三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第382回。9月11日、日曜日。
今週もあっという間に経ってしまいました。
つるべ落としのような1週間です。
7~8日、友人の父親の49日納骨法要で上京しました。
以前から感じていたことでしたが、東京の人はどうしてこんなに足が速いのか。
置いてきぼり感の距離が以前より広がったと感じました。年齢に比例するのでしょう。
都会は、電車の乗り継ぎにも距離があり、階段の上り下りはあり、田舎の人よりずっとずっと歩いていますね。
田舎で歩いている人はほとんど見かけません。
コンビニに行くのも車、病院に行くのも送迎付きのところもあります。
小学生中学生は統合により送迎バスになりました。
不便なだけに歩かなくて済むという感じです。
このままで大丈夫なのだろうかと我ながら心配になります。
都会より田舎の人の方が平均寿命が高いように感じていますが、それは今の80代90代の人たちが体を使い鍛えてきたからであって、60代以下の人たちの寿命はきっと低下するだろうと思います。
ただ違うのは、やはり都会に暮らす人たちの方がストレスは多いのではないかと感じることです。
人の多さ、騒音、目に映るものの数、スピード、それらはストレスを招くのではないかと思われます。
運動量とストレスと、果たしてどちらに軍配が上がるのか、今後の推移が気になるところです。
友人の妻女がファイナンシャルプランナーをやっていて、道々その話をしていました。
いわゆる資産運用のお手伝いをするという仕事です。
彼曰く「金持ちはどこまでも金持ちになり、貧乏人はいつまでも貧乏人のままだよ」。
資産運用は、余裕のある資産があるからできるのであり、簡単に言えば、高額の貯金をしていれば利息も大きくなるのと同じで、投資する額が大きければ大きいほど運用の利益は大きくなります。
もちろん、リスクはありますが、リスクを考えてもできる余裕があるということでもあります。
一方、毎日食べるのに精一杯の人に余裕のある資産などあろうはずがありません。
彼の言うように、生活に余裕のない人に金持ちになる可能性は限りなく少なく、金持ちの人がもっと金持ちになる可能性は限りなく高い、ということなのでしょう。
それが今この国の現実のように見えます。
贈賄だの収賄だのという話は貧乏人には縁のない話です。
逆に、金のために人を殺めてしまったり、金に目がくらんでしまう事件の多いことの原因が、格差による焦りにあるようにも感じます。格差はどんどん広がっているのだと思います。
「一億総中流」と言われた時代がありましたが懐かしい響きです。
みんなが同じレベルだと思える時焦りは感じません。取り残されるという恐れが焦りとなります。
「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし」と言われる通り、豊かな人のおごりがこの国を悪い方向に傾けているように思えてなりません。
道元禅師の言葉「布施というはむさぼらざるなり、むさぼらずというは、よのなかにいうへつらわざるなり」。
政治家のむさぼりとへつらいは目に余るものがあります。おごりのなせる業でしょう。
今日から大相撲が始まります。
佐渡ケ嶽部屋の後援会に入っているので、部屋の力士の活躍が気になります。
先場所は部屋でコロナ感染者が出たために全力士が途中休場になってしまいました。
それにより負け越しても現状維持の救済処置がとられたようで、大きく番付を下げることはありませんでした。
相撲の世界は実に厳しく、全て成績によって浮き沈みが決まります。へつらいはありません。
あの体で裸同然でぶつかり合うのですから、当然ケガも多く、それによって相撲人生から脱落する力士がなんと多いことか。
そんな中で、大けがで大関から序二段まで落ちながら、くさらず諦めず力をつけて横綱まで上り詰めた照ノ富士、そして宇良。
彼らの心の強さと努力には敬意を表すばかりです。
他の格闘技のように体重のクラス分けがない相撲界。それでも、必ず大きい方が勝つとは限らないのが相撲の面白いところ。
今場所の幕ノ内で最も軽量なのが照強の107㎏、最重量が逸ノ城の212㎏。その差何と105㎏。
照強からすれば、自分の倍近い相手とぶつかるわけなのでまともに当たっては勝ち目はありません。小兵力士には技で勝負する以外ありません。
この二人、番付が離れているので今場所当たる可能性は低いですが、どうしても小さい力士の方にひいき目になるのは判官びいきということなのでしょう。
全ての取り組みにどちらに軍配が上がるのか目が離せません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
