Sightsong

自縄自縛日記

ハン・ベニンク@ディスクユニオン Jazz Tokyo

2014-08-30 22:14:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

ハン・ベニンクが、御茶ノ水のディスクユニオンJazz Tokyoでインストアライヴをやるというので、いそいそと足を運んだ。

1998年に、「In "F"」(旧店舗の方)でソロ演奏に文字通り驚愕して以来、浅川マキ・山内テツとの共演、ICPオーケストラ、渋谷毅・井野信義とのトリオなどを観た。そうすると、今回はわたしにとって5回目か6回目くらい。

かれは時間前にやってきて、おもむろに着替え始めた。レジェンドが隣でシャツを脱いでいる(笑)。

演奏はスネアひとつに、スティックとブラシ。最初の一叩きは強烈であり、観客がみんなびくりと引く。そして、例によって、足をのっけてみたり、座り込んで床を叩いたり、ニッパー犬の人形と戯れたり(ディスクユニオンではグッズを扱っているのだ)、寝っ転がってみたり。笑いと強靭さとが見事に共存している。冗談たるもの、こうでなければならない。変わらない、素晴らしいハンさん。

終わった後に、DVDのジャケットにサインをいただいた。1998年時と比べ、大幅にシンプルなものになっている。愉快愉快。


今回いただいたサイン


1998年にいただいたサイン

※撮影はNikon V1、30-110mmF3.8-5.6

●参照
ハン・ベニンク『Hazentijd』
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8
レオ・キュイパーズ『Heavy Days Are Here Again』
ウェス・モンゴメリーの1965年の映像
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ
イレーネ・シュヴァイツァーの映像


船曳建夫『旅する知』

2014-08-30 10:50:19 | 思想・文学

船曳建夫『旅する知』(海竜社、2014年)を読む。

サンクトペテルブルグ、ニューヨーク、パリ、ソウル、ケンブリッジ、ロンドン。著者は、まだ海外旅行というものが珍しい行動であったであろう1970年ころから現在に至るまで、これらの土地に旅をし、あるいは定住し、変化を体感している。それによる「ああでもない、こうでもない」文集である。

わたしは大学に入った1989年に、1年間、船曳先生の「人類学」の授業を受けた(半年間だったか?もう一般教養のシステムを忘れ去ってしまった)。そのときも、「ああでもない、こうでもない」だった。授業の場で、思索を、わたしを含め成人前の馬鹿者たちと共有してくれるということが、極めて新鮮で、すこぶる愉しいものだった。船曳先生は、当時もこんなことを考えていたのかと思い返すと、腑に落ちるような気がする。

移動して、わが身を置く場を劇的に変えることは悪いことではないのだな、とも思える。もっとも、海外諸国に頻繁に足を運びながら、歴史や文化、人びとが背負っているものをまったく視ようとせず、偏見に満ち満ちた常套句のみを口にする人たちは多い。あたり前のことだが、その人次第だ。


アシフ・ツアハー+ペーター・コヴァルト+サニー・マレイ『Live at the Fundacio Juan Miro』

2014-08-30 08:35:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

アシフ・ツアハー+ペーター・コヴァルト+サニー・マレイ『Live at the Fundacio Juan Miro』(Hopscotch Records、2002年)を聴く。

Assif Tsahar (reeds)
Peter Kowald (b)
Sunny Murray (ds)

ツアハーのことはずっと気になっていたが、聴くのははじめてだ。このサックスの技巧が傑出している。ポリフォニックな音を、ときにはじゅんじゅんと、ときには高速で示す。また、泣き叫び、折伏しようとするような音色は、アルバート・アイラーやチャールズ・ゲイルとも共通するものを感じた。

ここに、絹のようなコヴァルトのベースが、「マモー、マモー」と参加し、断続的・小刻みにうねるようなマレイのパルスが入っていく。

●参照
ペーター・コヴァルト+ヴィニー・ゴリア『Mythology』
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ
サニー・マレイ『Perles Noires Vol. I & II』
サニー・マレイのレコード
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』