むさでん業務日誌帳(改)

むら@車掌の徒然模型日記・・・・(ちょっとだけ愚痴もあるよ!)

「もみじ色」機関車のはなし・・・・

2015-01-31 16:39:22 | 工場長の独り言
1月最後の土曜日・・・ 

というより1月も今日で終わり・・・いやはや本当に早いものです。

ここ所沢の朝は昨日と一転・・・ 再び冬晴れの空が戻って来ましたが その代わり北風が強くて体感気温は温度計の数字をはるかに下回る・・・という感じ。 昨夜の焼肉臭い衣服を早々に洗濯し、ベランダに干そうとしたのが8時半のこと・・・いやいや 相当寒かったもの。

屋根上にうっすら白く積っていた雪も 陽の当たる南側のほうは午前中にすっかり溶けてくれたみたい。幸いな事に家裏の陽の当らない路地もあまり雪が積もらなかったせいか こちらも早々に溶けて無くなったようです。

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朝のうちに家事を片付けた後、今日は一日暖かい部屋で過ごす事にしました。 外の寒さもあるけれど 昨夜の暴食?のせいで お腹のほうがちょっと緩み気味だった事もありましたが・・・・(笑)。

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午後・・・パソコンで画像整理をしていたら こんな画像が出て来たのでぶら下げてみることにします。 

先日Hゴムの話にて 参考画像に掲載した「もみじ色」の機関車EF67の画像・・・ 

いずれも2004年8月 山陽本線 西条駅で撮影したものです。

まずはEF60から改造された0番台車・・・・ 0番台は1~3の3両が登場しました。

EF67 1号機・・・・

こちらはデッキのある西条側の表情・・・



デッキ付きの特徴的な姿は黒色のスカートと相まって精悍な表情をしています。

一方、こちらはノーマルな広島側の表情・・・・



テールライト脇の手摺の位置が改造時に変更されています。


この日は EF67 2号機には出逢えませんでした・・・・よって画像はありません(泣)。


EF67 3号機・・・・



先の1号機と見比べると側面のJRマークが異なっていたりする・・・・。



こうして特徴あるスタイルだった0番台車も 後継機EF210-300の登場により全機運用離脱してしまいました。

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次は追加投入された改造種車がEF65となった100番台車・・・。

ちなみにこの日は更新後の101号機には出逢えませんでした・・・(泣)。

なので先日掲載分の1990年当時の姿を再掲しておく事にします・・・。

比較用という事で 更新前の画像も必要でしょうし・・・(笑)

こちらが下り(広島寄り)の表情・・・ 改造ベース機であるEF65の趣を残しています。



こちらは上り方(西条寄り)。デッキと貫通扉が廃止され 少々おとなしい感じの表情になりました。

スカートもグレー塗装のままなので それも影響しているかもしれません・・・。




102号機以降は 更新工事後の姿を捉えたもの・・・・

広島貨物ターミナルで後補機として連結され ここ西条駅まで「後押し」をしてきた102号機。



到着後、西条駅で早々に行われる解放作業を待ちます・・・・



解放された102号機はそのまま列車を見送り 再び広島へ戻るのが日常業務・・・・。 

そのままホームで小休止していると 博多行きのブルートレイン「あさかぜ」と顔を合わせました。



特徴的なパンタグラフ付きラウンジカー スハ25-300 も懐かしいですね・・・・



広島-西条間を行き来するだけのEF67も もっと何処かへ走りたい事でしょう・・・



こちらは103号機・・・・



100番台では西条寄りのデッキと貫通扉が廃止されましたがスカート形状が独特なものに変わっています。

104号機・・・・

こちらは西条寄りの表情・・・・



こちらは広島寄りの表情・・・・



この当時、100番台車は更新工事によりパンタグラフがシングルアーム式のものに交換されていましたが 何かと不具合を生じたようで その後 再び下枠交差タイプのPS22Bに戻されています。 ここに出てくる100番台車はいずれもシングルアームパンタを搭載している頃のものなので 今となっては ある意味レアなものとなりました。

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この日は101号機と105号機には出逢えず 全機のコンプリート達成は叶いませんでしたが 反面0番台車に出会えたのはラッキーだったというべきでしょう。

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以上、今日は思い付きでEF67の画像をぶら下げてみました・・・。

かつては「東の箱根」、「西の瀬野八」といわれた鉄道の難所でしたが 関東人の自分にとっては 山越えの補機運用というと 真っ先に思い浮かべるのは碓氷峠・・・。 西の難所「セノハチ」というところは 実際に訪れてみるまで全く想像出来ませんでした。 まあ、年齢的に蒸気機関車時代は無理としても EF59全盛の頃に一度訪問していたら「セノハチ」も今とは違った印象になっていたかもしれません・・・。

それにしても「山越え」というものは鉄道の中でも 特にドラマチックなシュチュエーションと思えるのは自分だけではないでしょう。今現在も補機運用を必要とする「セノハチ」・・・かつて実施されていた走行中の解放作業は無くなってしまいましたが 山陽本線という大幹線の中での補機仕業は未だに色褪せない魅力を感じます。もっとも 今では新鋭EF210-300を撮る事が目的だったりするけれど・・・・(笑)。