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Sightsong

自縄自縛日記

徐京植のフクシマ

2011-08-21 10:21:10 | 東北・中部

NHK「こころの時代」枠で放送された『フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」』を観た。

徐京植は「根こぎ」という言葉を使う。人には「根」がある。その「根」ごと引き抜かれる国家的暴力、それがユダヤ人のホロコーストであり、広島・長崎の原爆投下であり、福島の原発事故であったのだ、と。しかしそれは、想像力をもって直視されてこなかったのだ、と。

いくつか、重要な引用があった。ユダヤ系イタリア人のプリーモ・レーヴィは、自殺前年に残した著作『溺れるものと救われるもの』(1986年)において、ホロコースト期にあってなぜ逃れないユダヤ人がいたのか、それは簡単には抜くことのできない「根」があり、各々が、自分に迫る危機に目を瞑り気休めの「真実」にすがろうとしたのだと言う。

思想史家・藤田省三は、『松に聞け』(1963年)において、乗鞍岳の道路建設にあたって滅ぼされるハイマツに想いを馳せながら、権力や資本による押しつけだけでなく末端にある人々こそが積極的に目を瞑る「安楽全体主義」を見出している。そのような面から、何に視線を向けていくか。

「此の土壇場の危機の時代においては
犠牲への鎮魂歌は
自らの耳に快適な歌としてではなく
精魂込めた「他者の認識」として
現れなければならない。
その認識へのレクイエムのみが
辛うじて蘇生への鍵を
包蔵している、というべきであろう。」

広島で被爆した詩人・原民喜が詩集『夏の花』(1949年)に載せた詩を、徐京植は「壊れている」と見る。壊れた詩は壊れた現実を映し出し、シュールレアリズムこそが現実になっている。現実主義者たちの凱歌を許さず、お前の現実は現実ではない、どんなにつらくても現実を視ろ、というメッセージなのだとして。この3人に共通する、痛いほどの声である。ホロコースト、広島・長崎を経て、また現実直視の回避が繰り返されている。

「テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル 電線ノニオイ」

在日コリアン二世の徐は、在日コリアンにも想いを馳せる。映像では、郡山の福島朝鮮中初級学校の生徒たちが新潟の朝鮮学校に避難し、1週間に1度だけ校長先生の運転する自動車で帰ってくる様子をも捉えている。

かつて昭和の三大金山に数えられた高玉金山(郡山)。1944年には600人もの朝鮮人が労働し、宿舎は24時間監視され、つかまると正座した脚の上に鉄のレールを置くなどの拷問が加えられたという。そのような歴史的背景もあり、福島県の在日コリアン人口は1.7万人にのぼる。

その意味で、徐京植は、福島原発事故では「日本人が被害にあった」という言説は間違っているのであり、「がんばろうニッポン」もその誤った認識に依ってたつ標語であるのだと指摘する。そして、鉱山やエネルギーという国家の基幹産業は、かつての朝鮮人、いまでは原発労働者といったように、植民地的な労働システムによって成立しているのだ、と。

>> 映像『フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」』

●参照
徐京植『ディアスポラ紀行』


北井一夫『湯治場』

2011-07-31 01:22:02 | 東北・中部

六本木のZen Foto Galleryで、北井一夫『湯治場』を観る。1970年代に、秋田や岩手や青森などのひなびた温泉地で撮られた作品群である。

土曜日の昼は北井さんのいつもの在廊パターンかと思っていたら、観ているうちに、やはりおにぎりが入ったコンビニ袋片手に現れた。

この写真群は、キヤノンIIDIVSbキヤノン25mm、一部はライカM3M4(まだM5を使いはじめる前)にエルマリート28mmにより撮られており、フィルムはトライXの1600増感が多いそうである。エルマリートによる作品は、「山形県滑川温泉」(17頁)、「宮城県仙台市」(20頁)、「栃木県三斗温泉小屋」(21頁)などだそうで、パッと見には違いはわからない。今回のプリントではなく、既に1990年ころには焼いていたのだという。

肌が凍てつくような寒さと湯気が共存する暗い空間、湯治客たちはほっとして笑顔を浮かべており、そういった姿が粒子感とともにもやっと浮かびあがる。宿の寒そうな室内では、板の床、何枚も重ねてある布団、そして子どもという生命体。これはたまらない。つい日本の原風景などとどこかで聞いたような言葉を口走りそうになるが、しかし、国などを超えた広がりを持つ原風景に違いない。やはり特別な写真家なのだ。

