昨年度、「ここは動物園かい・・・」という状況だった現2年生が、
すっかり「人間」らしくなった一方で、
昨年度、色々な特性を持った子ども達を抱えながらも、
夫々が、それほど窮屈に感じる事もなく、
「人間ルール」でやってきた学年だった現三年生の1クラスが
「ここは、動物園かい・・・」
になってました。
担任の先生はどちらも若い男の先生。
前述の二年生は、採用試験合格前(今年度無事合格して採用決まりました)の講師。
この三年生のクラス担任は試験に合格して採用された新卒の先生。
ころっとした体形もちょっと似ています。
どちらの学年にも、支えてくれる優秀な主任先生がいて、
教えてもらえる土壌はあったと思うのですが、
1年経ってみると、大きな違いになっていました。
今年度、私は3年生を見ていないので、何がどうしてこうなったのか、
詳細に分析することは難しいですが、
教室の横を通りかかるときに目にする光景から、想像のつくところはあります。
昨年度の1年3組と同じ様に、教室に担任の先生がいるはずなのに、
存在が感じられず、入ってみると、隅でひとり二人の子供たちと
話し合っているという様子が良くみられました。
その場所は、教室内だったり、教室横の階段だったり、トイレの前だったり、
とにかくよく子ども達とお話をする先生だという印象です。
一方で、この先生が教室の前にたって指示を出しているときの様子も
廊下からチラッとお見かけするのですが、届きません。
先生の指示の仕方がどうのという前に、子ども達が少しも聞こうとしていない。
これも、昨年度の1年3組と同じです。
そして、最初は「担任の先生」に対してだけだったその態度、
その感覚がどんどん拡がって、どの先生に対しても、
保護者に対しても(今年に入ってから、保護者の方も交代で見守りにきてくれています)同じ様に「聞かない、関係ない」という態度になっています。
これも、同じですね。
これは、以前ベテランの先生が音楽の新任の先生にお話していた内容ともつながると思うのですが、「個」に拘りすぎる事が、かえってマイナスに働くという面があるのではないのでしょうか。
昨年度の1年3組の先生も、ことしのこの三年生の担任の先生も、どちらも
「子どもの話しを、子どものところに行って、じっくりと良く聞く」先生です。
子どもの気持に沿って、「すぐに」「その場で」対応してあげる。
一見すると、教師として非常にいい資質のように思えます。
でも、これが「落とし穴」なんだと思います。
例えば、授業が始まる時に机に突っ伏して泣いている子がいるとします。
今うまくクラスを回している先生の場合、
「どこか痛い?」「保健室に行く?」
とは聞きますが、それ以上の詳しい話は、
「じゃぁ、後で詳しく聞くからね。」
と、授業に入ります。
その場で全てを片付けようとはせず、予定通りに
淡々と授業を進める方向で動きます。
クラスがガチャガチャになってしまった二人の先生は、
泣いている子がいたら、その原因やその子の気持ちを
全部その場で聞き取ってあげようとします。
相手がいる場合は、相手の言い分もでてきますから、
授業開始時間になっても、なかなか子どものそばを離れられません。
事が起こると、とにかくそこで解決しようとするんです。
その間、対照となる2,3人以外の子供達はすることがありません。
そこでまた、トラブルが起きたりして、なかなか予定通りに事が運ばなくなるのです。
このような状況が続くとどうなるか。
子ども達は、周囲の状況より自分の感情を優先させるようになるんですね。
授業内でも、自分がしたいこと、自分の思う事が優先されると錯覚する。
一人二人が、個の持つ特性として、そういう動きをするのなら、
集団の力で少しずつ周りに合わせる事を学んでいけるのだけど
(特性を持つ子の多い学年でしたが、1,2年時はそうやって過してきたのでトラブルは少なかったんですね)、
それが、全体に及んでしまうと、これはもう
「もぐらたたき」の世界に行ってしまうわけです。
「木を見て森を見ず」
人間、特に子どもの場合は、「個を大切に」という観点から
「木」に目が行きがちです。
でも、どんなに一本ずつの木に手をかけても、
「森」が豊かに育っていかないと、
地面の水はけが悪くなって根腐れしたり、
背丈のまだ低い「木」に光が届かなくなったりして、
結局「木」の育ちが悪くなってしまう。
集団を集団として動かすために、規律を作るのではなくて、
個を生かすために集団の力を育てておく。
目先の事に「反応」するのではなくて、この子達が育っていく過程で、
今身につけておいたらいいものはなんなのか、
それを身につけていく道筋に乗せるのには、
どんなクラス作りをしていったらいいのか、
そういう視点を、特に若い先生方に持っていただきたいなと思います。
ちなみに、2年生の先生は
「後で聞くね」
と言ったら、必ずちゃんとそうしています。
授業前の気がせく時にいい加減に聞くのではなくて、
時間をとってしっかり話すことで、
引き金になったお友達とのトラブルだけでなく、
例えば、
「朝ご飯食べられなくてイライラしてた」とか、
「このところ、何日も嫌な事言われてたのに言い返せなかった」とか、
本当にその子が言いたい事がポロっとでてくるという面もあるわけで、
