰かの経験を追体験することは、ほとんどの人がやっていることだ。これが、「無関係」な人の尾行と本質的に何の違いがあるか。
ポール・オースターも、『リヴァイアサン』(新潮社)において、ソフィ・カルをモデルに、マリアという奇妙な女性を登場させている。
マリアは、次のようなプロジェクトを行う。
●「色彩ダイエット」 曜日に応じて、決まった色の食べ物だけを食べる。
●「L氏の服を選ぶ長期プロジェクト」 毎年クリスマスに、L氏に服を贈り続ける。マリアは他人として時々服装を褒めるが、L氏はマリアが贈り主だと最後まで気付かない。
●他人を尾行して写真を撮り、ときには架空の伝記をつくる。
●私立探偵に自分を尾行させ、スリルを感じる。
●ホテルで働き、部屋に残された断片から宿泊者の人生を捏造する。
●拾ったアドレス帳に書かれている人に順番に会う。
など
完璧に自分のためのプロジェクト、自己満足の徹底。
こうした自分の境界を、皮膚を、裏返したり這ったりする行為は、自分の持つ何かの治療だと思えば、必要なこととさえ言えるだろう。
奇妙な生き物こそ人間だと感じさせる本ではある。もちろん、私は、尾行されていると知ったら平静ではいられないが。
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