Sightsong

自縄自縛日記

海野弘『千のチャイナタウン』

2011-06-04 01:11:07 | 中国・台湾

福岡への行き帰りの機内で、海野弘『千のチャイナタウン』(リブロポート、1988年)を読む。それにしても、やっぱり散々酒を飲んで空を飛ぶと気持ちが悪くなるね。まだ頭が痛い。

チャイナタウンは世界中にある。何年か前、ラオスのヴィエンチャンでも、近々チャイナタウンができるから経済社会がずいぶん変わるだろうね、という話があった(その後どうなったか知らない)。那覇の久米村もいわばチャイナタウンで、琉球史において大きな役割を果たしている。それくらいの大きな影響力を持つかたまりが世界の津々浦々に存在するということは、実は凄いことだ。この本も、チャイナタウンの様々な姿を見せてくれるのかと思って読み始めたのだが、さにあらず、サンフランシスコ、香港、上海など限られた場所について語っているに過ぎず、羊頭狗肉の感がある。それでも、途中からぐんぐん面白くなってくる。

チャプスイという中華料理がある。去年、インドのバドーダラーという地方空港の中で食べたチャプスイは強烈にまずかった記憶があるが、それはともかく、本書によれば、そもそもはアメリカ製中華料理であったらしい。19世紀、清朝が傾いてくると、南方の漢民族がいたるところで反乱を起こした。そんな中でアメリカに旅立った南方の男が、サンフランシスコでゴールドラッシュをあてこんでレストランを開いた。ある晩、店を閉めたあとにやってきた鉱夫たちに、残り物を茹でてスープとともに皿に盛って出した。このまかない料理は、中国では乞食にやる食物であったというが、これは何かと訊かれてとっさに答えた名前がチャプスイだったというのである。

そして、著者お得意の秘密結社の話。上海には蒋介石が利用した青幇(チンパン)があり、華南には、太平天国や、清朝打倒・明朝再興を掲げた洪門(三合会、トリアド、天地会)があった。少林寺はその拠点、従って殺し屋とカンフーは深く結びついている。ジョニー・トー『エレクション』2部作で描いたのも、この洪門である。毛沢東さえ、洪門に抗日戦の協力を求めたのだという。しかし、この非合法の集団は、香港でアンダーグラウンドの犯罪勢力となり、麻薬ビジネスにもつながっている。なるほどなあ、地下水脈がいろいろとあったわけだ。

著者によれば、上海こそが世界中にあるチャイナタウンのマザー・シティであり、チャイナタウンとは都市のアンダーワールドである。勿論、ここには闇を求める願望が込められている。そのような、魔都を夢見る系譜に、確実にJ・G・バラードが位置する。著者も、「J・G・バラードの上海」という項を設けて、彼の意識に多大な影響を与えた上海というものを見ている。

バラードが得たイメージのひとつについて、バラードが書いた次のような文章が引用されている。この眼前に煌めき目が眩むようなヴィジョンは、明らかにバラードのものだ。これを読んでクラクラする自分も、やはり魔都を求めている。

「私自身の最も昔の記憶は、毎年訪れる長い洪水の夏のシャンハイだ。町中の街路は2、3フォートの褐色の沈泥をたっぷりと含んだ水に漬かり、揚子江の洪水平野の中心地である周辺の田園地帯は、水沈した田んぼがつづく一枚の鏡さながらになって、灌漑用水路は熱い陽光を浴びてゆらゆらとたゆたっていた。考えてみると、「沈んだ世界」の中心的な景観を構成するイメージ―――繁茂する熱帯の植物に覆われ、半ば水没した広大な都市のイメージは、私のシャンハイでの子供時代の記憶と、この十年間のロンドンでの記憶とが融合したものであるように思われる。」

●参照
『エレクション 死の報復』(ジョニー・トー)
『エレクション』(ジョニー・トー)
J・G・バラード自伝『人生の奇跡』
藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』(青幇に言及)
伴野朗『上海伝説』、『中国歴史散歩』(青幇が登場)
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』(太平天国など南からの力に言及)
上海の夜と朝
上海、77mm
2010年5月、上海の社交ダンス


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