このように北井さんとお会いすると、写真と政治との関係性のような話になる。曰く、自分もそうだったからよくわかるのだが(『抵抗』や『三里塚』など)、芸術としての写真は政治に使うようなものであってはならない、と。話の中で、豊里友行さんや石川真央さんについても言及がある。考えるところ多い。

最近は、ライカM5+TMAX100ライカM6+トライX、レンズはエルマー50mm沈胴ズミクロン50mmが多いそうである。

今後の北井一夫情報

●『Walking with Leica 3』(印刷で時間がかかったが、そろそろ写真集が出るとのこと) ギャラリー冬青
●1965年、神戸の港湾労働者を撮った未発表写真群(2013年) ギャラリー冬青
●『村へ』カラー版!(2014年?) ギャラリー冬青
●『三里塚』 ワイズ出版のものよりも前の作品群、もうドイツの出版社のカタログには載っているとのこと

●参照 北井一夫
『ドイツ表現派1920年代の旅』
『境川の人々』
『フナバシストーリー』
『Walking with Leica』、『英雄伝説アントニオ猪木』
『Walking with Leica 2』
『1973 中国』
『西班牙の夜』
『新世界物語』
中里和人展「風景ノ境界 1983-2010」+北井一夫
豊里友行『沖縄1999-2010』


開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』

2011-07-16 08:43:46 | 東北・中部

開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2011年)を読む。

オビの豪華な名前(実は著者の指導教官)のためもあってか、ずいぶん売れている。もともと修士論文として書かれたものであり、学生ならではの気負った発言にかなり苛々させられる(私の苦手とするもののひとつは「謙虚でない学生」である)。学者以外を愚民かなにかだと思っているのかな。

それはそれとして、本書は面白い。

著者がこれまでの原発をめぐる言説の皮相な構図として考えるのは、「抑圧」と「変革」への帰結だ(もちろん、これは米軍基地についても言うことができる)。そこには、経済社会の発展のために仕方がなかった、現地もオカネをもらって栄えていた、といった物言いに含まれる歴史修正主義も見え隠れするのだ、と指摘している。

ここで著者は、保苅実(※本書では苅の字を刈と間違えている)のいう「ラディカル・オーラル・ヒストリー」(>> リンク)における、中央的視点から外れる人々の「経験」を重視し、そこから別の構造を浮かび上がらせている。つまり、中央からの「切り離し」作用こそが、原子力ムラの秩序維持に重要な役割を果たしてきた、ということである。そして興味深いことに、原子力ムラに存在する「反対派」も、「変わり者」として秩序維持に貢献してきたのだ、という指摘もある。

この「原子力ムラの側での自己再生産」、あるいは「原子力の自らの抱擁」は、その姿を変え続けているという。戦後から佐藤栄佐久県政初期までは中央から「地方」という媒介者がムラへの流れを作っていたが、佐藤栄佐久県政の後期から「地方」が媒介者たりえなくなり、その結果、中央とムラとが「地方」を介さずに共鳴しあうようになったのだ、と。「内への植民地化」から「自動化・自発化された植民地化」への変化である。

「・・・少なくとも原子力政策についての「改善への期待」を地方が失うなかで、中央-ムラ関係は直結し、メディエーターとしての「地方」の役割は消滅したと言うことができるだろう。それは、「中央の都合より地方自治が重視されなければならない」という憲法や地方自治法の理念に反す形で、地方やムラが中央との間で純粋な主従関係、支配-服従の関係に至ったと見ることもできるだろう。」

さてこれを米軍基地に置き換えてみるとどうなのか。「基地の町の側での自己再生産」、「基地の自らの抱擁」という言葉をもって論を如何に進めることができるか、考えてみる余地が大きそうだ。既存の「受益-受苦」関係を壊すと基地の町はより大きな苦しみの体系に組み込まれるか、これはそうではあるまい。

しかし、本書でいう「中央というpositionalityへの無自覚」や、「媒介者を用いた下位集団の切り離し・固定化・隠蔽」については、当然ながら、重要な視点である。

●参照
○支配のためでない、パラレルな歴史観 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』 >> リンク
○『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』 >> リンク
○『科学』と『現代思想』の原発特集 >> リンク
○黒木和雄『原子力戦争』 >> リンク
○『これでいいのか福島原発事故報道』 >> リンク
○有馬哲夫『原発・正力・CIA』 >> リンク
○山口県の原発 >> リンク
○使用済み核燃料 >> リンク
○『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ) >> リンク
○『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』 >> リンク
○東北・関東大地震 福島原子力の情報源 >> リンク
○東北・関東大地震 福島原子力の情報源(2) >> リンク
○石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』 >> リンク
○長島と祝島 >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク


