しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

未踏の時代 福島正実著 ハヤカワ文庫

2017-11-19 | 日本SF
覆面座談会事件」について調べていてその参考図書ということで入手しました。


S-Fマガジン1976年6月号まで7回連載された、日本初のSF定期刊行誌「S-Fマガジン」を創刊し、初代編集長として9年間に渡り日本でのSF不朽のために努めた福島正実氏の回想記です。
SFマガジン創刊の1960年から1966-67年まで書かれ本人病没のため「未完」となっています。

1977年4月に早川書房より刊行、本文庫版は2009年12月初版になっているので最近復刊されたんですね。
(2009年を最近というかは???ですが...)

内容紹介(裏表紙記載)
1959年12月、〈S‐Fマガジン〉が創刊された。初代編集長は福島正実。それまで商業的に成功したことのなかったSFを日本に根づかせるため、彼の八面六臂の活躍がはじまる。アシモフ、クラーク、ハインラインに代表される海外のSF作家を紹介するとともに、小松左京、筒井康隆、光瀬龍などの“新人作家”を世に出し、SFのおもしろさ、その可能性を広く紹介してゆく……SF黎明期における激闘の日々を綴る感動の回想録。


冒頭の序文的部分、覆面座談会事件の掲載された1969年2月号を出し終えて、1968年12月に無理矢理東南アジアに旅行に赴いたところから始まるので、もその辺もしくはS-Fマガジン編集長を辞めるくらいまでは書かれそうな感じでしたが....書かれていれば「日本SF史」の貴重な資料となったかと思うのでとても残念です。

が....その辺からS-Fマガジン編集長を辞める辺りはかなりつらそうな感じだったので...ここまでで丁度良かったのかもしれません。

下記に冒頭部分引用しますが
SF時代草分け時代の回顧はもうそろそろ止めなければならない。
この数年間に、すでに何回か、さまざまな機会に、ぼくはこの種の記事を書き、また喋ってきた。だが、そのたびにぼくは、苦い思いを胸にかみしめた。-略-
ばくがSFM編集長の座をおりてからでもすでに六年の歳月が経ったにもかかわらず、SF草分け時代の思い出はぼくにとって、決して甘い過去の物語とはなっていない。
それは、ついそこに、手をのばせばとどくところに、今もある。その時の悔恨は、今の悔恨であり、その時の焦燥は、今の焦燥であり、その時の怒りは、今の怒りである。
もちろん今となってはじめて気がつく過ちもあり、それについての数多くの自省もある。不足だった努力への、ひとりよがりだった判断への自己批判もある。けれども、それらが、苦い過去を、少しでも甘くすることはない。若げの過ちとして許し、あるいは、遠く、過ぎ去った事柄として認めることはできないのである。
草分け時代に始まって、数年前に一応のピリオドを打った、SFのために費やされたその時期は、ぼくの人生の、かけがえのない部分が、最もみじめに蚕食された時期だった。それはぼくにとって、救い難い試行錯誤の時期---誤認と挫折と失敗との時期でこそあれ、なんら栄光の時ではなかった。

との文章の後、SFMの編集長を去る3,4ケ月前の東南アジア旅行の回想につながります。
投宿したバンコックのホテルのベッドに横たわりながら感じたのは、疲労と、空しさと、白々しさ・・・。

引用すると
-略-自分が始めてしまったSFというものに、自分が抱いていた過剰なほどの責任感が、阿呆らしく、馬鹿くさく見えてきた---少なくとも、そのために、これ以上体力を消耗し神経をすり減らすのは、そろそろ願い下げにすべきだと思った。ぼくはSFMよりも人生が大事と、何度も独りごちたのを、覚えている。

すごいはじまりかたです...。

「覆面座談会事件」のことは一言も書いていませんが、事件から6年経過しても苦い思い出だったんでしょうね...。


そんなはじまりですから、一読後の感想「すごい人」だなーというもの。

福島氏、ものすごく純粋な人なんでしょうねーというのがよくわかります。
書かれていることも「自分の気持ち」や「正当化したい」という気持ちもありながら「できるだけ」公平かつ素直に書こうとしている。

「SF普及にかける思い」そのためにはどんな人とでもひと悶着起こしてもなんとも思わない。
激しいです。

そんな福島氏が必死の思いで育てたSFですが、1964年に小松左京の第一長編出版を他社にもっていかれた(「日本アパッチ族」、その後ハヤカワに書いたのが第二長編「復活の日」)ことを書いています。
「私は今では全然気にしていない」と書いていますが絶対怒ってたんだろうなぁ….。
これも引用すると
じっさい、このぼくが・・・・・・人もあろうにこのぼくが、光文社でのこの本の進行ぶりについて何ひとつ知らなかったというのは、不思議であった。迂闊であったと、抜けていたのだといわれれば事実まさにその通りだった。
-略-
しかし、考えてみれば、おそらく、当時そのことを知らなかったのはぼく一人だけだったのだ。他の作家たち、翻訳家たち、SFの仲間たちの多くがどうやらそのことについて、多少の知識はあったらしい。つまりぼくは、故意に何も聞かされていなかったわけだった。
-略-
ぼくが、この事件で受けた最も大きなショックは、むしろ、他社に大事な企画を抜かれたというよりも、SF仲間に、理不尽な扱いをされた、ということだったかもしれない。甘っちょろいことをいうようだが淋しかった。胴震いのくる、荒涼たる寂寥感があった。一人ぽっちだと感じた。---


皆さんどう思います?絶対....気にしてますよねー。
この辺が「覆面座談会事件」につながっているのかもしれません。

1964年の日本SF作家クラブの国立科学博物館見学会の写真ですが。(本書収載)

楽しそうですけどねー...。とくに小松左京氏いい笑顔です。

1963年に設立された日本SF作家クラブに福島氏大きく関わっていますがこれにもまぁ柴野拓美氏-宇宙塵-アマチュアの排除問題等、今に至る問題内包しているわけですが....。

1967年に福島氏は英米日ソによる国際SF作家会議を企画し挫折しますが、その3年後にほぼその構想のまま「国際SFシンポジウム」を小松左京主導で開催されます...。
きっと根に持っていたんだろうなぁ…などと推察します。

その他全編なんとも素直(?)にいろいろ思い返していますが...なんとも正直で憎めない感じで全編SFを離れた一人の「熱い」男の物語として楽しめました。

ただ福島氏、そばにいたら激しくてとても付き合いにくいかもしれません(笑)味方につけたらすごく頼りになるんですけど。
はたから見ている分には好感が持てるような気がしますが、上司にはしたくないかなぁ….。

ただ本書収載の荒正人氏との論争がよく表していますが、「福島氏のSF観」ちょっと頑なかつ「俺が正しいんだ!」という独善的なところはありそうです。

なんとなくウェルズ-クラーク(「幼年期の終わり」をイメージ)当たりの英国SFを正統としている感じがありますが…。

アメリカのニュー・ウェーブやらサイバーパンクなどは福島氏からすると範疇から外れてきそうな感じがします。
ブラウンやシェクリィなども嫌いそうですし....。

「未完」なのが残念ですが、「すごい男」の話が読みたい人にはお勧めです。

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