-戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その8-
「白梅の香り」
鎌倉由比ガ浜から星の井を経て切通しを登ると、極楽寺の静かなたたずまいが見えてくる。
かつて、七堂伽藍を誇った名刹も、往時をしのぶものは茅葺き屋根の山門一つを残すのみとなった。その山門の脇に、如月の陽光を受け白梅が楚々として咲いている。白梅の微かにではあるが馥郁とした香りは、山門とそれに続く桜並木の老木を縫いながら漂ってくる。切通しを抜ける厳しい北風の中で蕾を育て、他の花々にさきがけて咲く白梅。時代の闇の中で懸命に明日を模索し、自らの志に殉じた志士達。その清々しさ痛ましさが脈絡なく白梅の香りに重なる。
大化の改新を遡る、弥生時代から戦さの歴史はあった。その歴史に刻まれることもなく、まして語り継がれることもなく消えていった少なからぬ人々がいる。己の愛するものを守るために、また酷い戦さを押し留めるべく、自らの志に生命を賭けて厳しい闘いを余儀なくされたであろう名も無き志士とも言える人々の存在を、今思い起こしている。
幕末の濁流とも呼べる歴史に棹差し剣で切り開いた志士達とは異なり、言論を武器として戦った戦前、戦中の志士達。歴史の歯車が戦争に向かって大きく軋む時、それを押し留めようとする営みがいかに過酷で命がけであったのか。それは、治安維持法の反対討論を国会で行なった労農党代表・生物学者の暗殺が、不朽の名作「蟹工船」作者の拷問死が、そしてかつて免訴となった「横浜事件」の背景等が如実に物語っている。
そんな志士達の系譜を数十年前に遡り、戦時下の文学の世界からも探ってみたい。表現の行間から滲んでくる思いの濃さに負けない真剣さをもって・・・。
内閣発足以来、総理大臣と陸軍大臣を兼務した東条英機は、内務大臣、軍需大臣を次々に兼務していった。さらに、昭和十九年二月には参謀総長をも兼務し、統帥の中心に立った。この東条は日本ファシズムの「人格化」の象徴として、手にした独裁権をふるって戦争指導を一段と強めた。
この二月、中央太平洋上のクェゼリン・ルオット島の日本軍守備隊は「玉砕」した。日本軍の敗勢が進む中で国民生活は一段と窮迫した。この時期、物資の絶対量そのものが枯渇し、その統制強化も限界に達しつつあった。そして、三月には新聞紙の供給が困難となり夕刊も休止となった。
このような情勢下で発行された「綜合詩歌」三月号。「撃ちてし止まむ」の戦時スローガンが、表紙と共に目次にも掲載された詩歌誌。この形態は国家総動員法に基づく出版事業令により改組された日本出版会の、統制強化の跡を色濃く滲ませている。
本号に短歌作品を寄せた代表的歌人は窪田空穂、前川佐美雄、相馬御風、谷山つる枝、南部松若丸、水町京子の各氏を含む二十二名の方々である。これらの作品の中から窮迫しつつある生活と対峙しながらも、なお詩魂の輝きを放つ歌。さらに、時代の闇の中から光明を模索し抗いの志の滲む歌を抄出した。
正 月 窪田 空穂
老われの年の七とせ祝ぎ難き心はなれず大き戦
退避壕路のまにまに続きては店に物なく人稀らなり
寒 月 杉浦 翠子
星は見ゆれど何とその光寒月の照り極まりに薄きまたたき
戦ひに用なき凡てが憤ほろしも然はさりながら一鉢の梅
瞋 り 松本 亮太郎
機あれど飛行機無しと告ぐる将兵の瞋(いか)りを思へば寝ねがてぬかも
憊れつつむさぼるねむり間覚めて何身構ふる真夜の鎮みに
梅 前川 佐美雄
このごろの我の目覚めやはやくして梅が香さむし如月はじめ