齋藤惣菜店のコロッケと伊坂幸太郎のサイン

2011-07-12 01:26:14 | 東北・中部

所用で仙台に足を運んだ。ちょっと空いた時間に、仙台朝市齋藤惣菜店(>> リンク)で、「じゃがじゃがコロッケ」と「トマトクリームコロッケ」を1個ずつ買う。前に妙齢の女性たちが5人くらい並んでいて、「お兄さんいい?さきに買ってもいい?」と連発するが、この場合、「駄目です。ぼくが先に買います」という答えは当然ながらあり得ない。

帰りの新幹線でひとりパックを開けてむしゃむしゃ食う。あまり人に見られたくない姿ではある。それにしても、こういった店で買うコロッケは何でこんなに旨いんだろう。

仙台駅前では、いつも『THE BIG ISSUE』を売っている人がいる。ジョージ・クルーニーが表紙の最新号を読もうかと思ったが、その横に、売り手によるらしきマジックペンの字で「伊坂幸太郎のインタビュー」と書かれた紙が貼ってあるバックナンバーがあって、それを買った。売り手のお兄さんは、「伊坂幸太郎がお好きでしたら、これを見せましょう。非売品です」と、本人サイン入りのその号を自慢した。伊坂幸太郎も仙台で『THE BIG ISSUE』を買っているのだった。

『重力ピエロ』において、ローランド・カークのサックスを主人公の父が聴かせる場面がある。そして弟は言う。「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ

インタビュー記事でも、伊坂幸太郎のこのような言葉がある。

「以前、作家の井上ひさしさんにこう言われたことがあるんです。『人間って生きているだけでつらいことや悲しいことは経験できる。だから、人間が無理してでもつくらないといけないのは、笑いなんだよ』って」

●参照
伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』と中村義洋『ゴールデンスランバー』
伊坂幸太郎『重力ピエロ』と森淳一『重力ピエロ』


伊坂幸太郎『重力ピエロ』と森淳一『重力ピエロ』

2011-07-02 10:55:48 | 東北・中部

伊坂幸太郎『重力ピエロ』(新潮文庫、2003年)を読む。『ゴールデンスランバー』(2007年)でも惹きつけられた、個人の発語と物語との奇妙なずれがあって、読むのをやめられなくなる。

仙台の連続強姦犯の子として生まれた男、自分の息子として育てる父、奇人変人でないために狂言廻しの役を演じる兄という「最強の家族」の物語である。伊坂幸太郎は、職業や立場によってではなく、あくまで個性によって人物を描く。それがとても巧い。

この小説では、罪を罪とも思わない連続強姦犯を殺すことが社会の規則を破っているからといって、それに支配されることをよしとせず、叛旗を翻す。『ゴールデンスランバー』では、国家という大きな力から逃げて、生き続けることを美学として掲げた。<個>というものに対する強い信なのだろう。

小説家は、目に見えるものに全面的に左右されることにさえ、強い疑いの眼を向ける。ローランド・カークに関するエピソードである。息子が、癌で入院している父に、カークのCD『Volunteered Slavery』を聴かせる場面がある。

「「この演奏しているのが盲目だと聞いて、俺には納得が行ったよ」 父が笑った。「この楽しさはそういう人間だから出せるんだ」
「そういう人間?」
「目に見えるものが一番大事だと思っているやつに、こういうのは作れない」 父の言わんとしていることは、薄らとではあったが、分かった。この、「軽快さ」は、外見や形式から異なるところから発せられているのだろう。しかも、わざと無作法に振舞うようなみっともなさとも異なり、奇を衒ってもいない。言い訳や講釈、理屈や批評家らもっとも遠いものに感じられた。」

ところで気になったこと。ある場面で、怪談話をひとつ紹介している。深夜に車で走り抜けると、後ろから四つん這いの女性がもの凄い速さで追ってくるという怪談だ。私は高校生のときに、『ムー』を愛読していて(笑)、中でも破天荒な話が満載の「私の怪奇・ミステリー体験」という連載が好きだった。その中に、まさにその話があって、あまりのバカバカしさとおぞましさのため、いまだに覚えている。「彼のバイクの後ろに乗って夜の山道を走っていると、彼が前方に何かを見つけて急停車し、Uターンした。道路には女が立っていた。恐怖に叫びながらバイクを走らせる彼。後ろを振り向くと、待て~などと叫びながら女が四つん這いで追いかけてきた」といったものだった。そうか、あれはポピュラーな話だったのか。今まで誰に話しても「何それ?」って顔をされたけど。

