岩槻:久伊豆神社 参詣巡回・・
久伊豆神社の分布は、武蔵野・元荒川沿いに集中している。そして、その総本社は、加須市に鎮座する玉敷神社とされています。
久伊豆神社の特徴は、平安末期に元荒川(西遷前の荒川)沿いに跋扈した地方豪族の守り神を意味するのではないかと推測されます。そして、その地方豪族は、武蔵七党の野与党・私市党(騎西党)の勢力範囲とほぼ一致しています。
岩槻の神社は、久伊豆神社 が非常に多いようです。以下に・
さいたま市岩槻区
久伊豆神社 (さいたま市) - 宮町鎮座。岩槻総鎮守。旧県社。○
久伊豆神社 (さいたま市岩槻区柏崎) - 柏崎鎮座。
久伊豆神社 (さいたま市岩槻区加倉) - 加倉鎮座。
久伊豆神社 (さいたま市岩槻区真福寺) - 真福寺鎮座。
久伊豆神社 (さいたま市岩槻区谷下) - 谷下鎮座。
久伊豆神社 (さいたま市岩槻区箕輪) - 箕輪鎮座。
久伊豆神社 (さいたま市岩槻区黒谷) - 黒谷鎮座。
久伊豆神社 (さいたま市岩槻区村国) - 村国鎮座。
久伊豆神社 (さいたま市岩槻区南下新井) - 南下新井鎮座。○
この頃の地方豪族は、中央政府(平安朝廷)から地方鎮撫に派遣される鎮撫役人により征服・調和・同化されていきます。鎮撫役人(=軍人)とは、源氏であり平氏でありました。武蔵野では”良文流平氏”が有名です。
歴史の痕跡を訪ねると騎西党の末裔や氏族名の消息は以上を僅かに残して消え去ります。残るのは、騎西という地籍名と「久伊豆神社」という神社のみのようです。
さて、神社ですが、県社/郷社/村社などの”限定された地域”の鎮守が、どうやら役のようです。つまり外敵から守護することを意味するわけで、その外敵は、なにも人的な敵だけでもなさそうで、・・疫病であったり自然災害であったり、・・と割と広い意味があったようです。神社の守護の範囲の鎮撫と繁栄を旨とするあまり、外部とは平和とは限らず、かなり好戦的であったりしています。
神社の「外部とは平和とは限らず」は、昔はいざ知らず、今の神社に対するイメージからは”違和感”がありそうで、仏教もそうですが、血を見ることを厭いません。その証拠に、仏教は”僧兵(=武力)”を持ち、神社は”神兵(=武力)”を持っていた時代がありました。特に、八幡神社、鹿島神社、諏訪神社は、戦勝祈願が主眼の神社でした。特に、諏訪神社は、野戦のシムレーションでの“狩り”が神事に組み込まれてもいたのです。
追記・
なお、平家物語のヒーロー「熊谷直実」は熊谷のシンボルであり、駅前に騎乗の像がある。熊谷寺は熊谷市の発祥由来になっているとも聞く。
この熊谷次郎直実は、一説に騎西党を出自とも聞く。また、丹(治)党出自との説もあるが、詳しからず・・