清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

御教歌  たらちねの ふところといふ こともしらず  乳をのみつゝぞ やしなはれける

2015年01月28日 | ご法門

御妙判(日蓮聖人の御指南。御抄名=上野殿御消息)

三世の諸仏の世に出させ給ても、皆皆四恩を報ぜよと説き、三皇・五帝・孔子・老子・顔回等の古の賢人は四徳を修せよと也。

四徳と者、一には父母に孝あるべし。二には主に忠あるべし。三には友に合て礼あるべし。四には劣れるに逢て慈悲あれと也。

一に父母に孝あれとは、たとひ親はものに覚えずとも、悪さまなる事を云とも、聊かも腹も立ず、誤る顔を見せず、

親の云事に一分も違へず、親によき物を与へんと思て、せめてする事なくば一日に二・三度えみ(笑)て向へと也。

(中略)

仏教の四恩者(とは)、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。

一に父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二体和合して我身となる。母の胎内に宿る事二百七十日九月の間、三十七度死るほどの苦みあり。

生落す時、たへがたしと思ひ念ずる息、頂より出る煙り梵天に至る。さて生落されて乳をのむ事一百八十余石。

三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば、先づ此父と母との恩を報ずべし。

父の恩の高き事須弥山猶ひくし。母の恩の深き事大海還て浅し。相構て父母の恩を報ずべし。


先住・日豊上人が、よくご法門でお説き下さった日蓮聖人のお言葉です。親の恩に報いるということ。

一日のうちに、2度でも3度でも、笑顔で接するだけで、お慶びいただけると。。。

もう。本当に、その通りです。母うえ様。いつもありがとうございます。

m(_ _)m


御教歌  たらちねの  ふところといふ  こともしらず  乳をのみつゝぞ  やしなはれける


 仏さまは、一切衆生の親であり、全てに大きな慈悲の心をもって、「本門の大法・上行所伝のお題目」をお伝え残し下さいました。

ボクらは、そんなことはなにも知らなくても、教義、因縁に疎くても、

だたお唱えするだけで、赤ちゃんがミルクで養われるように、罪障が消滅して功徳を積めると教わりました。

そして、ミルクをのむように「無心で」「一心に」唱えかさねることが、親に笑顔をたむけるが如く、仏祖への大恩報謝になるというのです。

 


ご教歌  をしなべて 一味の雨(いちみ・の・あめ)は そゝげども 沾ふかたは おのがさまざま

2015年01月24日 | ご法門

ご教歌  をしなべて 一味の雨(いちみ・の・あめ)は そゝげども   沾ふかたは おのがさまざま


 大 意  

ご法さまは、一切衆生(生きとし生けるもの。たましい。)に対して、平等に慈悲の心を注いで下さいます。

私たちは、もっている因縁によって、多く恩恵をうけたり、またその逆だったりします。

信力をおこして、「みほとけの大慈悲」を、しっかりといただくことができるように、思いをおこし信行に気張ることが肝心です。


大きな樹木は沢山の雨水を吸収します。

草花はその大きさによって、雨の恩恵を受けます。

目には見えないけど、大小さまざまな、ご因縁があります。

過去世からの因縁。

そして、いま、どういう心持ちで、どんな行いをしているか。。。

慈悲のあふれる菩薩の境地は、「大きな樹木」で、多くのご守護をいただくことになる。

仏さまのお心をまねて、すなわち、信じて、そして敬って。

慈悲の雨の恩恵が、たくさん降ってきますように。。。

 


ご教歌  わがつみの きゆるよすがと 唱ふるや 妙のみ法の こゑぞ たのしき

2015年01月24日 | ご法門

ご教歌 わがつみの きゆるよすがと 唱ふるや 妙のみ法の こゑぞ たのしき


 【御題】 人の唱題するを聴て


【大意】( 日晨上人「御法門のかなめ」より )