みいくさ 笹川 祐資
みいくさに夫を征かせてすなどると家づまならむきびしうつつや
このあした櫓をこぐ母によりそひて童寒かろ脛もあらはに
その前後 大沢 衛
玉砕を知りし夕は部屋ぬちにもの喰むだにも腸疼きたり
うつそみの常なる我や教え子のあまた戦に出で立つという
「欲しがりません勝つまでは」の標語に始まる日常生活の隅々にまでも及ぶ戦時統制。その浸透で「戦に用なき全て」が排斥される中で「さはさりながら一鉢の梅」と背筋を伸ばして凛と詠った杉浦翠子氏の「寒月」一連。これらの歌に込められた思いの深さと、詩魂の凛々しさに感動を禁じえない。直裁な表現を避けながらも窮迫する情況にひしがれることなく、なおそれに立ち向かおうとする志が紡がせた歌群。歌とそれを支える志との緊密な通い合いをそこに見る想いがした。
本号では、前号まで連載されてきた古典抄が中断され、実践的歌論と銘打った「歌論」及び、時局を踏まえた評論が、小泉苳三、大和資雄、石井柏亭、泉四郎の各氏によって展開されている。
時代を越えてなお、普遍的な価値を持ち得ると観点からは、疑問を禁じえない評論もこれらのうちには散見される。しかし、時代の証言として謙虚に学んでいくべき貴重な評論もあり一部抜粋し掲載したい。
勤皇志士の和歌について 小泉 苳三
歌のもつ力は今日の一般に言われているいわゆる文学性なるものとともに、そこに表現されたる生命に対する把握の強さから滲み出してくるのである。今日のいわゆる文学性なるものに、このことを加えた新しき文学性、いな文学性なるものを通してかかるものを正しく認識していくところに、歌の正しい文学性を見い出すことが出来るであろう。この立場に立って始めて志士の和歌も、前線における将兵の和歌も正しく評価することができるのである。それでなければ志士の歌や将兵の歌が一億国民の魂を強く打つ理由を、今日のいわゆる文学性のうえから説明することは出来ないのである。
―中略― あくまで明治・大正以来の文学論(西欧の文学論に根ざした:筆者註)にもとづく短歌観を物指しにして計ろうとするものがあるなら、それは結局、歌を今日の歌詠みの仲間だけの専用としておこうとするものである。国民はそんなことにはかかわりなく、志士の歌や将兵の歌に涙を流して感動し奮い立つことであろう。歌は肇国の初より国民のものであり、民族の魂の表現であるからである。
この評論は、重大な局面を迎えつつあった戦時下と言う時代背景を抜きには語れないが
「歌の持つ力は・・・そこに表現された生命に対する把握の強さから滲み出てくる・・・」という指摘。これは現代を生きる私達としても深く受け止め、自らの歩みを検証する糧として心に刻んで行きたい。
イラン、コソボ、チベット、ウクライナ情勢へ、そして地球規模で進行する環境破壊へ、さらには自らも含めて裡なる精神の貧困さと対峙する視点として。
なお、伝説の舞台に踊る志士たちばかりでなく、身をもって戦を押し留めようとして闘い、歴史の軋みの中で牢獄に繋がれ、また命を落としていった少なからぬ昭和の志士とも呼べる人々。その存在すら抹殺されながらも、「逆さ詠み」の手法をも用いて後世に託され、残された生命の絶唱とも言える短歌があったことも付記したい。
本号には詩論として大野勇二氏が「詩の三義」を寄せ、現代詩の動向について問題提起を行なっているが内容紹介は紙面の関係から割愛したい。本詩歌誌の「顔」となりつつある誌上歌会とも言うべき「作品評」欄は批評者陣、対象者数共に充実し、増強されている。この優れた企画の中から一部抜粋し、批評のあり方、視点のおき方について学んで行きたい。
