きさらぎの望月の花は何?
春の花の和歌というと、強烈な印象で、深く記憶に刻まれた西行の歌がある。
○ ねがはくは花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃 ・・西行
‘きさらぎ'は如月、‘望月’は満月で、二月の満月の頃に咲く花という。
如月(=二月)の満月のころなので、つい梅の花だと思っていた。しかし、この和歌の解説に目を触れる機会があると、おしなべて、‘桜’を示しているのだ。
・梅の写真
・・・西行のころは旧暦。旧暦の”メカニズム”を知りたくなった。旧暦は、明治の初めまで使われていた、といいます。
旧暦では、月齢0になる瞬間を含む日を毎月のついたちと定めるため、日付と月齢が連動していました。月齢のカレンダーは月齢0の瞬間を含む日を「月齢0の日」として表示していますから、どの日でも単純に表示の月齢に1を足せば旧暦の日付となります。つまり、月齢0の日はその月の1日、月齢14の日は15日、月齢29の日は30日という。かなり合理的で分かりやすい。
写真:月齢
そうすると、‘そのきさらぎの望月の頃 ’は二月の15~16日を指していると判断できます。二月中旬と言えば、早咲きの梅の季節です。しかし、解説は、‘桜’だと言っています。
この違いは、恐らく旧暦と新暦の”タイムラグ”にありそうです。
新暦は、地球の公転を基準にして、地球から見れば、黄道を1周すれば1年とします。1年は、365日と1/4となります。満月の日を、旧暦と新暦で対比させた表が以下です。
2015年(平成27年度)新暦・旧暦満月対比
・・・満月・・・新暦・・・・・・旧暦・・・・
1::満月::1月5日(月) :11月15日
2::満月::2月4日(水) :12月16日
3::満月::3月6日(金) ::1月16日
4::満月::4月4日(土) ::2月16日
5::満月::5月4日(月)::3月16日
6::満月::6月3日(水)::4月17日
7::満月::7月2日(木) ::5月17日
7::満月::7月31日(金)::6月16日
8::満月::8月30日(日)::7月17日
9::名月::9月27日(日)::8月15日
9::満月::9月28日(月)::8月16日
10:満月::10月27日(火)::9月15日
11:満月::11月26日(木)::10月15日
12:満月::12月25日(金)::11月15日
上記の表に依れば、、‘そのきさらぎの望月の頃 ’は、「満月:4月4日(土) :2月16日」となり、新暦では、4月4日(土)になります。
そうすると、梅の時期は終わり、‘桜’の季節と言うことになります。
桜の写真
西行は、何故この様な和歌を作ったのでしょうか、叙情的、情緒的な感性の賜なのでしょうか。出家した原因に絡む極めて人間くさい理由でしょうか。否定はしませんが、そこに宗教的な意味合いもあるように思えます。
西行は、仏教に帰依した僧侶であり、仏教の祖は釈迦尊です。
この釈迦尊の”入滅”(物理的には死去のことですが、仏教の死生観と深く関わっているので、単純に死去としない)の逸話があります。
これが、「釈迦涅槃図」で、沙羅双樹(さらそうじゅ)のもとで入滅されたという、絵画です。この涅槃が、頭の中にあり、自ら’入滅’を釈迦尊になぞらえて、あるいは憧れて、この歌は作られたのではなかろうか、と思われます。
夏椿、沙羅双樹の木の写真(転用)
沙羅双樹の木は、日本では育たない様です。(一部に、温室の中でのみ存在する)
代用として、”夏椿(白椿)”がありますが、’桜’とは似つかないようです。
西行としては、釈迦尊の入滅の環境設定に、沙羅双樹を、’桜’に置き換えて、歌を作ったのだろうと思います。
東光寺・涅槃図(転用)
平家物語の冒頭
・・「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」・格調高い文章ですね!
・・平家物語は、物語と言うよりも、世界に誇る”叙事詩”ですね。
沙羅の木 ・・森鴎外
褐色の根府川石に.
白き花はたと落ちたり、.
ありとしも葉がくれに.
見えざりしさらの木の花。
・・・褐色・・かちいろ、根府川石・・小田原近くの根府川か?石は庭の踏み石に。