私どもの罪障の本は、妙法に背いた所から起こりました。

ですからその罪障を断ち切るのには、妙法の信心をささげるより他に、道がないのであります。

唯一絶対の、罪障消滅の道を教わって、妙法口唱に励んでいる身は果報者であります。

そう信じられると口唱が楽しく、勇ましく進みます。

そういう信者の心になるようにとお示しの御教歌です。


 よすが = ①身のより処とすること。 ②手がかり。手だて。方法。 

(類似語)頼り。頼み。


 お看経が楽しく、ありがたい。

おすがり申し上げるという「心」になっている。

そして、人がお唱えするお題目の音声も「ありがたい」と、喜べる心持ち。


 【御指南】口唱に励まざれば罪滅の道なし。罪滅せざれば所願成就せず。故に励むべし。


ご教歌  法の友 同じこころの まじはりは  いつはりがちの ふるまひなせそ

2015年01月23日 | ご法門

ご教歌  法の友 同じこころの まじはりは  いつはりがちの ふるまひなせそ


大 意

佛立宗門人はすべて、仏祖の「みおしえ」の下に集い、ひとつになってご弘通に励むべきもの。

おしえを信じて、それを守るという結束。同じ志を持つもの同士の「和」、すなわち、異体同心です。

それが、凡夫の本能で欲得が優先し、結果として「うそ」や「あざむき」に至ってしまったり、

ご法や人を「軽しめる」「おとしめる」ような結果となる振る舞い(言動)は、決して、してはならない。


 信:しん。(呉音・漢音)まこと。(訓)

信は、「あざむかないこと。いつわらないこと。忠実なこと。まこと。疑わないこと。信頼すること。」

俗に、うそかまことか、などと申します。「うそがない」のが、信。

簡単なのですと、

「おーい。あれ、やったか?」

「いまからやろうと思ってたんじゃないか!わかってるんだよ!うるせーな。」

こんなのは、やはりうそ。まぁ、かわいいもんですが。。。

世の中いろんなうそがある。それを、させない。見逃さない。任せっきりにしない。

特に、宗門人は、同じこころざしの下に集まった仲間です。

「いつわり=凡夫の本能から出てくる悪い心」を戒めていきたいものです。


しん【信】

一、( 名 )

 ① あざむかないこと。いつわらないこと。忠実なこと。まこと。儒教では五常の一つとされる。

 ② 疑わないこと。信頼すること。信用。 「 -を失う」

 ③ 宗教に帰依すること。また,信仰する心。信心。 「 -をおこして,戒を持(たも)ちて/今昔 19」

二、( 接尾 )

 助数詞。序数詞に付いて,特定の発信人から来た通信の着順を表すのに用いる。 「アメリカからの第一-」

 [句]信あれば徳あり ・ 信は荘厳より起こる ・ 信を致す ・ 信を置く ・ 信を問う


◆「がち【勝ち】」=[接尾]名詞や動詞の連用形に付く。

…が多い、…する傾きがある、…に傾きやすいなどの意を表す。           

「後れ―」「病気―」


 ◆「ふる‐まい〔‐まひ〕【振(る)舞(い)】」 

振る舞うこと。挙動。また、態度。「立派な―」「立ち居―」


◆「そ」=古語の終助詞

禁止を示し、連用形・カ変・サ変の未然形に接続する。

「な→そ」の形で用いられる。

「せ」も禁止を示す。禁止がふたつ重なり強調する。「な→せ→そ」

「振る舞い・な・せ・そ」=振る舞いをするな。


 


まだか。無事かと。。。

2015年01月21日 | ご法門

開導聖人のご一代記「清風一代記畧圖」におしたためされたご教歌。

わがはは(母)は  いまかへる(帰る)らしい いたはし(板橋)の  いたのうへ(上)つく つえ(杖)のおと(音)する


天保13年3月4日。

開導聖人のご母堂様・国女(くに。「女」は当時の女性に対する敬称。「さん」に同じ。)が帰寂されます。

行年48歳。

このとき、開導聖人は御年・26歳。まだ出家得度なされる前でした。

ご母堂様をお見送りあそばされたのも、出家を志される大きなきっかけであったとお聞きしたことがあります。

当時は人生50年の時代だったのでしょうが、死別は痛烈なお悲しみであったに違いありません。

そして当時の開導聖人は、お母様亡き後お母様の分まで、お祖母様にいっそうの孝養を尽くされたとのことです。


 

このご教歌は、

そんな折り、お祖母さまが、ご母堂・国女の墓参でお出かけになられた。

もうお帰りになってもよい頃だがお戻りにならない。どうしたのだろう。なにもなければ良いのだが、と、

ご心配あそばされていた時、ちょうど外から、門のまえにかかった「板でできた小橋」を、つえでコツコツとつく音が聞こえてきた。

「あぁ。お祖母さまがお帰りになられたのだな。」と、安堵されたお心をお詠みあそばされたご教歌です。


 

