棟方志功 木の精霊への旅路
「わだばゴッホになる」 草野心平
鍛冶屋の息子は。
相槌の火花を散らしながら。
わだばゴッホになる。
裁判所の給仕をやり。
貉(むじな)の仲間と徒党を組んで。
わだばゴッホになる。
とわめいた。
ゴッホにならうとして上京した貧乏青年はしかし。
ゴッホにはならずに。
世界の。
Munakataになった。
古稀の彼は。
つないだ和紙で鉢巻きをし。
板にすれすれ獨眼の。
そして近視の眼鏡をぎらつかせ。
彫る。
棟方志昴を彫りつける。
※原文のまま
埼玉新聞10月15日(土)版には以下のようにありました(2011)。
「・・・・市内の寺を見て歩いた時に、簡素な鉈(なた)彫りの仏像や神像が散在することに気付いた。円空作ではないかと考えた秋山さんは、9月に、円空仏に造詣の深い棟方に、仏像などの写真と手紙を送って鑑定を求めた。・・・棟方は約束通り同市を訪れ、秋山さんの案内で、同市南中野の正法院の薬師如来立像・十二神将像などを見て歩いた。棟方は「円空様デシ。間違いなく円空様でゴザイマショ」と、円空作であることに太鼓判を押してくれたという。これが円空仏発見の端緒となった。・・・」
円空さんの彫ったもの抱いて、満面の笑みですね。最高の笑顔です。
棟方さんは円空さんを見て、「オオ。・・オヤジ・・・」って言ったと。
**(注)記事中の秋山喜久雄氏は大宮市の円空仏の発見者であると同時に「大宮雑記帳」の著者でもあります。**世界的な版画家で文化勲章受章者の棟方志功と交流のあった旧大宮市市史編さん室長の故秋山喜久夫さん…2011/10/15 00:00 【埼玉新聞】
・・・上記は、大宮の円空仏発見に関わる、棟方志功と秋山さんの逸話であります。大宮・南中野の正法院の奥さんの話とも繋がりました。
大宮の円空仏の発見は、秋山喜久雄であり、その確認が棟方志功であること上記の文から、そして発見の時期は1962年(昭和36年)で、埼玉県立博物館の正法院円空仏・説明パンフから確認出来ます。
参考・・
・・県有形文化財(彫刻)指定H6(1994).3.16
円空学会編『円空研究 Ⅱ 特集関東・東北・北海道』
1973.6.30 人間の科学社
・・秋山喜久夫「随筆/円空さまの祟りとご利益」 113p~119p・・
○嵐山に円空仏三体 町文化財級の価値
『毎日新聞』1982年(昭和57)9月8日
○おや珍しい円空仏 前鬼と後鬼お供 役行者
嵐山の農家から発見
『読売新聞』1982年(昭和57)9月8日
『埼玉新聞』1982年(昭和57)9月9日
さて、ここからは感性の世界。木に宿る”仏”は何を語るのか!
粗々しき風貌と優しきまなざし!
女体菩薩は、母性菩薩なのか!
円空と棟方志功は、”円空仏”をとうしてなにを語らったのか?
棟方志功「二菩薩釈迦十大弟子」
棟方志功「三尊仏の柵」
棟方志功「半跏趺坐菩薩の柵」
棟方志功「不動明王」
既成の秩序からかけ離れた意匠は、怠惰をむさぼっていた美意識をずたずたに切り裂きます。
これでもか・・・・・ これでもか・・・・・・、 と。