昨夜、テレビのニュース番組でかなり長い時間をかけて扱っていました。
朝刊の社会面でもかなり大きく紙面を割いています。
東京都のある養護学校(現、特別支援学校)に、東京都の議員さんが訪れ、
そこで行なわれていた「性教育」にかんして、
「行きすぎだ。」「先生の感覚が麻痺している。」と批判し、
更にそのことで、教育委員会が教諭達に厳重注意したことの正当性が問われる裁判で、
東京地裁の裁判官は、教諭側に理があるという判決を下したそうです。
テレビでは、その視察の時(2003年)に、強い批判の元になり、
その後禁じられた、「体の部分の名前を覚える歌」と
「体の構造を教える人形」も紹介されていました。
「言葉」の覚えや、体の感覚が持ちにくい特性の子ども達に、
歌と、振り付けを使って、
「頭、頭、頭の下には首がある。首のしたには肩・・・」
というような歌って、日本語でも英語でも良くあるでしょ。
その中に、「おっぱい」とか「ワギナ」とかという言葉が混ざってる感じ。
人形も、そんなにシュールな感じはしない布の人形の
女性の体から、赤ちゃん人形がひも付き(たぶんへその緒を模しているんでしょうね)で
でてくるもの。
テレビ局が、放送をためらわなかった程度の物ですから、
「非常識!」
とか
「先生方はおかしいと思わないんですか!」
とかとヒステリックに取り上げるほどの物ではなかったのではないのかと思うけど、
実際には、これらの写真や言葉を取り上げて、
「教育現場の性教育はこんなにおかしい!」
というキャンペーンを張っていたのは、私もうっすら記憶してます。
地下鉄の中吊りとかで、よく取り上げられていましたし、
国会でも取り上げる議員さんがいましたわ。そういえば・・。
この養護学校で、このようにていねいな「性教育」が行なわれるようになった背景には、
過去にその学校の男子高校生と女子中学生が、学校で性行為を行なっていたという事があったからだそう。
しかもそれは、女子が小学生の頃からはじまっていて、その事を子どもは
「今日、○君と遊んだ。」
と日記に書いていたのだそうだ。
この子達以外にもそのような行為をしていた子供がいたとわかって、
先生方と親の「性教育」に関する試行錯誤は続いたのだそうだ。
先生や親が教えなければ、一生「性行為」と無縁だというのなら、
余計な事は教えない方がいいという考えかたもあるのかもしれない。
(私はそうも思わないが・・)
でも、現実問題、そうはいかないでしょ。
子ども達が将来「不幸な出会い」をしないように、
自分の体を大事にする事、自分の心を大事にする事を
教えていかなきゃいけない。
そういえば、きっと
「だからって、小学生から見せる事ではないでしょ。」
という反論が帰ってきそうだけれど、
では、いつからならいいのでしょう。
「子どもが成長して、自然と理解力が育ってから。」
と言われても、
20代になっても小学校高学年程度の言語理解力がつかない子もいるということを
どう捉えるのだろう。
「性行為」は、「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」とは違うのだということ。
「命」を生み出す事につながる大事な行為だということ。
そして、自分の体を、相手の体を傷つける可能性もあるのだということ。
「ちょっと話せばすぐわかる」
わけではない子ども達にどうやってそれを伝えていくか。
親も、先生も、必死で考えているのです。
視察でちょっと聞いただけの「歌」の文言や、
人形の形だけを見て、そこまで想像をいたさなかった議員さんは、
今度の判決からしっかりと学んで欲しい。
議員さんに言われたからって、教員が悪い事にして逃げてしまう
教育委員会の方々ももうちょっとしっかりして欲しい。
そして・・・
我が家でも、やはりこの問題は避けて通れないのです。
朝刊の社会面でもかなり大きく紙面を割いています。
東京都のある養護学校(現、特別支援学校)に、東京都の議員さんが訪れ、
そこで行なわれていた「性教育」にかんして、
「行きすぎだ。」「先生の感覚が麻痺している。」と批判し、
更にそのことで、教育委員会が教諭達に厳重注意したことの正当性が問われる裁判で、
東京地裁の裁判官は、教諭側に理があるという判決を下したそうです。
テレビでは、その視察の時(2003年)に、強い批判の元になり、
その後禁じられた、「体の部分の名前を覚える歌」と
「体の構造を教える人形」も紹介されていました。
「言葉」の覚えや、体の感覚が持ちにくい特性の子ども達に、
歌と、振り付けを使って、
「頭、頭、頭の下には首がある。首のしたには肩・・・」
というような歌って、日本語でも英語でも良くあるでしょ。
その中に、「おっぱい」とか「ワギナ」とかという言葉が混ざってる感じ。
人形も、そんなにシュールな感じはしない布の人形の
女性の体から、赤ちゃん人形がひも付き(たぶんへその緒を模しているんでしょうね)で
でてくるもの。
テレビ局が、放送をためらわなかった程度の物ですから、
「非常識!」
とか
「先生方はおかしいと思わないんですか!」
とかとヒステリックに取り上げるほどの物ではなかったのではないのかと思うけど、
実際には、これらの写真や言葉を取り上げて、
「教育現場の性教育はこんなにおかしい!」
というキャンペーンを張っていたのは、私もうっすら記憶してます。
地下鉄の中吊りとかで、よく取り上げられていましたし、
国会でも取り上げる議員さんがいましたわ。そういえば・・。
この養護学校で、このようにていねいな「性教育」が行なわれるようになった背景には、
過去にその学校の男子高校生と女子中学生が、学校で性行為を行なっていたという事があったからだそう。
しかもそれは、女子が小学生の頃からはじまっていて、その事を子どもは
「今日、○君と遊んだ。」
と日記に書いていたのだそうだ。
この子達以外にもそのような行為をしていた子供がいたとわかって、
先生方と親の「性教育」に関する試行錯誤は続いたのだそうだ。
先生や親が教えなければ、一生「性行為」と無縁だというのなら、
余計な事は教えない方がいいという考えかたもあるのかもしれない。
(私はそうも思わないが・・)
でも、現実問題、そうはいかないでしょ。
子ども達が将来「不幸な出会い」をしないように、
自分の体を大事にする事、自分の心を大事にする事を
教えていかなきゃいけない。
そういえば、きっと
「だからって、小学生から見せる事ではないでしょ。」
という反論が帰ってきそうだけれど、
では、いつからならいいのでしょう。
「子どもが成長して、自然と理解力が育ってから。」
と言われても、
20代になっても小学校高学年程度の言語理解力がつかない子もいるということを
どう捉えるのだろう。
「性行為」は、「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」とは違うのだということ。
「命」を生み出す事につながる大事な行為だということ。
そして、自分の体を、相手の体を傷つける可能性もあるのだということ。
「ちょっと話せばすぐわかる」
わけではない子ども達にどうやってそれを伝えていくか。
親も、先生も、必死で考えているのです。
視察でちょっと聞いただけの「歌」の文言や、
人形の形だけを見て、そこまで想像をいたさなかった議員さんは、
今度の判決からしっかりと学んで欲しい。
議員さんに言われたからって、教員が悪い事にして逃げてしまう
教育委員会の方々ももうちょっとしっかりして欲しい。
そして・・・
我が家でも、やはりこの問題は避けて通れないのです。