◇花よりも土に影濃きコスモスの乱れを今朝の秋とすがしむ 泉 四郎
【村岡】 感性豊かな作である。正統短歌の匂いが強い。しかし、惜しむらくは自己統一が足りぬ。乱れを秋と観ずると断らなければ気のすまないようでは、まだ幾年かの修養がいる。
「灯光澄む茶の間に活けしこすもすの花よりも濃き影は襖に」(黒沢裕)は昨年十一月の発表だ。この一分もすきのない精神統一を見るがいい。私がこの歌を知らなかったら、うっかりほめてしまうところだった。「灯火澄む」と「花よりも」と比較してみると、道のはるけさが
はっきりわかる。
【門井】 ここには節(長塚節:筆者註)の「鍼の如く」鋭角と深い翳とがある。矩形の空に哲学するいみじき詩魂はまさに「ひとりの道」であろう。詩人は虚空に何かを希求しつつ自虐の沈痛に耽りがちである。決戦下に詩歌人はますらをぶりを朗々と吟じつつ「ひとりの道」を忘れてはならない。それは決して「私の道」ではないのだ。
なお、抜粋中、村岡は村岡紀士夫、門井は門井真の各氏である。「選」及び、「評」の厳しさ、そして、その深さと温もりを学んでいきたい。歌友のあり方として、また切磋琢磨の本道として。
戦局の進展の中で、大本営と統制されたジャーナリズムの流す華々しい「戦果」。それと は裏腹に益々窮迫する生活と、白木の箱と化して帰還する肉親、隣人。その現実を前に 人々は慟哭し、うめき声を漏らしつつも日々の生活に立ち向かわざるを得なかった。生きるために、そして残された吾子と家族を守るために。そんな、銃後の切実な思いと 声の結晶とも言うべき多くの投稿歌。その中から謹んで抄出したい。
○思うまじ所詮叶はぬえにしぞと瞼を閉づれば顕ち来るおもかげ 北村 伸子
○輸送車と共に焼けたる兵もあり如何に無念と散りにしならむ 島 實
○死を期してビルマの土を踏みしとふ便りきてよりすでに久しき 小菅 嘉之
○山茶花の飾らぬ花を愛でにしがいまは遥けく征き給ふなり 土井 博子
○気強さはもののふのそれ淡々と最後の訣れ告げてゆきけり 阿部 鉄子
○車窓より人生二十年と絶叫し征きしわが兄つひに還へらず 三日月信之
○共同炊事の子等の報告聞きゐつつ涙出でたり戦へる子等 吉沢 みつ
○くもりなき瞳もち生まれし汝なれば運命はひとり拓きゆくべし 栗原 善蔵
○紅に燃ゆる紅葉の夕あかり友の命を想ひつつ居り 福原 淑子
○潤ほひなきその眼差や戦友のなきがら持ちて枯れ果てにしか 幸 秋雄
○ニッコリと笑み答へつつ征きませし君が戦死は信ずるにかたし 河本 文子
銃後にあって、遠い戦場での戦いの厳しさにも匹敵する過酷な「もう一つの戦い」に 挑まざるを得なかった女性たち。時代の闇の中で、明日を希求し己の志に殉じた名も無き多くの志士たち。その戦いの軌跡と、そこに燃えた熱い志の系譜は、愛するものの死に直面し、呻吟しつつも日々の戦いに挑んだ大戦下の女性たちにも引き継がれた。
それは戦争の虚構を肌で見抜く、険しい道のりであり歩みでもあった。その歩みの中で鍛えられた志が、これらの歌群の背後から響いてくる。志士は男達ばかりで無く時代との、そして 己との戦いに挑み、打ちひしがれること無く戦い抜いた女性たちでもあった。
厳しい冬の季節の中で微笑むかのように花開く白梅。その馥郁とした香りに、志を秘め静かに燃える志士たちの澄んだ眼差しを重ねてみた。
了
初稿掲載 2008年2月24日