視人庵BLOG

古希(70歳)を迎えました。"星望雨読"を目指しています。
TwitterID @seibou_udoku

頭文字D その後

2005-12-15 05:57:32 | 映画・テレビ他
今年の9月に日本で公開された 頭文字[イニシャル]D THE MOVIE の中国本土の評判についての記事を見つけました。
比較文学者の張 競氏が2005年12月14日 日本経済新聞夕刊「プロムナード」 に書かれた-境界が漂流する時代― です。

~今年の初夏、ある映画が中国でブレークした。封切の初日、興行収入はいきなり七百万人民元に達し、今年の封切日の興行収入トップに躍り出た。その後も映画館の入場者数が増え続け、わずか三週間で六千万元( 約九億円弱、一元 = 一四・九円 )を記録した。
映画の題名は『頭文字 D』。アンドリュ ― ・ラウ と アラン・マック の共同監督で、香港の寶亜映画会社が制作した。従来の区分法だと、香港映画であろう。
しかし、封切発表会が行われた会場は北京飯店。最初から中国の映画市場を狙って作られたものだ。
俳優の顔ぶれを見ると、主演男優 は台湾の ジェイ・チョウ で、主演女優は日本の鈴木杏。それ以外のスタッフはいずれも台湾や香港か中国大陸の出身者である。出演者が中国語を話しているから、「華語片」つまり「中国語映画」と呼ばれている。

(中略)

高倉健主演の映画は以前から根強い人気があった。しかし、それはあくまでも日本映画として見られていた。しかし「頭文字 D 』は明らかに違う。この場合、「外国」は文化の他者として見られていない。むろん、制作者によるハイブリッド化や土着化のイメージ操作も効果があったのだろう。一方、文化消費の過程において、従来の「国民文化」の意識がかなり変わったことも明らかだ。
この現象が当面、若年層に限られている。大人たちは従来の意識がなお強いであろう。いや、若い人たちにも、ナショナリズムの感情に共鳴する人がいないわけではない。一方、違った動きがあるのも事実だ。もはや文化の越境ではなく、境界自体が漂流する時代の入口に差し掛かっているのかもしれない。~

<全文:2005年12月14日 日本経済新聞夕刊「プロムナード」 (PDF FILE 328KB)>



 中国本土を単一民族、文化の国と考えるのは無理がありますが、すくなくとも同一政治体制の中で、ここ20年間生まれ育ってきた若者にとって、前にも書いた、日本の地方都市の豆腐屋やガソリンスタンドの商売、高校生活、援交、そして勿論峠でのレースなど、「頭文字D」の世界は共感できるものなのでしょう。
それがこの映画の製作につながり、評判を得たのだと思います。

東アジアの若者にむけて、日本の庶民(?)の生活に魅力を感じ、共感を得られる原作マンガの、文化交流の意味は大きいと思います。

P.S.
頭文字[イニシャル]D THE MOVIE のDVDが来年2月に発売されるそうです。
現地語版日本語字幕スーパーで見れるとおもしろいですが。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする