きぼう屋

生きているから生きている

聞くこと・・・さらにつづき

2009年10月10日 | 「生きる」こと
聞く能力とは壊す能力のこと

というのがよくわからない

とさらなる応答をいただきました


なるほど
そりゃあそうです
いきなりこんなこと書かれてもねえ・・・

すみません


聞くことは人を自由にします
聞くことで
その聞いた内容に吹かれるように聞いた内容を生きることができます

きっと聞くってのは他者からという方向が明確だからだと思います
それは他者と共に生きるということだし
交わりに生きることであるし

信仰的に表現するならば
これぞ
聖霊によって生きるということだからです




聞くことは交わりに生きることで聖霊に吹かれて歩むこととわかるなら

聖霊が凝り固まったさまざまを壊すのと同じくして
交わりが
すなわち他者から聞くということが
凝り固まった自分を壊してくれるわけです

よって

聞くことは壊すこと

となるわけです

これでもむずかしいねえ
たぶん


さてさて

一方でしかし

壊すことを一生懸命に語り続けるケースもあります

たとえば
批判とか相対化ということばを用いつつ


でもね
壊すことってのはそんなに語らなくていいのです
壊すためには聞けばいいのです

聞く範疇でなく
語る範疇で壊すことを語ると

その交わりの中で
聞くことのできる人たちはたしかに豊かに壊して豊かな人格となるけれども
壊す壊すといっている本人が壊すことがないということが起こります

そうすると
壊す壊すという本人とか小さなグループのいいように
交わりの中で
政治ができるということになります


だって他の人たちは壊せっていわれて素直に壊すけど
本人は壊さないから壊れてないものが浮き上がってくる!!


小泉元首相がそうでしたもんね


でもそういう交わり(教会も含めて)って結構たくさんあります


壊すってことは
ものを考え始めるときに
いわゆる概念崩しを常にするという訓練を多少すれば
その後にたくさん語る必要がないわけです

壊すことを語る暇があったら
つくられるものを語ったら言いわけです

相対化を語る暇があったら
自分の思いを語りきったらいいわけです



わたしのこの15年くらいを知っている人は笑っていると思いますが

実は
こういういわば相対化原理主義からの解放が
わたしの最近の15年の道なのです


ほんと解放されるべき!!


さて

解放されないとどうなるか

それはひとことで済ませられます


自分を美化してしか生きられなくなるということ

壊すとか相対化とか言い続けると
なぜか
自分のしてきたことを美化し
これからすることの理由を美化します

してきたこともすることも
一長一短があるのに
その短を無視するようになります

不思議??


わたしはこれに縛られてきましたから
かなり断言的にいうことができます



新自由主義は
壊すとか批判とか相対化とか個人とか語りつつ
実は壊すことなく美化するというものだと思います


というわけで

聞くことが壊すこと
ということは
聞く能力は赤ん坊からして持っているわけだから
壊すことをそんなに叫ばなくても
みんなするわけで
しかし
そういう元来の能力だからこそ
壊す!
なんていわれると変に共鳴してしまって
そう叫ぶ人についていくなんてことにもなってしまうわけですが
ゆえに利用しやすい言葉なのですが

壊したいなら
聞く

というところでいかがでしょう

ではでは