「その場で」「すぐに対応」ばかりがいいことではないなと思います。
すっかり「人間」らしくなった一方で、
昨年度、色々な特性を持った子ども達を抱えながらも、
夫々が、それほど窮屈に感じる事もなく、
「人間ルール」でやってきた学年だった現三年生の1クラスが
「ここは、動物園かい・・・」
になってました。
担任の先生はどちらも若い男の先生。
前述の二年生は、採用試験合格前(今年度無事合格して採用決まりました)の講師。
この三年生のクラス担任は試験に合格して採用された新卒の先生。
ころっとした体形もちょっと似ています。
どちらの学年にも、支えてくれる優秀な主任先生がいて、
教えてもらえる土壌はあったと思うのですが、
1年経ってみると、大きな違いになっていました。
今年度、私は3年生を見ていないので、何がどうしてこうなったのか、
詳細に分析することは難しいですが、
教室の横を通りかかるときに目にする光景から、想像のつくところはあります。
昨年度の1年3組と同じ様に、教室に担任の先生がいるはずなのに、
存在が感じられず、入ってみると、隅でひとり二人の子供たちと
話し合っているという様子が良くみられました。
その場所は、教室内だったり、教室横の階段だったり、トイレの前だったり、
とにかくよく子ども達とお話をする先生だという印象です。
一方で、この先生が教室の前にたって指示を出しているときの様子も
廊下からチラッとお見かけするのですが、届きません。
先生の指示の仕方がどうのという前に、子ども達が少しも聞こうとしていない。
これも、昨年度の1年3組と同じです。
そして、最初は「担任の先生」に対してだけだったその態度、
その感覚がどんどん拡がって、どの先生に対しても、
保護者に対しても(今年に入ってから、保護者の方も交代で見守りにきてくれています)同じ様に「聞かない、関係ない」という態度になっています。
これも、同じですね。
これは、以前ベテランの先生が音楽の新任の先生にお話していた内容ともつながると思うのですが、「個」に拘りすぎる事が、かえってマイナスに働くという面があるのではないのでしょうか。
昨年度の1年3組の先生も、ことしのこの三年生の担任の先生も、どちらも
「子どもの話しを、子どものところに行って、じっくりと良く聞く」先生です。
子どもの気持に沿って、「すぐに」「その場で」対応してあげる。
一見すると、教師として非常にいい資質のように思えます。
でも、これが「落とし穴」なんだと思います。
例えば、授業が始まる時に机に突っ伏して泣いている子がいるとします。
今うまくクラスを回している先生の場合、
「どこか痛い?」「保健室に行く?」
とは聞きますが、それ以上の詳しい話は、
「じゃぁ、後で詳しく聞くからね。」
と、授業に入ります。
その場で全てを片付けようとはせず、予定通りに
淡々と授業を進める方向で動きます。
クラスがガチャガチャになってしまった二人の先生は、
泣いている子がいたら、その原因やその子の気持ちを
全部その場で聞き取ってあげようとします。
相手がいる場合は、相手の言い分もでてきますから、
授業開始時間になっても、なかなか子どものそばを離れられません。
事が起こると、とにかくそこで解決しようとするんです。
その間、対照となる2,3人以外の子供達はすることがありません。
そこでまた、トラブルが起きたりして、なかなか予定通りに事が運ばなくなるのです。
このような状況が続くとどうなるか。
子ども達は、周囲の状況より自分の感情を優先させるようになるんですね。
授業内でも、自分がしたいこと、自分の思う事が優先されると錯覚する。
一人二人が、個の持つ特性として、そういう動きをするのなら、
集団の力で少しずつ周りに合わせる事を学んでいけるのだけど
(特性を持つ子の多い学年でしたが、1,2年時はそうやって過してきたのでトラブルは少なかったんですね)、
それが、全体に及んでしまうと、これはもう
「もぐらたたき」の世界に行ってしまうわけです。
「木を見て森を見ず」
人間、特に子どもの場合は、「個を大切に」という観点から
「木」に目が行きがちです。
でも、どんなに一本ずつの木に手をかけても、
「森」が豊かに育っていかないと、
地面の水はけが悪くなって根腐れしたり、
背丈のまだ低い「木」に光が届かなくなったりして、
結局「木」の育ちが悪くなってしまう。
集団を集団として動かすために、規律を作るのではなくて、
個を生かすために集団の力を育てておく。
目先の事に「反応」するのではなくて、この子達が育っていく過程で、
今身につけておいたらいいものはなんなのか、
それを身につけていく道筋に乗せるのには、
どんなクラス作りをしていったらいいのか、
そういう視点を、特に若い先生方に持っていただきたいなと思います。
ちなみに、2年生の先生は
「後で聞くね」
と言ったら、必ずちゃんとそうしています。
授業前の気がせく時にいい加減に聞くのではなくて、
時間をとってしっかり話すことで、
引き金になったお友達とのトラブルだけでなく、
例えば、
「朝ご飯食べられなくてイライラしてた」とか、
「このところ、何日も嫌な事言われてたのに言い返せなかった」とか、
本当にその子が言いたい事がポロっとでてくるという面もあるわけで、
「その場で」「すぐに対応」ばかりがいいことではないなと思います。