沼正三の原作を石ノ森章太郎が漫画化した『家畜人ヤプー』(初版1971年)。「禁断の書」とのコピーを裏切らない、とんでもない物語だ。
粘着質に、執拗に提示され続ける様々なエログロのクリーチャーたち。しかし、明らかに、内なる「何ものか」と闘い、耐えながらにして想像力を萎えさせず生み出された存在なのである。仮に自分が作者であったなら、それは狂気との闘いであろうなと想像する。つまり、天才の所業だということだ。
この破天荒で奇天烈な物語に、石ノ森章太郎が挑んだ。彼の漫画には(そしてテレビにおいて石ノ森が演出した回の『仮面ライダー』などでも)、常に映画的なセンスが横溢している。この作品でも見られる、「動」でありながらコマ割りのような「静」。俯瞰ショット。闇。そして人間の情念の表現。
惜しむらくは、エログロの設定を、沼正三の原文を長々と引用する形にしてしまったことだ。ここで、恐怖の世界への没入からこの世に呼び戻されてしまうのだ。少々長くなっても、まるで科学映画のように、ひとつひとつを(やはり執拗に)漫画によって説明してくれていたなら、この奇書はさらなる傑作になったことだろう。
特筆すべき点は強靭な想像力の持続だけではない。それは差別への視線だ。恋人を家畜人とされながら、やがて支配者へと変貌する女性の姿を追う私たちは、差別という人間の業の恐ろしさに震えるのだ。
小説の方は出てすぐに買って読んで、当時の女友達が読みたいというのであげちゃいました。たしか、本文が緑色で印刷されていたような記憶がありますが、異様な内容で反吐が出そうになりながら、それでも全部読了しました。
ヤプーとは日本人のことだと聞いて、たしかに、敗戦後の日本はアメリカにとっては「ヤプー」だったのでしょうね。
恐いもの見たさで、この劇画も(いやいやながら)読みましたが、石ノ森章太郎(当時は石森正太郎)はかなり無理して描いている感じがしました。おそらく出版社の依頼で引き受けたのでしょうが、劇画としての出来はいかがなもんかと。
今は、両方とも手元にはありません。
確かに途中で嫌気がさしますね。何考えてるんだという世界。さまざまな設定を文章で入れ込む点は依頼仕事ゆえかもしれません。それでも石ノ森らしさはあちこちに出ています。