みんな。家族や仲の良い方々の安穏をねがっていると思います。

自分が手助けできるならいいのですが、四六時中というワケにはまいりません。

「子は三界の足かせ」と申します。子どもが生まれることはこの上ない喜びですが、

その分、ずっと心配がついてまわるワケです。まぁ、心配するのも幸せなのでしょうが。。。


長い間には、いくつも「人生の一大事」をむかえることがあるでしょう。

そんなとき、「周りはこうやって心配しているんだぞ」ということを伝えるときに、

ボクはよく、このご教歌を頂戴しております。


 

わたしは、あなたが元気になってほしいとねがう。

ねがうから祈る。あなたの幸せは、わたしの願い。

だから、ご宝前に、上行所伝のお題目を唱えかさねてご祈願するのです。

そしてあなたも、あなた自身でご祈願もうしあげる気持ちを起こしてほしい。

あなた自身のことだから。

あなたが「信をおこして。」そして「唱えかさねる。」

そうすれば必ず、仏祖のおはからいがいただけて、運命がひらけるから。

気持ちを、いや、信じる心をおこして、道を求めて、唱えかさねてほしい。。。


ご教歌  こぞよりも ことしはひろめ まさらんと  おもへるけふの 初まどひかな

2015年01月20日 | ご法門

ご教歌  こぞよりも ことしはひろめ まさらんと  おもへるけふの 初まどひかな


大 意

去年よりも今年はもっと気張って、お教化・参詣ご奉公に気張り、

「一人でも多くの人達を尊い上行所伝の御題目を伝えていきたい」と

真剣な思いで、初御講にお参詣された人々の心意気を、

開導聖人は大層およろこびあそばされ、お詠みいただいた御教歌です。


 

▽こ ぞ …… 去年

▽まどひ(まどい) ……(団居・円居)

1、人々がまるく居並ぶこと。車座(くるまざ)になること。

2、1か所に集まり会すること。特に親しい者どうしが集まって楽しむこと。 団欒(だんらん)


 

御指南

弘通広宣を祈るは如来の御使也 諸天此人を守護し給ふ

また我身の罪障消滅には一切衆生を御法をもて助くる是第一也


昨日・19日は、別院の吉田さんで甲お講が奉修でした。親子三代のご家族です。

ご主人はすでに帰寂されています。

ご生前はお導師から、「別院ができて、お寺になったら、初代の局長をやってちょうだいね」と

お言葉をいただき、そのつもりでご奉公されていた方でした。

奥さんはお年を召されましたが、昨日は家族がお手伝されて、新春・甲お講の席主をご奉公されました。

お年ですから一日の大半をご自宅で過ごされます。昨日は久しぶりにお会いできて、本当に嬉しく思いました。

お会いすると、佛立信者らしさ、あつい志し、そういう雰囲気が空気で伝わってきます。

言葉をかわす前からもう、「やっぱり、この人はすごい。」そんな風に感じてしまうのです。

畏敬の念をおぼえるとか、威圧感があるというのではありません。

言うなれば、慈しみのかたまりのような雰囲気です。それが、言葉を交わさなくても伝わってくる。すごいことです。

昨日は、ご家族ともいろいろお話しできました。

お参詣者みなさんも、「今年一年、去年よりもがんばっていこう!」と、こんな風に思えたお講席だったと思います。

なぜか涙がでてきました。穏やかな雰囲気のお講席でした。

でも、みんな志気(士気)が上がったんじゃないかと思います。そんな、「初まどい」でした。

 

 

 

 


ご教歌  これでわれ よしと思へば おこたらん  信は忘るゝ まなくすゝめよ

2015年01月19日 | ご法門

ご教歌  これでわれ よしと思へば おこたらん  信は忘るゝ まなくすゝめよ


 大 意 (日晨上人「ご法門のかなめ」より)

世の中が無常、人間も無常。常に動いているので考え方も行動も常に進んでいないと、追いつかなくなって落伍する。

故にもうこれで十分と中途半端な満足感は、怠りの本になる。

信心も同様、30代ならそれに相応するよう、壮年・老年ならそれに合わせて、信心をすすめる。

これでよしと挫折してはならぬ。世法に追われるときでも、信心第一ということを忘れず、ご守護を頂くように。

これだけすればもう充分と考えてはならぬ。それが下り坂のはじめになる。

信心は「憶持不忘」で、たもち奉る信心修行がすすむのであって中絶しては不可。

つかれたら休んでも、また立ち上がるために休むのだと心得よ。昼夜・常精進。


赤道をこえて南下 パプアへ。。。

2015年01月18日 | 第5支庁 と 東京中央布教区

これはね。番長がやるって言うから応援してます。それしかない。

みなさんの無事をご祈念いたします。

1月17日。成田空港にお見送りです。

皆さんこれから飛行機に乗って一路、赤道をまたぎ熱帯雨林気候のパプアニューギニアにむけて出発です。

東経はほぼ日本と同じ。真南に位置しますが、北緯、いや南緯は赤道直下よりやや南方の位置になります。

ニューギニア島やラバウルは、太平洋戦争における戦略の要所でした。

日本軍は20万人の兵士を動員し、制空権・制海権をとっていましたが、アメリカ・フランス・イギリス等の連合軍に対して次第に劣勢となり、やがて制空権も制海権も奪われていきました。

そんな中、完全に補給路を断たれた日本軍は、自給自足で奮闘しますが、やがて餓死者がでるなど、戦闘よりも熱帯雨林気候のニューギニア島で環境との戦いになったと記されていました。

20万人中、帰還を果たしたのはわずか2万人ほどで、あとの18万人は現地で殉死を遂げました。その多くが、遺骨すら帰還できず恐らくはニューギニア島やラバウルの土に埋もれたままだと言うのです。

18万人の戦没将士英霊や戦争殉難者の諸精霊に回向のまことが届きますように。。。 

合掌。


ご教歌 世の中を 助くる心 なき人は  ものしりにても 無益なりけり

2015年01月17日 | ご法門

ご教歌 世の中を 助くる心 なき人は  ものしりにても 無益なりけり


 

大 意 (日晨上人「ご法門のかなめ」より)

世の人のために役に立とう、幸せになるために努めようという思いがなくて、知識があってもお金ができても、その活用はできない。信心でも菩薩心がないと本当の功徳は積めない。


人を助ける。奉仕することに、自分の力が大いに役立つ。(そうすれば功徳倍増なのに)功徳が増すことを知らぬ。従って喜び方も小さい。

菩薩とは、「人を助けることが自分をみがき、功徳を増すことを悟った方」ですから、化他即自行と心得て、人を助けることに力を入れる。

私どもは無力だが、妙法経力で人を助けられるから、教化折伏に力がいれられ、ご利益がいただける。


 

本日1月17日は、阪神淡路大震災がおきた日です。

平成7年の1月17日・早朝5時46分。マグニチュード7,3の大地震が、神戸・阪神・淡路地区を襲いました。

・死者 : 6,434名  

・行方不明者 : 3名  

・負傷者 : 43,792名

  重傷者 : 県内10,494名 (98.2%)、県外189名 (1.8%)

  軽傷者 : 県内29,598名 (89.4%)、県外3,511名 (10.6%)

常住寺では震災で亡くなった方々のお塔場婆を建立して、ご回向をさせていただきました。

【阪神淡路大震災 殉難犠牲者の諸精霊 追善菩提】

殉難=国家・宗教や公共の利益のために一身を犠牲にすること。

凡夫はお題目を唱えかさねていくと、菩薩の心持ちになれる。

みんながよくなりますように。地域がよくなりますように。苦しみから逃れられますように。。。


日教上人ご墓前式

2015年01月16日 | 第5支庁 と 東京中央布教区

1月14日。11時。

本所・清雄寺さんにて【佛立第4世講有日教上人・ご墓前式】が営まれ、本年度の弘通誓願式が執行されました。

ご法門は小山ご講尊上人。今年は終戦70年。ご法門の中で、戦時中のお話しを頂戴しました。

午後は、第5支庁弘通促進大会が、墨田区役所・リバーサイドホールにて開催されました。

今年のご講演は、弘通局長・植田お導師です。

ご利益談の発表は中央からは遠妙寺のご信者さんがご奉公下さいました。

(下の写真は、参加者のみなさん。)

