わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

それでも夜は明ける…のか??

2014-08-01 | 映画・ドラマ・本
 今週も忙しかった~!でも、来月は大幅に仕事量が減りそうな気がするので、なんとか今週も乗り切った、って気分です。土・日は家で借りてきた映画見て、お昼寝する予定… てゆーか、週末はガッツリ休まないとバテちゃいそうで。日本からの駐在の方たちって、社長も含め、毎日のように午前様で、週末も工場で機械の調整とかなさってて、体力あるなぁって凄い感心します。で、休みがあると、せっせとゴルフやテニス。いくら「24時間、働けますか?」世代とはいえ、タフすぎる。おそるべし、日本の働くおじさん…

 深夜でも週末でも、何故かいつも会社におられる生産を仕切る副社長は、気さくでありながら頼れる存在として現場の皆さんにとても敬愛されていますが、だからオレらも頑張るべ!と、ならないのはトホホ。不良品を出さないのは、日本の製造業界では常識というか、しごく当然だと思うのですが、そこがもう根底から通用してない。作業手順を飛ばしちゃったり、勝手に自分がやり易いように変えちゃったり平気の平左。何度も何度も途中で検査が入るのに、不良品がお客様に送られてしまうのは、日本人的には超謎なのですが、これがフツーに日常茶飯事だから不思議。そこで、日本人経営陣は、更に訓練を強化し、手順書を分かり易くして…と、いう対策に行き着き勝ちですが、もっと根本的に文化的な問題があるように思います。本当に不良ゼロを目指すなら、作業員や検査員に頼らず、機械に任せるしか方法は無いんではないかと…

 なんて考えてしまったのは、先日、昨年度のアカデミー賞受賞作品「12 Years A Slave(邦題:それでも夜は明ける)」を観たからかも。この邦題には「いや、明けてないっしょ?」と、突っ込みたくなってしまうのですが。だって、主人公は助かったけど、実際には解決してなし、他の奴隷はあの後も何も変わっていないし。この国、アメリカには未だに、その根底に、この映画の時代と同じ問題が残っていると思う。人種差別が残っているのは、確実に地球上のどこに行っても同じだけど、いくら公民運動等を経て、アメリカのシステムが肌の色や、文化、宗教の違いによる不平等を法的に禁止しても、人間の感情までは規制できない。

 なにしろ、つい50年ほど前までは、肌の色による差別化が、法律で定められていた国なのです。その時代を経てきた年代の人々は、未だに社会に多くを占めています。三つ子の魂百までといいますが、法律が変わった、社会が変わった、時代が違うと言っても、自分では意識もせずに過去の差別感覚が残っているアメリカ人は少なくはないはず。だいたい、日本語では「白人」と「黒人」というふうに、どちらも「人」であることを認識していますが、英語では白人は「ホワイト」、黒人は「ブラック」と呼ばれていて(今は、アフリカ系とかヨーロッパ系みたいに言うのが主流ですが)、「人」であるとは特定していないのですね。

 ディズニー映画、「ポカホンテス」の中で、大陸に到着したヨーロッパ人と、現地の住民が衝突する前に流れる歌では:
They're savages! Savages! Barely even human
(野蛮な奴ら!人間ですら無い)
They're different from us Which means they can't be trusted
(奴らは俺達とは違う。だから信用なんてできない) 

と、互いが相手を、自分とは見た目が違うから、あいつらは野蛮な獣のような奴らだ、皆殺しにしてしまえ!と、歌うのです。今の、イスラム教徒は自分たちとは宗教や考え方が違うから相容れないという観点は、全く変わっていない。

 更に、キリスト教は、万物は人間のために神が創造したものという考えの上に成り立っています。他の動物も全ては、人間の役に立たせるために神様が作ってくれたので、それらを使役し、殺して食べるのは、神に選ばれた人間として当然なのです。奴隷制度を通常の価値感とする時代の人々にとっては、黒人もまた、自分たち、白人のために神様が遣わせて下さった使役用の生き物だという感覚だったのではないでしょうか。

 映画の中では、主人公、騙されて奴隷として売られてしまった、教養ある自由黒人のソロモンが、字が読めることや学のあることを隠せと忠告されますが、黒人奴隷は「道具」なので、自分の意見を持っていたり、自分たちと同じような教育を受けていないほうが管理しやすい。だって、神様が自分たちに奉仕するために遣わせた「道具」が、自分と同等の知識や教養を持ってるなんてイヤじゃん。こいつら、牛馬と同じ、と、思うからこそ、罪悪感も感じずに彼らを、自分よりは火急な何かとして扱えるんじゃないでしょうか。

