きぼう屋

生きているから生きている

歴史を発見すること

2007年02月21日 | 「生きる」こと
以前の記事の中で
教会週報巻頭言をそのまま紹介しているもので
バプテストの特徴を個人主義や民主主義とするのはちょっとなあ
ということを書いて
なぜ?
と聞いてくださった方がおられました。

バプテスト誕生期のこの人はこう言っている
あの人はこう言っている

という具体的な言葉と一緒に。

私もバプテストの牧師なので、よく知っている言葉でもありました。
神と個人の魂にこだわったところの言葉や
民主制にこだわった言葉などでした。

なるほどたしかにそういう言葉を発見すると
そうなのだ!
といいたくなるけれども
でもちょっとまってみて、
その言葉が出てくる時代背景はどうだったのか
その時代、歴史家や思想家や他の宗教家は何を言っていたのか
なんてところと対話させながらすると

さらには
これはきわめて困難だけどせねばならないことで・・・
当時の言葉が残っていない人たちの言葉をどうやって聞いていくか
という地点で、有名なバプテストの先輩の言葉も聞いていくという・・・

そして実はこういうところは

ここ
という時代で、
わたしが
どれだけ隣人たちの言葉を聞くことが出来ているか
というところからくる追体験力にかかっているようなところもあり・・・

そういうのを総合的に聞いていくところから
実は歴史を発見できるという

歴史というのは
あらゆる学問の集大成というところのものであるからして・・・

すると
私はやっぱり

簡単に特徴というのはこわいなあ
それはそういう原理がほしいというのが先にないかなあ
と思うわけです。

歴史発見は
今の
隣人との関係性
それも
虐げられている人たちとの具体的関係性から
起こされる!


このことは
きわめて大切

不思議と
壮大な世界史を学ぶときに

ホームレスの仲間の言葉から見えるものがあるというか
多いのですなあ。

まあ
こういうことは
デリダやアドルノや
そればかりでなく
きっとぼくの読んだことのない色んな人が言っていることで・・・
そのコピーでしかないのですが・・・

ぜんぜん文章として成立していない本日の思いなのでした。
おしまい。