きぼう屋

生きているから生きている

学友

2006年08月25日 | 「生きる」こと
昨晩品川にて
東京の大学時代の仲間たちと会うことが出来まして・・・
とりわけわたしは
福岡に京都と、
東京を離れておりましたから
相当に久しぶりだったわけですが・・・

時間の経過などなんでもなく
やはり端的に仲間であって・・・
心底こういう仲間たちがいることが嬉しくてありがたいわけです。

子どもたちも一緒でした。


会社帰りにスーツでやってきているのに
子どもたちを何度も肩車し、2人、3人と一緒に担ぎ上げて、
汗をそれこそ滝のように流すヤツもいてくれれば

丁寧に子どもと話しこんでくれるヤツもいまして・・・

ウチの息子たちは、一晩たって起きたと同時に
サトシ
アベチャン
ゴメ
ユカリ

など
一緒にあそんだおじさんおばさん(にいさんねえさん?)の名前を言い出すわけです。


今回この仲間の特徴をはっきりと見たような気がします。

みんな他者とじっくりと長く付き合えるということ。

こうやっていまだに連絡を取り合って集まることもそうですが・・・
結婚したヤツで離婚したヤツはいないし・・・
結婚していなくてもえらく長く同じ人と付き合っているヤツはいるし・・・

まあこれからこういう問題はいろいろあるだろうしあって当然ですが・・・
基本が
じっくり長く付き合える仲間たちだから
誰であっても相談できるし相談に乗れるというのは・・・

でしかない・・・

感謝なのでした。


振り返れば
福岡のときも
京都のいまも

こいつら
ようわざわざ遊びに来てくれておりまして・・・
これはあたりまえのことではなくて・・・
相当にありがたい深いつながりなんだなあと
再確認もしました。

互いに裏切る事はないし
裏切る事が出来るはずもないし
裏切ったとしても
みんなに包まれ諭されることになるだろうし・・・

たぶんこんなんで現役引退まで・・・
いやはや痴呆症がでるようになっても・・・
つながっているような気がしますよ。


わたし牧師で
キリスト教会という共同体について考えることも職務なのですが・・・
こういう仲間たち
キリスト信仰は選んでいない仲間たちだけど・・・
でも
こんなところに教会の本来の姿みたいのを
発見したりもしています。



数年ぶりに会って
やっぱりそうだったから
びっくりしつつ幸せだったのですが
本当に
みんなを
好いている自分も発見できて・・・

次に会えるのはいつになるのだろうか・・・
いつになっても
時間の経過はあまり意味ないので
いつでもいいということでもあるけれども・・・
ぜひとも
みんな幸せでありつづけてほしいなあと

思っているのです。