中国への出張に持って行った本、小林英夫『<満洲>の歴史』(講談社現代新書、2008年)。著者は満州のことを<満洲>と呼ぶ。<満洲>は、ほんらい地名ではなく、清の太祖ヌルハチが自国も自民族も<満珠>(マンジュ)と称したことに由来し、満州は簡略化された表記に過ぎないからだという。
上海から北京への移動の際、搭乗してから離陸まで2時間も缶詰になってしまい、さらに着陸後も荷物のドアが開かない(!)という理由でさらにしばらく待たされ、おかげで読むことができた。中国の国内便で苛々したら負けである。
本書の特徴は大きく2つある。ひとつは中国東北地方・満州国・満州帝国における産業構造の変化を明快に示していることだ。のちに関東軍に爆殺される張作霖らの軍閥が東北地方を支配したのは、大豆の売却益を独占したからでもあった。息子・張学良が蒋介石に接近し、西安事件により抗日の流れを作ったことを考えれば、これは満州国前史にとどまらない観点となりそうだ。そして満州では、日本経済を支えるため、重厚長大産業を成長させる統制経済を敷いた。著者は、日本の戦後の高度成長はこのモデルを拡大再稼働させたものだと指摘する。モデルだけでなく、岸信介や満鉄調査部出身者が戦後の活動の中心となっていたことも、この連続性を物語っているという。
もうひとつの特徴は、軍の検閲により没収された手紙など「生の声」を収集し、差別や抑圧の実態を再現していることだ。検閲は情報の隠匿と管制であるから、その声は「内地」には届かなかったのである。例えば、満州に住む日本人が、在満漢族の様子を天津の日本人に伝えようとした手紙には、このような噂話が含まれていた。
「日本が誹謗する張(作霖)政権・・・・・・没落したかつての軍閥はなるほどひどかったが、我々の食糧だけは与えてくれた。軍閥はやっぱり同じ国民だった」。 「満洲国は何処の国と戦争をしているのか? 日本が戦争をしているのに満州国が傍杖を食っている。その結果食糧が与えられない。そして日本人だけが食物を与えられている、なぜか? 満人はなぜ苦しまなければならないのか」。
過度のひとりよがりな日本化は、当然ながら、大きな反発を生みだしていた。『東京朝日新聞』からの引用では盛大かつ厳かに執り行われたような印象を受ける満州国建国の儀式は、実際には、「日本軍の銃剣に取り囲まれ」、宣統帝溥儀を中心に「専門学校の卒業式程度」の儀式であったという。もちろん、満州国が謳う「五族協和」などウソであった。
上の2つの特徴は、戦後においても重要な点を孕んでいる。「日本の植民地統治は侵略ではなく正常な経済活動であった」という主張が拠り所にするのは、前者の特徴のみであるからだ。
●中国近現代史
○満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
○小林英夫『日中戦争』
○菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
○林真理子『RURIKO』
○平頂山事件とは何だったのか
○盧溝橋
○『細菌戦が中国人民にもたらしたもの』
○池谷薫『蟻の兵隊』
○天児慧『巨龍の胎動』
○加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
○加々美光行『中国の民族問題』
○伴野朗『上海遥かなり』 汪兆銘、天安門事件
○伴野朗『上海伝説』、『中国歴史散歩』
○竹内実『中国という世界』