なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ253 奇跡の1分

2020年03月08日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第253回。3月8日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
3日同級生の会葬へ。その後「耳ふたぎ餅」。
4日映画『パラサイト』鑑賞。英会話。
5日映画『Fukushima50』鑑賞。
そのような1週間でした。

おはようございます。
中学の同級生が亡くなり、会葬の後、同級生で当地の風習「耳ふたぎ餅」を行いました。
これは、同じ歳の者が若くして亡くなった場合、あまりにも悲しい出来事なのでそれを聞かなかったことにする、という意味で、昔はついて丸めた餅で両耳をふさぎ、橋の上から後向きに川に投げるという奇習です。その死が自分に及ばないようにというまじないみたいな意味もあったと思います。
餅の代わりに饅頭とかパンでもいいということで、今回はパンで両耳をふさぎ「聞こえね、聞こえね」と言いながら赤倉川に流しました。お酒も少し流し、残った分はみんなで飲み尽くしたことは言うまでもありません。
みんな63歳なので、若いという年齢ではありません。今後このメンバーが誰かの結婚式で顔を合わせることは考えられないので、これから顔を合わせるのは次々と葬式だけです。耳をふたぐまでもないでしょう。まあ、この奇習も最後ということで。

彼が亡くなった同じ日、大変なことが起こりました。
母親は少し前から1週間に1度の入浴ですが、安全のために日中の家族がいる間に入るようにしています。
日曜日の1日、「今日風呂に入るかな」というので、午後にカミさんが風呂自動のボタンを押して湯を沸かしました。湧き上がって、母親は風呂に入ったと思います。
4時ころ、台所でお茶を飲んでいると、エコキュートのモニターから「お風呂が沸きました」というアナウンス。
「あれ、おばあちゃんもう入ってるよね」と不思議に思ったカミさんが風呂へ行ったとたん、大声で叫んで私を呼びました。
飛んでいくと、浴槽の中で突っ伏していた母親の体をカミさんが引き起こしたところでした。
慌てて浴槽から抱き上げた時には呼吸も意識もありません。
前屈みにさせて背中をたたくと口からお湯を吐き出し、同時に苦しそうながら呼吸を始めました。
バスタオルと毛布で体をくるみ、救急車を呼んで声をかけると目を開けて意識も戻りました。
病院に着いて診断の結果、意識ははっきりしているしレントゲン、心電図、血圧、脈拍も重篤な問題ではないので大丈夫だと思うが、お湯を飲んで肺炎を起こす可能性もあるので入院して様子を見ましょうということになりました。
一時はどうなることかと思いましたが、とりあえず命に別状はないようです。昨日退院しました。

この出来事で思い起こされることがあります。
私の次女も風呂で溺れたことがあったのです。
次女がハイハイする時期のことです。
カミさんが買い物に出て、私は本堂で掃除機をかけていました。
電話が鳴ったので掃除機を止めて居間に駆けつけました。
父親からの電話で、何か一言二言話したと思います。
その電話を切るか切らないかの刹那、風呂でボチャンという音がしました。
「あれ、娘は」と見回しましたがいません。「もしかして」と風呂場に駆けつけると、娘が浴槽の中で手足をバタバタさせていました。
抱き上げましたが、水を飲んでいる様子もなく、すぐに泣きだして事無きを得ました。

どちらもあと1分のことだったと思います。
母親がのぼせたか何かで気を失って湯に顔をつけていたのがどれほどの時間か、おそらく1分やそこらでしょう。
後から聞いたところでは、湯が少しぬるいので追い炊きをしたと。だから沸いたことを知らせるアナウンスが鳴ったのですが、鳴らなかったらカミさんが風呂場へ様子を見に行くこともありませんでした。
気づくのがあと1分遅れていたらどうなっていたか。
娘の場合も、あの時電話が鳴らなければ、本堂にいて掃除機の音で風呂に落ちる水の音に気づくことはできませんでした。
電話がなかったら、あるいは電話があと1分、後先にずれていたら、おそらく娘の命はあそこで終わっていたでしょう。
奇跡のような1分に、戦慄を覚えます。

奇跡といえば、『Fukushima50』の内容も奇跡の物語でした。
原作を読んでいましたが、まさに、あの時に何が起こっていたのか、誰がどのようにこの国を救ったのか、奇跡のような事実の記録です。この映画についてはまた来週触れたいと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
適切な表現ではないことは (大閑道人)
2020-03-08 06:43:08
適切な表現ではないことは充分に承知しておりますが、・・・

「まだ、死なせてもらえない」

上記の表現は、私が大学に入学早々、参加したサークルのリーダー(博士課程)が、私にかけた言葉。

その前には、こういう表現がついてましたが。

「なにをそんなに生き急いでいるのかい。死ななきゃならんときは、ちゃんと死なせてもらえるから」
返信する
その通りでした (yadokari)
2020-03-08 08:42:38
病院で落ち着いた後母親が漏らした言葉「あのまま死んでいれば楽だった」。
死なせてもらえなかった。
それにどんな意味があるのか。考えてみます。確かに親孝行は足りてないと思います。
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