今週もあっという間に経ってしまいました。
つるべ落としのような1週間です。
7~8日、友人の父親の49日納骨法要で上京しました。
以前から感じていたことでしたが、東京の人はどうしてこんなに足が速いのか。
置いてきぼり感の距離が以前より広がったと感じました。年齢に比例するのでしょう。
都会は、電車の乗り継ぎにも距離があり、階段の上り下りはあり、田舎の人よりずっとずっと歩いていますね。
田舎で歩いている人はほとんど見かけません。
コンビニに行くのも車、病院に行くのも送迎付きのところもあります。
小学生中学生は統合により送迎バスになりました。
不便なだけに歩かなくて済むという感じです。
このままで大丈夫なのだろうかと我ながら心配になります。
都会より田舎の人の方が平均寿命が高いように感じていますが、それは今の80代90代の人たちが体を使い鍛えてきたからであって、60代以下の人たちの寿命はきっと低下するだろうと思います。
ただ違うのは、やはり都会に暮らす人たちの方がストレスは多いのではないかと感じることです。
人の多さ、騒音、目に映るものの数、スピード、それらはストレスを招くのではないかと思われます。
運動量とストレスと、果たしてどちらに軍配が上がるのか、今後の推移が気になるところです。
友人の妻女がファイナンシャルプランナーをやっていて、道々その話をしていました。
いわゆる資産運用のお手伝いをするという仕事です。
彼曰く「金持ちはどこまでも金持ちになり、貧乏人はいつまでも貧乏人のままだよ」。
資産運用は、余裕のある資産があるからできるのであり、簡単に言えば、高額の貯金をしていれば利息も大きくなるのと同じで、投資する額が大きければ大きいほど運用の利益は大きくなります。
もちろん、リスクはありますが、リスクを考えてもできる余裕があるということでもあります。
一方、毎日食べるのに精一杯の人に余裕のある資産などあろうはずがありません。
彼の言うように、生活に余裕のない人に金持ちになる可能性は限りなく少なく、金持ちの人がもっと金持ちになる可能性は限りなく高い、ということなのでしょう。
それが今この国の現実のように見えます。
贈賄だの収賄だのという話は貧乏人には縁のない話です。
逆に、金のために人を殺めてしまったり、金に目がくらんでしまう事件の多いことの原因が、格差による焦りにあるようにも感じます。格差はどんどん広がっているのだと思います。
「一億総中流」と言われた時代がありましたが懐かしい響きです。
みんなが同じレベルだと思える時焦りは感じません。取り残されるという恐れが焦りとなります。
「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし」と言われる通り、豊かな人のおごりがこの国を悪い方向に傾けているように思えてなりません。
道元禅師の言葉「布施というはむさぼらざるなり、むさぼらずというは、よのなかにいうへつらわざるなり」。
政治家のむさぼりとへつらいは目に余るものがあります。おごりのなせる業でしょう。
今日から大相撲が始まります。
佐渡ケ嶽部屋の後援会に入っているので、部屋の力士の活躍が気になります。
先場所は部屋でコロナ感染者が出たために全力士が途中休場になってしまいました。
それにより負け越しても現状維持の救済処置がとられたようで、大きく番付を下げることはありませんでした。
相撲の世界は実に厳しく、全て成績によって浮き沈みが決まります。へつらいはありません。
あの体で裸同然でぶつかり合うのですから、当然ケガも多く、それによって相撲人生から脱落する力士がなんと多いことか。
そんな中で、大けがで大関から序二段まで落ちながら、くさらず諦めず力をつけて横綱まで上り詰めた照ノ富士、そして宇良。
彼らの心の強さと努力には敬意を表すばかりです。
他の格闘技のように体重のクラス分けがない相撲界。それでも、必ず大きい方が勝つとは限らないのが相撲の面白いところ。
今場所の幕ノ内で最も軽量なのが照強の107㎏、最重量が逸ノ城の212㎏。その差何と105㎏。
照強からすれば、自分の倍近い相手とぶつかるわけなのでまともに当たっては勝ち目はありません。小兵力士には技で勝負する以外ありません。
この二人、番付が離れているので今場所当たる可能性は低いですが、どうしても小さい力士の方にひいき目になるのは判官びいきということなのでしょう。
全ての取り組みにどちらに軍配が上がるのか目が離せません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。