「絆」という文字は「糸」が「半分」と書いて、一人ひとりの力は非常に弱く、頼りなく、儚いものだから、他の糸と撚り合わなければ生きていけないという意味なのだ、と今年の正月気仙沼の漁師さんから聞いた話を、法事の席などで時折しているのですが。
昨日もその話をしていながら気がつきました。
これまでは、撚り合わせていく「つながり」を家族とか社会とか、横の関係ばかりについて話をしてきましたが、先祖から子孫までという縦のつながりもあるはずではないか、と気づいたのです。
つまり、社会的なつながりを横軸とすれば、命のつながりを縦軸とする二次元的な「絆」が必要なのだろうということです。
縦糸と横糸が織りなされて人生が形成されるのであれば、横糸ばかりのつながりを強化しても人生が強靱になることはないでしょう。
先祖からいただいたものを強く意識し、また子孫への継承も強く意識することで、しっかりした人生が織りなされるに違いありません。
仏壇を祀り、掌を合わせることの意義も「絆」と意識したいものです。
縦横のつながりが希薄になってしまっているからこそ、災害によって気づかされる「人間にとって最も大切なもの」。
その気づきを一過性のブームに終わらせてはならないでしょう。まさか、「絆」が流行語大賞になったりしないように、気づいたものは継続していかなければなりません。
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