思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

日本人であるという事実を引き受けるのは必須だが、日本人という立場で考えるというのは愚か者でしかない。

2012-10-17 | 恋知(哲学)

  わたしは、人生や社会問題を考えるとき、「日本人であることを引き受ける」ことをしてきましたが、これはよく考え・よく生きるために必要な前提だと思います。それがなければ、有意味な思考ができず、批判眼と責任意識をもった生き方はできないからです。

  けれども、「日本人という立場で考える」というのは、普遍的な「よい」の世界を拓かず、困った事態しか招きません。偏狭な見方しかできず、本質的にヒステリーでしかなく、小我の世界に陥ります。自己正当化・自国正当化(国体思想の政治家やネットウヨクら)・自校正当化(このブログに執拗に書き込む『渋谷中学高等学校』の生徒たちはその見本)をするのは、公正な批判眼・自己省察・責任意識のない人です。

  特定の立場でしか考えられないのは、狭小な自我主義者です。

  自分と自分の属性を引き受けることは何より大事ですが、自分と自分の属性の立場に縛られてしか考えることができないのは愚か者でしかありません。

武田康弘

 

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