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自縄自縛日記

太田昌国の世界「60年安保闘争後の沖縄とヤマト」

2012-07-28 10:07:11 | 沖縄

駒込の琉球センター・どぅたっちで、太田昌国の世界「60年安保闘争後の沖縄とヤマト」と題した氏のトークがあった。

話の内容は以下のようなものだった。

○今年(2012年)、沖縄の施政権返還(1972/5/15)から40年、サンフランシスコ講和条約(1952/4/28)から60年。沖縄にはなお多数の米軍が駐留する。返還40年記念式典において、大田昌秀・元沖縄県知事は「祝う気にはとてもなれない」、上原康助・元沖縄開発庁長官は「民主主義は世論を尊重するのが基本だ」と、現状を批判した。
日米安保条約はサンフランシスコ講和条約とセットの形で成立した。この不平等性は敗戦国の宿命とでもいうことができた。それに対し支配層が妥協的な改訂を行おうとした1960年に盛り上がった安保闘争は、歴史的な民衆闘争であった。
○戦後日本の基本体制成立に対しては、昭和天皇が果たした役割が極めて大きかった。1990年代半ば以降に明らかになってきたことだが、マッカーサーGHQ総司令官に送られた「沖縄メッセージ」(1947/9)は、米軍による沖縄の軍事占領を25年、50年、あるいはそれ以上の間にわたって求めるものであった。これは、吉田茂が考える以上の姿で、日本と沖縄を規定した。
○しかし、この史実はあまり社会において語られず、歴史教育もなされない。その結果、大衆的・民衆的な知恵となっていない。特に、1960年の中央公論事件深沢七郎『風流無譚』、>> リンク)以降、天皇制に関する自由で開かれた議論ができない状況と化している。
○60年安保闘争においては、抵抗の新しい行動形態が生み出され、非共産党左翼が登場した(前衛党神話の崩壊)。この背景には、1956年のフルシチョフによるスターリン批判、同年のハンガリー動乱・ポーランド民主化運動などにより、ソ連共産党が非人間的なものを孕んでいることが明らかになってきたことが挙げられる。
○また、吉本隆明、谷川雁、埴谷雄高などが、60年安保闘争を契機に誰の目にも明らかな形で登場してきたことも特筆される。
○60年安保とは何だったのか?この振り返りが、闘争に身を置いた人々においても、欠落していた。
○60年安保で規定された日米安保事前協議によれば、在日米軍が重要な装備の変更を行う際には、事前協議を行い、日本政府がそれを拒否できることとなっている。しかし、今回のオスプレイ導入に象徴されるように、事前協議は52年間いちども実施されていない。日米両政府は、なぜか、対象を核兵器に限るものとしている。
○米国は日本を武装解除したあと、サンフランシスコ講和条約後、こんどは自衛力の整備を行わせるよう方針転換を行った。これには、1949年の中国革命成立、1950年の朝鮮戦争が影響した。
○そして、ヤマトゥから沖縄へと、米軍はシフトしていった。新川明「日米安保と憲法9条はセットである」
○安保改訂の5年後の1965年、米国はベトナムにおいて北爆を開始する。このとき、沖縄は戦略上有効な基地として機能し、米兵にとっても傷や緊張感を癒す都合のいい地として存在することになった。すなわち、米国は基地を手放さなかった正しさを確認した。
○1960年代からの高度経済成長(1964年の東京オリンピック・新幹線、1970年の大阪万博など)を経て、1970年、ふたたび安保闘争があった。しかしそれ以降現在に至るまで、安保という問題意識は社会から消えた。それは、消費社会が現状肯定・思考放棄につながるものだからであった。わたしたちは、現状変革への意思や理想を持つ人は社会の中に一定数いるものと信じてきたが、実は、豊かな社会ではそうでもないのだった。
○70年代、内ゲバの時代があった。おそらくは100人以上の人が殺され、千人単位の人が精神的・肉体的ダメージを受けた筈だ。
○さらに、連合赤軍リンチ事件(1972年)、三菱重工爆破事件(1974年)があった。後者の実行犯である東アジア反日武装戦線は、あろうことか、事件数日後の声明において、「このようなところに出入りするのは日帝植民地主義を実践する者たちだ」と居直ってしまった(のちに自己批判)。これらによって、変革にシンパシーを持つ人たちの心が離反し、大衆的な共感が冷め、多くは高度経済成長に満足するようになってしまった。
○そして、ヤマトゥでの安保に対する意識と関心は遠のき、沖縄がその重圧を引き受けていく構図が固定化した。
○いまは夢のようなことに思えるかもしれないが、たとえば安保破棄を日本政府が通告すれば、それだけで、わたしたちは安保のない来年を迎えることになるのである。絶えざる変革へのヴィジョンを抱えていくことは重要なことだ。

●太田さんが示した参考図書
○明田川融『沖縄基地問題の歴史:非武の島、戦の島』(みすず書房、2008年)
○知念ウシ『ウシがゆく』(沖縄タイムス社、2010年)(>> リンク
○ダグラス・ラミス『要石:沖縄と憲法9条』(晶文社、2010年)
○松島泰勝『琉球独立への道』(法律文化社、2012年)
○チャルマーズ・ジョンソン『帝国解体』(岩波書店、2012年)
○林博史『米軍基地の歴史』(吉川弘文館、2012年)
○豊下楢彦『安保条約の成立』(岩波新書、1996年)
○豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫、2008年)

終わった後、太田さんを含め何人かで飲み食いしながら話を続けた。粘りすぎて終電になってしまった。

●参照
太田昌国の世界「テロリズム再考」
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
太田昌国『暴力批判論』
太田昌国『「拉致」異論』


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