弘通促進大会がおわって、次は第五の【住職担任会】です。

もんちゃん先生と。

番長。ehara師。

修学塾・幹事長。

全ておわって、成績表のまとめ、あにき待ちで清雄寺さんのご信者が営むお店へ。

ジャワティーの白。こんなのあるんですね。

ながい一日がおわりました。

今年も一年。またはりきってご奉公させていただかなくては。


夜の渋谷 お参詣者の気づかい

2015年01月13日 | 乗泉寺 本末信廣会・寺院

1月12日、本寺お導師へ書面をお届けに、乗泉寺に上がりました。

新年あけてから3度目の乗泉寺。毎月、本寺にあがる回数は片手じゃ足りないと思います。

夜の乗泉寺は幻想的です。少し寒かったけど境内を眺めて写真を撮りました。

ボクはバリバリ動ける47歳。そして、本寺までクルマで40分。直系の末寺。

えらいお導師と違って、気軽に顔を出せる。本寺で所属していたので、勝手が分かる。

ですから、動きやすいので、なるべく雑用はさせて頂きたいと、いつも考えています。

所用がすんでから本堂でお看経をあげました。19時15分。5名のご信者さんがお参りされてました。

そのうちの1人は、お拍子木を打っていました。

広い本堂ですから、音が響きます。そして反響しますから、前と後ろでは、お看経をあわせるのは難しかったりします。

各自でお参詣する時間帯、導師役がいない時のお看経は、周りとお題目を揃えるのが結構むつかしいかも知れません。

やがて、お拍子木を打っていたご信者が、お拍子木をとめました。もう帰るのでしょう。

お拍子木をとめる時のやり方がみごとでした。

周りの方々の邪魔にならないように、そーっと静かに、徐々に音を小さくしていって、たたくのをやめたのです。

勢いよく叩いていて急にやめたら、他のお参詣者がつられてしまいます。それをしないように気遣ったのです。

自由にお参詣しているのですが、他のお参詣者と調和をはかってお看経されていました。

じつに素晴らしい。ささいなことですが、えらく感動しました。

本寺のご威光が倍増して、しっかり一本でまとまってご弘通できますように。

全宗門人が異体同心でご奉公できますように。

ありがたいという、随喜の思いがひろがりますように。。。

お師匠としてご剃髪くださった日晨上人の御33回忌がもう来年にせまっています。

月日の経つのは早いものです。


ご教歌 みなながら あらましかばと 思ふらん  物はなかばに たることをしれ

2015年01月12日 | ご法門

ご教歌 みなながら あらましかばと 思ふらん  物はなかばに たることをしれ


大 意 (日晨上人「ご法門のかなめ」より)

思っていることが全部思う通りになってほしいと、誰しもが考える所だが、

私ども凡夫の欲は貪欲の傾向が強いので、この辺でよしとすることを忘れ、己を滅ぼす方へ走りたがる。

欲ばかりかいていたら口唱(お看経)の時間も惜しくなる。

半分成功したら有難いと思い、そこで大事なものを置き去りにしてはおらぬかを、反省することが大事。


 

みな‐ながら【皆×乍ら】[副]

 ことごとく。すべて。 「―脱ぎおき給へる御ふすまなどやうのもの」〈源・蜻蛉〉



あら-・まし 【有らまし】〔連語〕 

 あろう。 …であろうに。 …であればよいのに。

 鏡に色・形あらましかば、うつらざらまし。
 <鏡に色や形があったとしたら、何も映らないであろうに>(『徒然草』)


らん(覧) らむ。に、同じ

 現在起こっている事象から、その原因・理由や背景などを推量する意を表す。

 ㋐原因・理由が示されている場合。…だから…なのだろう。…というわけで…なのだろう。
 「思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを」〈古今・恋二〉

 ㋑(多く「など」「いかに」という疑問語を伴って)原因・理由が示されていない場合。どうして…なのだろうか。なぜ…なのだろうか。
 「やどりせし花橘(たちばな)も枯れなくになどほととぎす声絶えぬらむ」〈古今・夏〉


ご教歌 のりのため 心つくすと おもひしは  みなおのが身の ことにぞありける

2015年01月11日 | ご法門

ご教歌  のりのため 心つくすと おもひしは  みなおのが身の ことにぞありける


大 意 (日晨上人「ご法門のかなめ」より)

妙法は衆生を救う慈悲のかたまり。

従って御法の「み心」にしたがってご奉公すれば、それは自分を助ける道を進むことになる。


 

他のために骨折るだけで自分は損したというような心を起こすな。

化他即自行、教えるは学びの半ば。


 

ご信心の上では、よく、「させていただく」という言い方をします。

「これ、やってちょうだいね」「させていただきます。」

こんな会話です。

「やってあげる」のではなく、「させていただく」

それは、骨を折っても、他が得するのではなく、自分も功徳を積むことができます。

ご法さまの「みこころ(教え)」に、随喜して、道を求め、教えどおりに行うのです。

イヤイヤやって、雑だし愚痴りながら渋々っていうようなのじゃありません。

口には出さないけど、動きは消極的なんていうのも違います。

忙しいけど、一生懸命にこころを尽くして、工夫して、時間をつくって、やりくりして、

「お参詣させていただきます。」「他を利益する菩薩行を、させていただきます。」

こんな心持ちです。