Sightsong

自縄自縛日記

ジャック・アタリ『ノイズ』

2013-08-21 07:42:51 | 思想・文学

ジャック・アタリ『ノイズ 音楽/貨幣/雑音』(みすず書房、原著1977年)を読む。

音楽は何を吸収し、何を予言しながら変貌してきたのか。本書は、知的エリート・アタリが、音楽と社会・権力とが並走するありようを、丹念に検証した本である。

音楽は、社会の世相を反映するだけではない。音楽は、その根源的な性質から、権力を揺るがし無化する力を持つ活動であった。それは、時に暴力でもあった。しかし、近代になり、音楽は権力装置に組み込まれていく。

権力としての音楽は、コード化されたものであり、構造であり、反復であり、そして活動としての死をも意味した。そして、権力の中心部から逸脱した音楽は、権力にとって望ましからざるものであり、さらに権力を突き動かす性質を増した。

そして、権力は近代資本主義経済へと読みかえられていく。反復こそが、ストックこそが、消費こそが、貨幣を通じた交換こそが、音楽という装置の中心に座り、より人間活動の根源に近いはずのライヴ演奏が傍流となってしまう。サブであるばかりではない。既に演奏は、メインたる反復・消費音楽を確かめるためのものに堕してしまっている。

それでは、根源的な音楽にはもはや本来の力を発揮するチャンスは与えられないのか。これに対する光明として、アタリが示す活動は、何とフリージャズであった。資本主義経済との全面戦争ではない。その中で、われ関せずと独自の演奏活動空間を創出し、そして反復やストックの消費ではない即興活動を行う、フリージャズ。アタリの慧眼でもあり、当時新しかったこの動きを「作曲」活動として位置付けている視点がユニークである。創造性を発揮できる分野を、楽譜や録音をもとにした反復ではなく、作曲に見出し、そしてフリージャズは作曲を時々刻々と行うというわけだ。

現代の音楽のあり方が、まさに近代のたまものであることを示した本であり、議論の展開は非常に面白い。しかし、フリージャズの位置づけがやや教条的に感じられるし、ストックと消費を所与のものとして遊ぶ音楽という視点がこぼれおちているようだ。また、「フリー」なジャズだけではなく、一見制度的ジャズに組み込まれているようなジャズであっても、それはただの反復や交換ではない。制度内での「音色」や「声」といった身体性の観点も見当たらない。

もっとも、本書が書かれたのは1977年といかにも古いわけであり、それは「無いものねだり」なのかもしれない。本書は2012年における改訳版だが、これとは別に、フランスでは2001年に改訂版が出されたという。アタリが80年代、90年代の音楽や社会の変貌をいかにとらえたのか、興味津々である。

●参照
ジャック・アタリ『1492 西欧文明の世界支配』


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