Sightsong

自縄自縛日記

スリランカの映像(4) 木下恵介『スリランカの愛と別れ』

2008-02-09 23:58:08 | 南アジア

木下恵介の1976年作品。多作の木下作品の中ではかなり後の方であり、ほとんど取り上げられることも傑作と評されることもない。

スリランカを拠点にモルジブで鰹節の事業を行っているのが北大路欣也、スリランカで宝石の買い付けをしているのが栗原小巻、スリランカ・ヌワラエリヤに住む白髪の未亡人が高峰秀子(!)、国連のスリランカ支部で働く小林桂樹とその妻・津島恵子。とくに栗原小巻が魅力があって、いい感じである。

話は支離滅裂であり、映画作品としてのまとまりや完成度は皆無に近い。観光映画としても大したことはない―――せいぜい、高地ヌワラエリヤの涼しく湿った風景、本編と関係ない田舎の風景、シーギリヤ・ロック(なんと、未亡人のチャーターした軍用ヘリで訪れる)、モルジブの海くらいか。モルジブの鰹節事業は、モルジブでもともと作っている似たようなモルジブ・フィッシュとは違う想定だと思うが、きっと映像はモルジブ・フィッシュを撮ったものだ。

何度も観ていると、脱力感漂う楽園的なテーマソングも含め、楽しい見所が多々ある。といっても、その支離滅裂さが楽しいわけだ。

栗原小巻は、シーギリヤ・ロックに登ったことを、モルジブにいる北大路に手紙で伝える。これが、わけがわからない。「その日のシーギリヤの暑さといったら、私、生まれて初めてといっても大げさではありません。でも、頑張りました。松永さんの奥さん(※津島恵子)が登るのに、私が登れなかったら女として負けだと思ったからです。そしてやっと頂上に登りついたとき、私が一番先に何を思ったか、お話しましょうか。不思議なんです。わーっと大声で叫びたいほど嬉しくて、よく登れたと越智さん(※北大路欣也)に誉めてもらえると思ったんです。

このように屈折した栗原と、日本に息子を残している北大路とは、その息子への愛情があるため、なかなか結婚までこぎつけることができない。それでも、出会った者たちとして、幸せになろうとする。また、北大路の部下はモルジブの女性と結婚するとき、生活する場所で心を通わせる関係が大事なんだと主張する(この当時、国際結婚はかなり珍しいことだったに違いない)。高峰秀子も、寂しさを抱えつつも、スリランカ人の使用人と、心を通わせている。このあたりが、映画のテーマとして意識されているように見える。感情移入しやすいところでもある。

ただ、スリランカ人やモルジブ人の位置付けは、あくまで主従関係、コロニアルな構造のなかにある。使用人、ホテルの気持ちの良い従業員、貧乏な兄弟、笑顔で妻になる女の子など、「こちら側」が当てはめた役割を踏み越えてくることは決してない。悪くはないのだが、この映画の限界だろう。

モルジブの女性役はギータ・マンメリトという女優だが、20年近く後の1995年にインタビューに答えた記事がある(『スリランカ 長期滞在者のための最新情報55』野口忠司・日本スリランカ友の会、三修社、1995年)。名前はギーター・クマーラシンハとなっている。5人のなかから選ばれたそうだ。


映画(1976年)とその後(1995年、前出の本より)

妙な台詞がまだある。北大路は、スリランカのココナツ酒「アラック」を呑みながら、「呑めば呑むほど寂しくなる酒だ」と繰り返しつぶやいている。いくらなんでも、そんなことはないと思う。私はアラックを呑んだ後、他人(居候させてくれたスリランカ人の親戚)のお葬式に行ったはいいが、亡くなった方の隣でずっと横になるという失態を演じたが、これは単に呑みすぎたせいだった。関係ないが、今朝の二日酔いで思い出した。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (タマラ)
2008-02-10 22:22:52
スリランカとモルディヴが舞台なら、ストーリィはどうでも観てみたいです。両方とももう一度行きたい場所ですし。本当に映画に詳しいですね。
Unknown (Sightsong)
2008-02-10 23:05:21
タマラさん
でも、本当に脱力しますよ(笑)。いまは観る機会が少ないのが残念な映画ではあります。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。