ついでに、映画化された、森淳一『重力ピエロ』(2009年)を観た。「仙台シネマ認定制度」では、これが第1回認定作品、第2回が中村義洋『ゴールデンスランバー』(2010年)だという。後者と違って、仙台にさほど詳しいわけではない私には、駅くらいしかわからない。今年は何だろう。

プロットも変えてありよくまとめてはあるが、小説が発散し続けている<個>の力が希薄である。彼らは<ことば>により形成されている<個>であり、当然それぞれが唯一無二の存在であることを見せつけなければならない。ところが、父は物分かりの良い男、既に亡くなった母は綺麗で苦悩を抱える存在。みんな奇人変人だったはずで、それでこそ<個>の価値が輝いたはずだ。母の役は、鈴木京香よりも、きっと樹木希林のほうがよかった。

●参照
伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』と中村義洋『ゴールデンスランバー』


伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』と中村義洋『ゴールデンスランバー』

2010-12-11 09:04:22 | 東北・中部

伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮文庫、原著2007年)が文庫化されたので早々に読んだ。結構売れているようで、電車の中でも他に読んでいる男を発見。

仙台の街を逃げまくるというだけで面白いのだが、惹かれるのはそこではなく、ドゥルーズ/ガタリ的な逃走線がメインテーマに違いない点だ。主役の青柳が首相暗殺犯にされてしまうとき、その陰謀に加担した親友の森田が青柳に「無様な姿を晒してもいいから、とにかく逃げて、生きろ。人間、生きててなんぼだ。」と告げるそれ、ただ冤罪から逃れるプロットのそれではない。死なないために逃げるのではない。否定的な意味ではなく、単一の地層から、主体性というブラックホールから、樹木から、逃げることが、生きるということに他ならない。自分がこのエンタテインメントから読み取ったものはそれだ。

映画化された中村義洋『ゴールデンスランバー』(2010年)。画面に仙台市内や駅前が出てくると、やっぱりどきどきする。公開前後に、『ゴールデンスランバーサポーターズブック』をどこかで貰った。青柳役の堺雅人は、「表と裏からの"偶然"を描くことで、世の中のとらえ所のなさを描いている」と語っている。一方、テレビ放送時のインタビューでは、「人と人とのつながり」を強調している。後者はリゾーム、逃走線を形成する。「とにかく逃げて、生きろ。」よりも、「とにかく信じて、逃げろ。」なのだ。

思い出したこと。1923年、大杉栄、伊藤野枝とともに、甥の橘宗一少年までが軍部に虐殺された。橘宗一少年の墓は名古屋にあり、長らく軍部に発見されることなく眠っていた。少年の父、橘惚三郎が建立したものだ。墓碑の裏面には、「宗一(八才)ハ再渡日中東京大震災ノサイ大正十二年(一九二三)九月十六日ノ夜大杉榮野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル」とあった。それを近所の人々は知っていた。

大杉栄と伊藤野枝の娘、伊藤ルイの生涯を追った、藤原智子『ルイズその旅立ち』(1997年)で知ったことである。また観たい映画だ。


6輌編成で彼岸と此岸とを行き来する銀河鉄道 畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』

2009-08-29 23:12:59 | 東北・中部

神田小川町の澤口書店(>> リンク)の店頭に置いてある安売りコーナーは回転が速く、ときどき覗くと発見がある。畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』(文藝春秋、1992年)もそのひとつだ。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(1924年ころ)に憑りつかれ、自宅の庭に銀河鉄道の始発駅まで造ってしまった作者が、車輌構成や大きさ、乗客数、駅間の距離、枕木の素材、動力源などのディテールを突き止めようとする本である。

追求は、賢治のテキストをたよりに、計算したり、願望で創作したり。作者の詩的な主観が全体を覆っているという点で、ひと昔に流行した『○○の秘密』とか『○○研究序説』といったものとは随分異なる。

「人はただぼんやりと知性だけで武装していたのでは、こういう世界は思いつくことができない。」

作者の推理によると、28席ある車輌は6輌編成。銀河は水の中、その水を集めて走る水力機関車。鋼鉄のレールの下にある枕木は雲の鋳物。乗客には生者も死者もいる。光速に近いため、カムパネルラが溺れてからジョバンニと銀河鉄道に乗り、ジョバンニが突然此岸に戻ってくると40分しか経っていない。

