きぼう屋

生きているから生きている

礼拝堂食堂化計画??

2009年06月18日 | 「生きる」こと
月、火、水

いろんなことがありました

ふたつの学校で4回の礼拝説教をさせていただき
祝されました

車で1時間ちょっと行ったところの教会から
絵本と児童書を
数千冊いただけることになったので
二日に分けてもらいにいきました

そんななかで
月曜日は子どもたちがお休みだったので
(日曜参観の振替)
家族と教会のZくんでスーパー銭湯に行きました
(言ちゃんは保育園にお願いしてしまいました)

そうしたら同じ通りのご夫婦といっしょになりました

とくに男チームは
4人の暴れん坊を見ていなければならないので
その方の目が加わってくれたのがとても助かりました

風呂を出て
近くのおおきなショッピングモールのHANAに行きました
そこには気兼ねしないでいいフードコートがあるので
そこで昼ごはんを食べました

平日の昼間にフードコートに行ったのははじめてでした
すると
その平日の風景が夜とはまったく異なり
ぼくら夫婦は感動しました

いろんなしょうがいを担う
子どもから高齢者という
あらゆる世代の人たちが
車椅子などの
それぞれ必要な器具をつけたままで
フードコートにおられました

しょうがいをもつ小さな子どもとその親たちが
丸いテーブルを囲んでいました

車椅子のおじいさんとおばあさんと
その子ども夫婦が
四角いテーブルを囲んでいました

しょうがいをもつおにいさんおねえさんと
おそらく彼らの通っているところのスタッフが
やっぱり丸いテーブルを囲んでいます

まずはじめに思ったのは
きっと彼らが気兼ねなく自由にごはんを食べられる場所
そしていつまでもおしゃべりできる場所
というのが
他にはなかなかないけれども
ここのフードコートは
そういう場所になっているんだなあ
ということでした

それはたとえば
食堂もそうですが
たぶんそれぞれ生活している家も
わたしの家と同じように
彼らを招くことができる
スペースや機能を満たすことができていない
ということもあるのだろうなあ
と思いました

またお金がないから
わりかしリーズナブルなフードコートに来ている
というわけでもなく
お金に余裕があっても
その場所に来ているという感じでした



わたしはまたまた思いました

教会の建物ってどうだろう?
礼拝堂ってどうだろう?

気兼ねせず自由に
ごちゃごちゃしたままで
さわがしいままで
祈り礼拝できる空間になっているだろうか??

わたしは
キリストの目指す場の具体として
当教会堂はフードコートに追いついていない

正直思いました


礼拝堂食堂化計画

という

一年に一度は話すわたしの夢は
こういう風景の礼拝が起こされる空間づくりでございまして

教会の中では
かなりいい線いっていると思いますが

まだまだ

であります

わたしは夢を持ち続ける決意をしたのでした


フードコートに集まっていたみなさんは
とてもいい顔してました

おしまい