 日本人だって差別意識はあるし、制度化された差別だって存在した。でも、鰯の頭も拝んでしまうし、大悪人だけど蜘蛛を踏み潰すのを思い留まったから助けちゃおっかな、なんて思っちゃうお釈迦様の考えや、輪廻転生を基本とする日本人が、完全に「神に選ばれた存在」である自分と、その他の全てを切り離してしまった観念の上に成り立つ、アメリカの奴隷制を完全に理解するのは不可能に近いような気がします。

 そして、日本の産業の発達の基礎となり、現代でも日本製品の高い信用を支えるものは、日本人の教育レベルと意識の高さに他ならないと私は思っていますが、それに加えて、差別化が少ないことも一因ではないかと思うようになりました。会社のトップと一般社員の報酬の差が 今年7月24日付の東京新聞の調査結果によると、「国内企業で二〇一四年三月期の個別の役員報酬が高かった上位百社を調べた本紙の調査で、役員と一般社員の平均年収の格差が平均四十四倍に達したことが分かった。年収格差が百倍を超えた企業は九社あることも判明(Tokyo Web)」だそうですが、こういう会社は長続きしないんじゃないかと思う。給料が高いといえば、日産のカルロス・ゴーン会長が思い浮かびますが、彼ですらアメリカのCEOたちに比べれば、全く大したことはない。ま、どちらにしろ彼は雇われ社長ですし、一般論として取り上げるのはお門違いでしょう。ともあれ、アメリカじゃトップと平社員の給与格差が1000倍なんてのも珍しくはなく、役員と一般社員では食堂も違ったりするのは普通という、日米の違いを言いたかったんだなもし。

 数年前に「アンダーカバー・ボス」という、会社のトップが新入社員のふりをして、自分の現場で働いてみるという番組があったのですが、現場側が警戒するようになって、1シーズンだけで終了してしまいましたw 面白かったんだけどな~

 ただ、これで分かったのは、アメリカじゃ管理役員は現場の現状を知らなくても当然らしきことです。社長が深夜に工場で働いてる、私が務める会社の方が少数派ではあるでしょうが、日本では現場からの叩き上げ社長も多い。雇われ社長の多いアメリカとは対象的です。彼らは、会社への忠誠心というか、その会社の一員であることの責任感や誇りみたいなものはないと思う。彼らの仕事はあくまでも「経営・管理」であり、実際の生産であったり、業務は「道具」である社員がするものなのです…と、やっと、少し前の話に帰ってきましたが、奴隷達の労働によって収入を得て、豪邸で優雅にアフタヌーンティーを楽しむ白人プランテーション主と、社員たちの労働によって贅沢な暮らしを楽しむ現代の会社役員たちを同等に見るのは極端でしょうか?お給料を貰って、自由なんだから、社員を奴隷扱いは失礼!と、怒る人もいるでしょうが、そっちの方ではなく、プランテーション主と会社役員だけで考えてね。そして奴隷は滅多に領主にはなれないように、アメリカの工場勤務者が社長になる可能性はとても低い。

 私は元々、国際開発の仕事についていました。専門は教育開発。教育こそが発展の礎であるという信念は変わっていませんが、一方的に教育を施しても、無駄とまでは行かなくても効果は低い。教育を受ける側のモチベーションやコミットメントあってこそ、進化・進展があるのだと思うようになりました。いくら正しい作業方法の訓練を施しても、いくら手順を分かりやすく説明しても、勝手に作業を変えちゃう人がいれば意味は無い。だから、「自分で考える」奴隷よりも、学がなく、言われたことをその通りにする奴隷の方がいい…と、やっと映画の話に戻る。

 その一方で、どうせ四苦八苦働いても、マホガニーの机にふんぞり返って何ミリオンも稼ぐ、MBA持ちの会社経営者にはなれないんだから、創意工夫をし、他と協力しつつ生産を高めよう、ってな気にもならない。私の働く会社の米人ナンバー1は現場エンジニアからの叩き上げ。彼は、次世代が育たない、問題があったら自分が真っ先に駆けつけて直そう、という若手がいないと嘆く。その根底にあるのは、人種の差別はなくなったとはいえ、アメリカの源流が格差社会であることではないのか、と、しみじみ考えさせられた映画でした…って、全然、映画の話してないし!?!


お役に立てましたか?って、立てたわけ無いなwww    


 はてさて、エリーは日に日に逞しくなって、そろそろ去勢を考えねばならないお年ごろに。

   
モカもエリーも裏庭がお気に入り。私は蚊に喰われまくるので長居は不可