もちろんカムパネルラは彼岸へと向かう死者、ジョバンニは生者である。この作品の背景には、妹トシを亡くした宮沢賢治のサハリンへの旅があったことはよく知られている。妹のことを痛切に想い、彼岸と此岸とをつなぐ世界を創出したわけだ。この旅の途中、賢治が書いた『青森挽歌』は悲しいイメージに溢れている。通勤電車で読み、駅を降りて歩く私の中にも、泣いてしまいそうなイメージが残っていた。やはり賢治は天才だ。

「あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか」

それにしても、『銀河鉄道の夜』は素晴らしい作品である。また読み返したい。

●参照
ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」
吉本隆明のざっくり感


仙台の「火星の庭」、大島渚『夏の妹』

2008-01-17 23:59:28 | 東北・中部

所用で仙台に行ったついでに、古本屋「火星の庭」に立ち寄った。強烈に寒かったので、併設されているカフェでなにか飲んでから帰ろうと思っていたのだが、本の物色で新幹線の時間になってしまった。とてもいい感じのお店で、今度新宿の「模索舎」のペーパーでも紹介されるそうだ。

ここで、『映画批評』1972年10月号を買った。ちょうど大島渚の『夏の妹』が公開されたばかりで、竹中労による大島批判や、原正孝(『初国知所之天皇』を撮った)による『夏の妹』の技術的な解説と批判、が含まれていたからだ。独特の竹中節はともかく、原論文はとても面白い。印象批評が幅をきかせている映画にあって、このようなテクニカルな見方はいまなお新鮮だと感じる。帰宅してから、ヴィデオを参照しながら再読した。

○『夏の妹』は、16ミリによる撮影を35ミリにブローアップした(当時)珍しい手法である。
○フィルムはおそらくフジのネガ。そのために粒子が粗すぎるものになっていることが失敗だ。逆にシャドーが青みがかるフジの特色が活かされるシーンもある。
○ピンボケを多発することが未熟、移動撮影が下手。カメラマンの吉岡康弘はスチール写真が本業であり、アリフレックスの扱いに習熟していない。
○バスや車のなかに露出をオーバー目にあわせ、外を白くとばすシーンが秀逸。
○主演の栗田ひろみを、レフ板を単純に使って捉えた映像が秀逸。
○全般に、(完成された従来型の映画と違い)映画へのフェティッシュ性をあえて排除している。しかし、排除したはずの残滓をあえてそこかしこに残しているのが、映画的世界にどっぷり浸からない大島渚のいやらしさである(否定的に)。

といった論旨だ。

しかし、いま観ると、粗粒子もピンボケも手持ちカメラのゆれも全く気にならないどころか、なお生々しさの魅力を放っているように、自分には感じられる(70年代の写真ムーブメントである「プロヴォーク」がなお新鮮であることとも共通する)。そして、「映画へのフェティッシュ性」は、職人的な技術によるものよりも、こちらのほうにこそ感じてしまう。

じつは、ヤマトゥに接近し、見かけ上安定化し、観光的視線にさらされる沖縄という大島渚のバックキャスティング的な捉え方は、この論文でも、もちろん竹中労にも受け入れ難かったのではないか。もちろん、それが公開当時から先に顕現する事実の一面であっても、あっけらかんと示してしまった大島渚が批判されたことは当然とも思える。そして、挑発的であったとも言える。要は、いまなお存在する、「誤解と錯覚から生まれるメロドラマ」(仲里効『オキナワ、イメージの縁』、未来社、2007年、による)としての沖縄のことだ。

これを、『ナギサ・オオシマ』(ルイ・ダンヴェール、シャルル・タトムJr.、風媒社、1995年)では、軽妙さを装いつつ日本というアイデンティティを問いかけようとした失敗作だとしている。そして『大島渚のすべて』(樋口尚文、キネマ旬報、2002年)では、「死人が歩いている」ように見える、現在から未来へのビジョンを描いたものだと位置づけている。未来へのビジョンだったかもしれない『夏の妹』が、実は、いまでは死人たちがうごめく「現在のパラレルワールド」になっているとみれば、いまでこそ傑作性が顕著になってくるということかもしれないと思う。

