きぼう屋

生きているから生きている

つまり第一歩を踏み出したのだろう

2007年12月25日 | 教会のこと
教会のクリスマスプログラムが
いずれも格別に祝され
ホッとしつつ

今朝は
サンタさんからのプレゼントに興奮する息子たちの声で
目覚めることができました


朝刊を取った妻が
そこに封筒があるのを発見しまして

なんでポストでなくて
こんなところに手紙があるんだろう
と思いつつじっくり見ると

切手は郵政のものでなく
三太郵便のもので

住所は荒神口通河原町東入でなくて
京都教会階段登り右入になっていて

封を開けると
この間教会に泊まりつつ
クリスマスプログラムを
それこそ愛を込めて準備してくれた
若者たちから
愛が溢れてくるクリスマスカードがでてきました

目がうるうるしてしまいます
昼間に思い出しても
うるうるしてしまい
今もまた
うるうるです

カードと一緒にプレゼントも入っていました
それは
「愛のこもった(笑)鍋パーティー」の招待券
有効期限が1年で
3つの注意事項が書かれています
① 手ぶらで来ること
② 1杯目は白菜のみとすること
③ 鍋パーティー前後5日間の青年会の宿泊を許可すること

本当のところは
僕ら夫婦が
若者たちに救われているわけで
僕らが労をねぎらいつつ
愛をたくさん送るべきなのに

さらに愛をいただいちゃいました

ありがとう
ありがとう


今年のクリスマスで見えてきたのは
京都教会は
ひとつのかたち
ひとつの雰囲気
でプログラムが流れることなく
また
スムースに行くこともなく
プログラムの各所を担う
おじいさん、おばあさん
おじさん、おばさん
おにいさん、おねえさん
子どもたち

個々人のリズムとペース
それぞれの表現が
折り重なって
礼拝なりほかのプログラムなりが
現れてくるということです

なんかいい雰囲気になったかと思うと
そこで赤ん坊なり子どもが
予想外の言動を起こし
その雰囲気が壊れてくれます

そんな
人間に理解できるまとまりなんて
壊れたほうがいいように
壊れてくれます

瞬間瞬間が
まとまることなく
つながります

何でつながるのか

キリストです
愛です
情熱です
祈りです

それにより
ハウ・トゥーが壊れ
人間によるかたちが壊れ
雰囲気が壊れます

京都教会では
企業や学校で通用する方法は
まったく通じなくなってきているようです

これは
すごいことだなあと思います

こういうのが現れはじめると
隣人性を分かち合うことができるようになります
歴史性を分かち合うことができるようになります

なにかすごいものが動き始めています

だからなお祈ります

キリストよ
来たりませ