久しぶりに、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEC)の『苦悩の人々』(1969年)を聴いた。レスター・ボウイ、ロスコー・ミッチェル、ジョセフ・ジャーマン、マラカイ・フェイヴァースの4人による即興演奏であり、このときにはドン・モイエは参加していない。パーカッショニストはいなくても、全員がマルチインストルメンタリストであるから、パーカッションの音が序盤から効果的にきこえる。終盤、管のひたすら続く単音を基調にした集団即興の熱気がすばらしい。
高木元輝も、ある時期、「苦悩の人々」をよく演奏していたらしい。これが収録されているのは『モスラ・フライト』(ILP、1975年)だが、AECと示す方向性がまるで異なっている。もちろん、これはピアノレスのサックス・トリオであり、AECのメンバーが寄ってたかって多くの楽器を使いまくる狂気とも違うのは当然ではあるが、多分それだけではない。高木元輝の演奏にあるのは、孤独な自身の奔流と言ってみてはどうか。
「その高木がパリの下宿屋で、演歌のテープを聞いて、ボロボロ涙を流したという。高木自身は永い間秘していたが、李元輝という本名の示す通り、彼の体には朝鮮半島の血が流れている。それが演歌という東アジア独特の情念と反応したものだった。「音楽の感動とは、何でしょうね」と高木は言う。それは言葉では表せない、感性の深い部分に突き刺さってくるものに他ならない。生きるということと音楽を聴くということが、まっこうから向い合った瞬間に違いない。」(副島輝人『日本フリージャズ史』、青土社、2002年)
この分析が的を射たものかどうかは判断できないが、高木元輝の演奏がアジア的というような独特さを感じさせるものだったことには共感する。(姜泰煥の演奏がアジア的だと言うときとは別の意味で。)
山西省です(笑)それはともかく。
ゲテモノ、アングラ、左翼、キッチュ、どれも嫌いではないのですが、自己陶酔(しかも意図的な)は見たくないと思ったりします。渋さ知らズは、その面では、どうなのでしょう。
掲載感謝いたします。これでまた本邦に於いて敵が増えそうです(笑)。お帰りのころにまた連絡差し上げます。常ながら思うことですが、歴史的にこれ程まで仏教思想と文化の強い国において、どういうわけかフリージャズでは、"戦い、破壊、前衛"などという言葉しか出てこなかった音楽シーンというのは如何な物か、と考えています。
敵を増やしてしまっては申し訳ないのですが、きっと味方も増えたに違いありません(?)
>仏教思想と文化の強い国において
これは気付かない視点でした。韓国のジャズについてはよく言及されるのですが。不満に思うのは、<真面目にふざける>側面が希薄で、自己陶酔に至るまで<真面目>になるか、<おちゃらけ>になってしまうか、というところです。@山西省
高木さんのファンだというだけで親近感を覚えてしまいます。古谷さん、来ていただきたいですね。
はじめまして。御支持、大変感謝致します。Youtubeでは
音質に問題がありなかなかには現実を伝えるのが難しいですね。
今後9月を予定にポルトガルのレーベルから新譜が出ますので、
おそらくディスクユニオンあたりで輸入されるのではないでしょうか
(直に出版本との通販で個人輸入のほうが早くて安いかもしれません)
http://www.cleanfeed-records.com/
sightsong様
今秋を目処に一度日本での長期滞在を考えていますが
今から既に9月までのオファーで混み入っているので
延長される可能性もあり。ただどこかが我々を招待してくれる
のでしたら何時でも、、、という具合なのですが。ただ
日本では音楽家も含めまるで伝が無いので難航しそうです。
clean feedとは知らなかったレーベルです。ケン・ヴァンダーマークの映像、アンソニー・ブラクストンのCDなど、興味深いものを出しているところなのですね。古谷さんの作品も楽しみです。
今秋以降ですね・・・
clean feedはおそらく今世界で一番メジャーな部類に
入るマイナーレーベルではないでしょうか。とくに
ニュージャズの部門ではシカゴ、ニューヨークの
アーティストを起用することが多く、またノルディックな
フリーも多数出版するなど、その動きはリスナーよりも
ミュージシャンや同業者に注目されているようです。
確かにいろいろ見て行くと、バール・フィリップスとジョー・モリスとのデュオ、ジョン・ブッチャーとポール・ニルセン・ラヴとのデュオ、チャールズ・ゲイルなど、興味津津です。