Sightsong

自縄自縛日記

エリック・ホッファー『波止場日記』

2014-10-20 07:58:44 | 思想・文学

ウランバートルへの道中に、エリック・ホッファー『波止場日記 労働と思索』(みすず書房、原著1969年)を読む。

ホッファーはニューヨークに生まれ、幼少時に視力を失う。ところが15歳のときに突然視力を回復、夢中になって本を読み始める。学校教育を受けなかったホッファーにとっては、本が学校であり、社会が本であった。港湾の荷役作業を仕事としながら、独自の思索を進めた人物である。本書は、60歳を超えて記された日記である。

大衆の側に身を置いていると自認したかれにとって、知識人なる存在は、ずっと批判の対象であった。ホッファーによれば、知識人とは、大衆に教えを説く教師でなければ満足できない人間であり、またそのことを神から与えられた特権のように思い込んでいる者であり、制約や縛りがなければ身動きの取れない者、つまり自由とは正反対にある者なのであった。しかし、そのこと自ら客観視しようと試み、自問自答している者であれば「セーフ」。

本来の自由な人間社会にあっては、不必要なものであるからこそ創意工夫して新たなものを創り出すのであり、遊び半分でなければならないのだと、ホッファーはいう。そこから、全体主義国家への批判も出てきているようだ。

たとえば、以下のようなトロツキー批判がある。

「『個人的な悲惨さ、弱さ、あらゆる不実と卑劣さ』を超越する偉大な思想を人間がもたないかぎり、人間は品位ある存在になりえない、と彼は確信している。トロツキーのような人間は、騒ぎたてたりもったいぶったりせずに世の中の仕事を行う膨大な民衆は道徳的に品性下劣であると考える。
 斧をふりあげて人類を動かすことを神聖な義務と考えているひとりよがりの魂の技師たちに対して、私と同じように嫌悪を抱いている人はどれくらいいるのだろうか。」

ホッファーが、おそらくは選民思想に基づく現代日本の「エリート独裁」を観察したなら、どれほどの熾烈な批判を行っただろうかと考える。


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