今日、「軽度知的障害の方のバスケットボールのナショナルチーム」を率いる方の講演記録を読みました。
世界大会に出場するための線引きとして、IQが70以下であることのほかに、どこで検査をしたかとか、その時の状況はどうだったかとか・・非常に細かい諸々質問事項のある書類の提出をしなければいけないそうなので、IQ70がただ一つの線引きのものさしとはいえないのだけれど、
「のんびり娘も、範疇にはいっているのだなぁ・・」
と、改めて思いながら読みました。
その方が指導を引き受けた最初の練習の時、
「練習始めるよ」
とかけた声に誰も反応せず。
続けて促すと、
ベンチに座った両足を、そのコーチに向かってつきだしたそう。
靴ヒモを結んでもらって、
さぁやりましょうと、コートに押し出してもらって初めて練習となる
という状況に、それまで「軽度の知的障害」ということに
まるきり知識のなかったその方は、かなり驚かれたそうです。
ここまで読んで、
「のんびり娘、靴紐は自分で結んでるな。テニス部でしごかれているから、
『やってもらうのが当たり前』にはなっていないな・・。」
と、やはり娘に置き換えて考えている自分がいました。
昼間、仕事をしている人が少ないから、
夜ダラダラとおきている。好きなときに好きなように物を食べるから
体は肥満傾向で、筋力もない。
その状況から、まずは朝起きて食事をとらせる事からはじめ、
食事の時も、ただ機械的に食べるのではなくて、
他の人と会話したり、
「美味しいのかどうか考えて食べ、美味しいと思ったらそれを作った人に伝えること」
を教えながら生活をともにされたそうです。
そうして、徐々に選手も育ち、なかにはかなりの運動能力を見せる子もでるようにな ってきたそうですが、その状況をどう維持させるのかが、また課題だという事です。
その方が、グループホームの長として一緒に生活をしていた間は、メリハリのついた 毎日を過し、選手して力をつけていた子(といっても、年齢的にはもう大人の範疇で すね)が、ホーム長を辞めて、練習の場でのみ関わりをもつようになったら、また元 のような生活になって、いつの間にか筋力な どの運動能力が衰えていってしまっ たとか・・。
つまり、「先を見据えて自分をコントロールする力」が大事だっていうことですよね。
これを、『真面目かどうか』とか『努力家かどうか』とかといった「性格」の問題と捉えてしまう人も多かろうと思うのですが、やはり『能力』の問題も大きくからんでいるなぁと思うのです。
『先を見据える』つまり「予測をたてる」力というのは、やはりある程度脳みそが育っていないとついてこないと思うんですね。
『予測する』ためには、これまでの自分の経験を蓄積し、分析し、そうして『今後予想されること』がイメージできるわけです。
『蓄積』や『データの整理』『分析』するところの動きが悪ければ、必然的に滞りがでるわけですよね。
さて、そこをどうするか。鬼母最大の悩みであります。
のんびり娘、『頑張る力』『続ける力』『規則的なものを守る力』は持っています。
しかし、「自分の経験を整理して次につなげる力」とか「客観的な分析力」というのは
やはり弱い。
なので、「目的に向かうために何が必要なのか」といった事を組み立てる力も弱いのです。目先の刺激(嫌な事。嫌な思い)に気をとられてしまう。
これを「遅れ」と捉え、「鍛えるうちに身についてくる」と判断すべきなのか、
「障害」と捉え、「別の手を考える」べきなのか、
私自身、答えをいまだ持ってはいません。
ただ、
「別の手」を考えるのはもう少しあとでも構わないだろう。
「鍛える」事が出来るのは今のうちじゃないのかな。
と思うので、確証なんてないまま突き進んでいるわけです。
世界大会に出場するための線引きとして、IQが70以下であることのほかに、どこで検査をしたかとか、その時の状況はどうだったかとか・・非常に細かい諸々質問事項のある書類の提出をしなければいけないそうなので、IQ70がただ一つの線引きのものさしとはいえないのだけれど、
「のんびり娘も、範疇にはいっているのだなぁ・・」
と、改めて思いながら読みました。
その方が指導を引き受けた最初の練習の時、
「練習始めるよ」
とかけた声に誰も反応せず。
続けて促すと、
ベンチに座った両足を、そのコーチに向かってつきだしたそう。
靴ヒモを結んでもらって、
さぁやりましょうと、コートに押し出してもらって初めて練習となる
という状況に、それまで「軽度の知的障害」ということに
まるきり知識のなかったその方は、かなり驚かれたそうです。
ここまで読んで、
「のんびり娘、靴紐は自分で結んでるな。テニス部でしごかれているから、
『やってもらうのが当たり前』にはなっていないな・・。」
と、やはり娘に置き換えて考えている自分がいました。
昼間、仕事をしている人が少ないから、
夜ダラダラとおきている。好きなときに好きなように物を食べるから
体は肥満傾向で、筋力もない。
その状況から、まずは朝起きて食事をとらせる事からはじめ、
食事の時も、ただ機械的に食べるのではなくて、
他の人と会話したり、
「美味しいのかどうか考えて食べ、美味しいと思ったらそれを作った人に伝えること」
を教えながら生活をともにされたそうです。
そうして、徐々に選手も育ち、なかにはかなりの運動能力を見せる子もでるようにな ってきたそうですが、その状況をどう維持させるのかが、また課題だという事です。
その方が、グループホームの長として一緒に生活をしていた間は、メリハリのついた 毎日を過し、選手して力をつけていた子(といっても、年齢的にはもう大人の範疇で すね)が、ホーム長を辞めて、練習の場でのみ関わりをもつようになったら、また元 のような生活になって、いつの間にか筋力な どの運動能力が衰えていってしまっ たとか・・。
つまり、「先を見据えて自分をコントロールする力」が大事だっていうことですよね。
これを、『真面目かどうか』とか『努力家かどうか』とかといった「性格」の問題と捉えてしまう人も多かろうと思うのですが、やはり『能力』の問題も大きくからんでいるなぁと思うのです。
『先を見据える』つまり「予測をたてる」力というのは、やはりある程度脳みそが育っていないとついてこないと思うんですね。
『予測する』ためには、これまでの自分の経験を蓄積し、分析し、そうして『今後予想されること』がイメージできるわけです。
『蓄積』や『データの整理』『分析』するところの動きが悪ければ、必然的に滞りがでるわけですよね。
さて、そこをどうするか。鬼母最大の悩みであります。
のんびり娘、『頑張る力』『続ける力』『規則的なものを守る力』は持っています。
しかし、「自分の経験を整理して次につなげる力」とか「客観的な分析力」というのは
やはり弱い。
なので、「目的に向かうために何が必要なのか」といった事を組み立てる力も弱いのです。目先の刺激(嫌な事。嫌な思い)に気をとられてしまう。
これを「遅れ」と捉え、「鍛えるうちに身についてくる」と判断すべきなのか、
「障害」と捉え、「別の手を考える」べきなのか、
私自身、答えをいまだ持ってはいません。
ただ、
「別の手」を考えるのはもう少しあとでも構わないだろう。
「鍛える」事が出来るのは今のうちじゃないのかな。
と思うので、確証なんてないまま突き進んでいるわけです。