ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

大塚古墳

2019-02-24 00:45:19 | 史跡

大塚古墳

 

R16を、宮前ジャンクションを抜けて川越へ、荒川を渡る「上江橋」の少し手前・・「大塚古墳・信号」が目に飛び込んでくる。--・二桁他国道の信号名になっている古墳だから、さぞかし”大きい”のだろうと見渡しても確認できないので気になっていた。



そもそも、宮前は、大きな神社の前という意味であるのだが、近くの宮原は、加茂(宮)神社の周辺の原(野)を意味していたらしい。そこで宮前の宮も「加茂(宮)神社」のことかと当たりをつけたが、どうも違う。武蔵一之宮(氷川神社)のこととも違う。武蔵風土記によれば、宮前の前身は「内野村」であり、隣接が指扇であったり、本郷であったり、日進であったりするが、宮前や宮前を暗示する地名が一切見当たらないのである。つまり、明治22年の町村制施行時に「宮前」地名は初見するのである。 ---・宮が地名につくから紛らわしいわけで・・・

昔の地図から俯瞰すると宮前のあたりは大宮台地の中で舌状になった入り江の水縁が表示されている。つまり近くまで、東京湾が浸食してきており、それを証拠立てる「貝塚」が付近に散見され、古代人の痕跡が確認できるわけで、「貝塚」からそれほど遠くないところに、あまり大きくない「古墳」もあったわけで、入り江は食料は豊富だったのだろうとも思われる・・・

「大塚古墳」もそのひとつで、円墳がほとんどの中、方墳は希少だというらしい。


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