その意味で、仲里効も含めて指摘する映画の裂け目は、栗田ひろみが「畜生!沖縄なんか日本に帰ってこなければよかったんだ!」と叫ぶシーン(ここでは、武満徹の音楽も止まる)が大きなものだろう。「死人たちのパラレルワールド」の虚構性や欺瞞性がいきなり提示されるわけである。私としては、映画の裂け目に、殿山泰司が南部の戦跡でビールを飲みながら暗黒舞踏のようによろめく「ひき」のシーンを加えたいところだ。


原論文で秀逸とするシーン① グラビア的に撮影された栗田ひろみ


原論文で秀逸とするシーン② シャドーのような色温度が高いところで青みがかるフジの特質と鮮やかな赤色との対比


原論文で秀逸とするシーン③ スチール写真家ならではの、上から捉える新鮮さ 「シルバー仮面」を歌いながら歩く栗田ひろみと石橋正次(『シルバー仮面』でも、『夏の妹』脚本の佐々木守がやはり脚本を手がけていた)


「畜生!沖縄なんか日本に帰ってこなければよかったんだ!」 すき間っ歯


暗黒舞踏のようによろめくタイちゃん


ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」

2007-04-06 22:32:27 | 東北・中部

鎌田東二氏が聖地や沖縄について、あくまで自らとの関わりを中心に書いた『聖地への旅 精神地理学事始』(青弓社)は、面白いが、全くロジカルでなくハチャメチャで支離滅裂である。(繰り返し、面白いのだが。)

それに対し、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』について探った、『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)は、ターゲットを絞っている分、論旨がはっきりしており面白く読めた。

「銀河鉄道の夜」を、初稿から最終稿である第四稿まで追っていくと、主人公ジョバンニの甘えが次第に削がれていき、孤独や寂しさを独り引き受けていく様がわかる。鎌田氏は、それを、「修羅の涙こそが菩薩の道を切り拓く文字通り水路となる」と表現している。

この寂しさは、妹を亡くした賢治が旅をしたサハリンの風景とも重なっていく(萩原昌好『宮沢賢治「銀河鉄道」への旅』、河出書房新社)。

私が『銀河鉄道の夜』、初稿から最終稿までにおいて注目したのはジョバンニの慟哭である。

ジョバンニは、黄泉の国への汽車である銀河鉄道に、いつのまにか友達カムパネルラと乗車している。(実はカムパネルラは、溺れかけた友達を助けようとして、自分が死んでしまうのだが、それがジョバンニにはっきりわかるのは銀河鉄道からの下車後である。)

銀河鉄道のなかで、ジョバンニがふっとカムパネルラが居た席を見ると、そこにはカムパネルラがいない。本能的に、カムパネルラが永久にいなくなったことを悟ったジョバンニは慟哭する。

以下、その部分の変遷である(太字がその前の稿からの変更箇所)

(初稿)「カムパネルラ、僕たち一緒に行かうねえ。」ジョバンニが何とも云へずさびしい気がしてふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えずたヾ黒いびろうどばかりひかってゐました。ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そしてはげしく胸をうって叫びました。

(第二稿)「カムパネルラ、僕たち一緒に行かうねえ。」ジョバンニが斯う云ひながらふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えずたヾ黒いびろうどばかりひかってゐました。ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そして誰にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びました。

(第三稿)「カムパネルラ、僕たち一緒に行かうねえ。」ジョバンニが斯う云ひながらふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えずたヾ黒いびろうどばかりひかってゐました。ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そして誰にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣き出しました。

(最終稿)「カムパネルラ、僕たち一緒に行かうねえ。」ジョバンニが斯う云ひながらふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えずたヾ黒いびろうどばかりひかってゐました。ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そして誰にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣き出しました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったやうに思ひました。

読み手の胸をうつ表現として、寂しさのクライマックスとして、次第に完成されてきていることがわかる。筒井康隆は、何かのエッセイで、宮沢賢治の『注文の多い料理店』に触れ、「二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました」という表現を、極めてエロチックなものとして評価している。ジョバンニの慟哭が、カムパネルラへの同性愛だとかエロチックだとか言うつもりはないのだが、感情の昂りを表現しつくすという意味では共通しているだろう。

テオ・アンゲロプロスの映画『エレニの旅』でも、探していた息子2人の死を知ったエレニが最後にただ大きな声で慟哭する。きっとアンゲロプロスも、この方法が最善だと考えたに違いない。

杉井ギサブローのアニメ映画では、たしか、ジョバンニは「カムパネルラー!」と叫ぶ。その点だけをとってみれば、やはり、非常に不十分な描き方に感じられた。