
三ちゃんのサンデーサンライズ。第510回。令和7年3月16日、日曜日。
3月11日を気仙沼清凉院で迎えました。
やはり被災3県は、それ以外とは違う報道がされていたと思います。
たまたま目についた岩手日報の特集記事の一部です。
長いですがそのまま引用します。
「最後だとわかっていたなら」
あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい…「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい
そして わたしは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
(ノーマ・コーネット・マレック作 佐川睦訳「最後だとわかっていたなら」)
そうですね。明日は誰にも約束されていないのです。
そんなことはもう、みんな分かり切っているのです。
それでも明日は確実に来ると、根拠もなく思い込んでいるだけです。
今日が最後の日であってもいいように、今日を生きる以外ありません。
明日は約束されていないが、今日ここに生きていることは事実です。
今日できること、今日でなければできないこと、今日生きていることを実感するために、躊躇なくやろうじゃないですか。
今週の一言
「ああ、愛おしい今日」
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
死んだものにも悩まされ
東北には足が向かない