村川堅固、堅太郎
ギリシア史を中心とした西洋古代史の日本のパイオニアである村川堅固は、白樺派の柳宗悦(むねよし)・兼子(かねこ)と同じく、嘉納治五郎 かのうじごろう(哲学・倫理学、教育者でいくつもの学校の校長、講道館の創設者、柳宗悦の叔父)に惹かれて我孫子の手賀沼湖畔に別荘を構えました。我孫子に集結した白樺派と時代も同じです。
息子の堅太郎も、父と同じ道を歩み(堅固は堅太郎に中国史をすすめたようですが、地中海世界に憧れた堅太郎は、アテナイの研究を中心に西洋古代史を探求)、日本を代表する世界的な学者となりました。
キリスト教誕生以前のアテナイの民主政とギリシア文化に倣った初期ローマは、キリスト教化された後の世界とは大きく異なります。村川堅固は、実証主義の学者でしたので文芸と思想の「白樺運動」には関わりませんでしたが、白樺派の面々も古代ギリシアへの共感をもっていましたので、そこに共通する世界を感じます。村川邸には、白樺派の同伴者バーナード・リーチがデザインし、佐藤鷹蔵(我孫子に住む「宮大工」でしたが、元号を使わず「西暦」で通した)が造った椅子があり、今も邸内に展示されています。
また、堅固は、1920年代(大正末~昭和初期)に計画された政府=農林省の手賀沼干拓計画に反対して、師の嘉納治五郎や杉村楚人冠すぎむらそじんかん(国際的ジャーナリスト・朝日新聞論説委員・堺利彦の「平民新聞」を支持し執筆)らと「手賀沼保勝会」を立ち上げて干拓を阻止しましたが、これは当時としては画期的な市民運動であり、アテナイの直接民主政の研究者にふさわしい行動でした。
堅太郎は、父を受け、世界的な古代史家(ペリクレスによるアテナイの民主政を核とする古代ギリシア史家)となりましたが、その思いは、以下の「アテナイ人の国制」(岩波文庫・1980年初版)のまえがきに明瞭でしょう。
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一口に国家といっても、日本の小さな県くらいの広がりきりなかった古代アテナイと一億を超す人口を擁する巨大な官僚王国の現代の我が国とではその隔絶はあまりにも大きいように見える。
しかし市民参加による民主主義、情報の公開、市民による行政の監視、地方への分権等々を主張する声が高まっている今日、直接民主政の典型ともいうべき古代アテナイ人の国制を顧みることも無意味ではあるまい。
その成立の史実、また機構、運営の枝葉末節については専門家の間に未だ定説のない場合が少なくない。読者はよろしくそれらの些事にこだわることなく、今日的な問題意識に立って本文を味読していただきたい。
そこに展開するアテナイ人の発想、試行錯誤の数々は二千年を超す歳月のひらきや社会体制のちがいにも拘わらず、今日の我々にも示唆するところが少なくないであろう。」
1980年1月 村川堅太郎
(注)この岩波文庫は、発見されたアリストテレスの論考を堅太郎が翻訳したもので、学術書です。文庫版としたのは、アテナイの民主政がもつ現代性を鑑みてのこと。
また、堅太郎は、教え子の長谷川博隆・高橋秀との共著「ギリシア・ローマの盛衰」(講談社学術文庫1993年刊・元は「古典古代の市民たち」文芸春秋刊)の冒頭で、次のように述べています。
「18世紀の末に古典的な市民革命といわれるフランス大革命がおこった。フランス市民たちにはその間を通してローマ共和政期の古代市民社会へのあこがれの風潮が流れている。・・・・
近代の市民社会の誕生の時代に、人々が二千年の昔にさかのぼって、いまひとつの市民の社会をかえりみ、ときには理想化してそれに心酔したのは不思議ではない。そこには世界史の異例ともいうべきはっきりと個性的な市民の社会があった。ローマにさきだつギリシアのポリスの社会と共和制期のローマ社会とは、その間の大きな差異にもかかわらず、古典古代の都市国家の社会としての共通性をもち、われわれはそこの市民に、古典古代の市民たちとよびうる共通の人間類型をみることができる。
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ギリシアの市民たちのあいだに生まれた文化はローマの帝国の各地に普及し、ヨーロッパ文明のひとつの源流となったが・・・・・それが古典古代末期ともなれば、それはもはや市民ではなく臣民の世界であり、古代市民の考え方とはまさに対立するキリスト教が、苦難の道をへてついに最後の勝利を獲得する。それはまた帝国が衰退の道をたどった時代でもあった。」
堅太郎は、このように、近代民主政をはじめに生み出したキリスト教の清教徒思想に基づく革命(その理論をつくったジョン・ロック)とは異なる古典古代の直接民主政に着目していたのでした。
これは現代の課題に応える実に優れた見方と言える、とわたしは思います。
※拙宅向いの旧村川別荘の写真は、fbの白樺教育館のページに発表していますのでご覧ください(下線をクリック)。
武田康弘
わたしの手元にある村川堅固と堅太郎の本 拙宅から見る旧村川別荘の紅葉と手賀沼に沈む夕日