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自縄自縛日記

大城立裕『朝、上海に立ちつくす』

2013-07-10 07:53:52 | 中国・台湾

大城立裕『朝、上海に立ちつくす 小説東亜同文書院』(中公文庫、原著1983年)を読む。

尾崎秀樹『上海1930年』(>> リンク)には、小説の舞台となった「東亜同文書院」のことが書かれている。「日中の共存共栄」を建学の理想として1901年に設立され、中国事情に精通した実務家の養成をその目的とした。日本の外務省直下に置かれてはいたが、中国人学生もマルクス経済学者もおり、自由な空気であったという。有象無象の人材を取り込むあたりは、満鉄調査部にも似たところがあるような気がする。

主人公・知名は沖縄出身。東亜同文書院に学んだ小説家本人の投影である。同期には、日本人・織田、朝鮮人・金山、台湾人・梁らがいる。やがて敗戦前後には、梁も金山も祖国の独立などの理想を抱き、学校から失踪することになる。そのときにはすでに、中国共産党の力も無視できない状況になっている。

この物語が描こうとしているのは、大東亜共栄圏という建前と、現実とのギャップである。学校も日本軍も、中国人を蔑視し、農家から食糧を強制的に取り立てる。何かがあれば、金山をスパイ扱いさえもする。目立った横暴だけでなく、日本人を一段上の存在だとみなすことは、おのおのの無意識にも浸透していた。反戦思想・厭戦思想を憎みながら、一方では、中国人・朝鮮人とは連帯するという矛盾を抱える者もいた。

そして、敗戦後、知名は、酔いながら、旧知の中国人・范に問う。「東亜同文書院は君たち中国人にとって何であったか」と。范の返事は、「東亜同文書院は中国の敵だ」というはっきりとしたものであった。日本人だけに通用する、ひとりよがりな建前に対する答えでもあった。何だか、在日外国人あるいは差別的日本人に向けて「仲良くしよう」というメッセージを掲げながらも、中には歴史をほとんど知らないことがあるという、最近の現象にも共通する点があるようにも思える(もちろん、善意の一部をアンバランスにしているだけだと思いたい)。

知名は、先輩の荻島と話す。

「荻島は、思考をなおも詰めていくような難しい表情になり、パイプに粉煙草をつめて火をつけるまで黙った。火をつけると、一服吸ってから続けた。
「支那の社会に密着するということが、そこにはあったのだが、支那浪人という生きかたは、それをきわめて日本的な善意でゆがめてしまった、と僕は思っている」
「日本的な善意で、ゆがめて、ですか」
知名は纏めかねた。」

ところで、小説家本人が「青春体験」と位置付けているように、小説全体にはノスタルジイが溢れている。それが過剰であり、この小説を凡作にしてしまっているように思うがどうか。

●参照
大城立裕『沖縄 「風土とこころ」への旅』
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(大城立裕に言及)
鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』(大城立裕の小説を「ヤマトへの距離感」として整理)
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想(大城立裕との対談)
尾崎秀樹『上海1930年』(東亜同文書院に言及)


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