アーシュラ・K・ル・グィン『マラフレナ』(上・下、サンリオSF文庫、原著1979年)を読む。
物語は、19世紀前半におけるヨーロッパの架空の小国を舞台としている。
フランス革命(1789年)、ナポレオン戦争(1803-15年)を経て、ウィーン体制が構築された後の時代。この小国は大公国ゆえ、オーストリア帝国の間接支配下にあった(そのことを象徴することとして、メッテルニヒ外相の名前が幾度となく登場する)。議会も有名無実化していた。
主人公のイターレは、そのような政治と社会に憤りを覚え、田舎の大きな荘園を捨て、首都に出て反政府活動を行う。かれの名前はやがて広く知られることとなり、危険人物として投獄される。数年後、廃人のようになり出獄。やがて、隣国でのフランス7月革命(1830年)が起こり、次第にウィーン体制は崩壊へと向かう。イターレも首都には居られなくなり、また、田舎の荘園へと戻る。再出発を心に秘めて。
イターレが情熱を注ぎ、大きな犠牲を払って行ってきたことは、何だったのか。まったくの無駄ではなかったのか。そのような、イターレ自身の内省や苦しみが綴られ、読む者も苦しさを覚えないではいられない。また、「わたしは何をしているのだろうか、何者なのだろうか」と、自己の確立に苦しみ、傷を負うのは、イターレだけではない。しかし、作者ル・グィンの登場人物たちに対する愛情が、この作品を、ただの若者の失敗物語でない傑作にしている。
当時の政治情勢だけでなく、荘園地主の権力や、人びとを縛っていた因習なども描かれている。歴史小説と呼ぶべきか、SFと呼ぶべきかわからないが、とても面白く読んだ。