むさでん業務日誌帳(改)

むら@車掌の徒然模型日記・・・・(ちょっとだけ愚痴もあるよ!)

歓喜・・・! だけど複雑だ・・・。

2013-12-07 18:08:00 | 工場長の独り言

昨夜の忘年会から一夜明けた土曜日の朝・・・ 意外と早起き出来ました。 ま、2次会で切り上げて 何とか午前様?にならずに帰宅したのが良かったのかも・・・。 けれど 結局寝床に就いたのは本日未明の午前2時・・・、正直 あまり寝てないのかな?

そんな事で まずはパソコンを立ち上げてメールチェックから・・・・ このところ 再び迷惑メールが増えてきたようで この削除作業が面倒だったりするのです。 一応メールフィルターは機能しているようだけど 毎日毎日 頭の悪そうな文章が綴られているメールには もう飽き飽きです・・・・。 

ちなみに うちのパソコンに入ってくる迷惑メール ベスト3というと・・・

第1位: 全ての有料放送が無料で観れるB-CAS カードの販売勧誘

第2位: スマホ発信と思われる援交・セフレ募集の糞メール・・・

第3位: 相変わらずのロト6攻略情報&競馬予想・・・・

B-CASカードの改造・販売は明らかな犯罪行為・・・・ デジタル放送機器に付属のB-CASカード、このカードの所有者は機器購入者では無く 日本○○放送協会というところらしいです・・・ネットで調べてみると この辺のからくりが良く判ります・・・。

また、援助交際とかセフレ募集・・・「本当にそんなヤツ居るの?」という事です。「報酬あり」ってのも 「ん・・・?」と思ってしまうもの。 ただ、この手のメールには非常に手の込んだ文章のものもあって 時には笑ってしまいます。 ま、一言でいうと「そんなヤツ 居ねえよっ!」って事です。

最後のロト6と競馬予想・・・ 自分はギャンブルには一切興味が無いので その意味が判らない・・・ 情報を信じるも信じないも そこがギャンブルと思うのです。 あ~っ、もう要らない。

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と・・・ 話が横に逸れてしまったけれど 今日の話題はこれに尽きます。

KATOの2014年新製品に西武5000系がラインナップ・・・!

「ええ~っ!一昨日 GMの板キットを予約したばかりなのに・・・」 いや~っ、何とも嬉しいニュースではあるけれど 複雑な気持ち・・・。一昨年の旧101系の製品化が発表された時、それはそれで驚嘆したものですが いやはや5000系に続くとは・・・。地元 西武ファンとして 無論 速攻で2セット予約を入れてしまいました。 GMキットのほうは・・・・ ま、あれは板キットですから製作過程で色々と楽しめるだろうから それはそれで活用出来そうだし。

まあ、来年2014年は西武秩父線も開通45年を迎える訳で・・・ そう、自分と同じ昭和44年に生まれた同期の車両。 自分の中では 地元の電車という事以上に鉄道趣味の原点のひとつであったかもしれません。 そういえばピクトリアル別冊の西武特集( このブログにある「今読んでいる本」のところにあるやつ)の記事にあった 天皇陛下(当時の皇太子殿下)が狭山湖へ来られた時、狭山線へ初入線したレッドアローの事を 僅かではあるけど憶えています・・・(学習院の遠足という事ではなかったかな?)。文献から1975年5月の事というのが判明・・・、自分は入学間もない小学校1年生だったんだね。 御乗用列車を観たのか・・・ それとも事前の試運転列車を観たのかは判りませんが 当時の狭山線といったら 自宅に程近い下山口駅も開業前・・・、走る電車といえば湘南フェイスのクモハ351+クハ1411の2連が中心・・・、時に451系等も入線してきたけど いわゆる赤電全盛期。 下山口駅が無かった頃は狭山線の本数も少なかった(当時は30分間隔ぐらいか?)し、何より駅が無いから 所沢までのお出掛けは西武バスしか無かった時代の事・・・(う~ん、所沢17系統が懐かしい・・・立川13系統もあったっけ)。ゆえに電車はただ眺めるだけで利用する事は殆ど無かったのです・・・・。

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窓から眺める2両の電車・・・ 子供ながらに古臭い感じがしたものです。重苦しく、時には悲鳴にも聴こえる吊り掛けモーターの走行音とAK3コンプレッサーの音は 今でも懐かしく憶えている・・・・。 そんな狭山線に突如として現れた 綺麗な電車・・・、塗り絵絵本や図鑑でしか見る事の無かった西武特急レッドアロー号。 小学1年生の自分には なぜこの電車が狭山線に来たのだろう?なんて 知る由もありません・・・。

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下山口駅が開業したのはその翌年の1976年6月4日・・・、 それからというものの 所沢市内への買い物等、電車を使う事が多くなり・・・・さらには1979年 西武ライオンズの誕生とともに 狭山線も劇的な変貌を遂げていくのでありました。西武球場でのプロ野球以外にも コンサートやイベント開催等で本線系統の車両乗り入れも頻度に行われ 臨時ではあるものの 5000系の臨時列車も運転させるようになりました。 

やがて 日本シリーズ覇者となり、常勝球団となったライオンズ・・・・・、その一方で 地元では常態化した所沢市内の道路混雑により長年親しんだ所沢駅前東口行きの路線バスも廃止に至ってしまいました。

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と・・・・ 5000系レッドアローの想い出を紐解いてみたら想定外に話題が広がってしまいました。 昭和40年代に誕生した鉄道車両って 国鉄・私鉄を問わず どこか温かみのあるデザインが多いのです。 アルミやステンレス製車体全盛の現在とは異なる 特徴的なカラーリングを纏った車両たち。 当時は「質より量」と云われていた西武鉄道にとって 秩父線の開通に合わせて登場した5000系レッドアロー号は まさしく西武鉄道のフラッグシップだったのです。

う~ん、早くKATOの5000系にお目に掛りたいもの・・・

どうぞ宜しくお願いしたいものです・・・・。