清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

子ども食堂

2018年04月28日 | 生活圏 関東 東京都 北区

4月20日。
大塚の遠妙寺さんで、子どもの居場所・子ども食堂が始まりました。

当日、様子を見におじゃましました。
短期間でよくぞここまでと思うほど準備万端でした。

町会、民生委員、学校、地域の支援団体、遠妙寺の方々などがスタッフとして
名を連ねており、にぎやかに、なごやかに、そして全てが整ったご様子で
運営されていました。素晴らしいです。

豊島区の社会福祉協議会の方々ともごあいさつさせていただきました。
コミュニティソーシャルワーカーのお仕事は、善意と善意をつなぎ大きな力に
仕立ててくれます。本当にすばらしい活動です。

常住寺でも活動をしています。
一足お先に、ボクらのグループは活動を始めて、はや17ヶ月。
北区で第一号となった学習支援教室と、子どもの居場所(食堂)です。
準備期間を入れると、まる27ヶ月の月日が経ちました。

地域にが輪になって、たがいに支え合う社会。
そんなイメージで、行政が働きかけてくださいます。

豊島区と北区。おとなりのよしみで、何かと協力できたらいいなぁと思います。
そして、もうしばらくしたら、板橋区でも、宗門内の寺院が主催する新たな団体が動き出します。
北区の中では子ども食堂ネットワークがありますが、佛立の寺院間でのネットワークも
いま、広がろうとしています。

ますます、いつくしみ、思いやり、まごころの輪が、地域に広がりますように。。。

 


一期一会

2016年06月12日 | 生活圏 関東 東京都 北区

先日、神谷・東十条健康プラザにおいて、「お坊さんのお話し会」をさせていただきました。

テーマは「さとり」。
ほとけさまの覚りはどんなものだろう?などという難しい内容ではなく、
日常の生活で、元気よく歩んで行くためのヒントみたいな内容でした。

「いま、日常のなにげない場面のひとつだが、これがどれだけ幸せか?」
「それを理解している。」

こうなると、もう立派な「さとり」と言えると思います。
ただしボクは、「仏さまのお覚り」と区別するため、あえて、漢字で「覚り」と書かないようにしています。


そんなワケで、みなさんが人生の中で体験した場面、
「うれしかった場面」「忘れられない出来事」「感動した出来事」などを、
それぞれ、語っていただきました。

まずはボクの体験談。
先般。王子本町から板橋仲宿へ続く道をクルマで走っていました。
下の写真。この風景が見える位置で信号待ちをしていました。
ここは、(右側が高く、左側が低い)傾斜のついた交差点です。


 

この日は晴れで、ぽかぽかとあたたかく、そよ風がふいており、実に気持ちのよい日でした。
時間は午後3時ころ。
右側からお母さんと小学4年生くらいの男の子が2人乗りした自転車が横断歩道を渡ってきました。


 

男の子は、おそらくダウン症を患っているようにみえました。
右前方には養護学校があります。
お母さんがわが子をお迎えにいった帰りなのでしょう。

お母さんは、右側の、緩やかに高い方から一気に、自転車を「ビューン」と走らせました。
男の子はその瞬間、すこし後方に仰け反りながらも体勢をととのえ、
ジェットコースターと比べるとあまりにゆっくりでしょうが、
それでも、それと同じように、両手を広げて高くあげて、
「わー」という歓声をあげるかのような顔つきで、喜んでおりました。

(写真はイメージです)

 ぽかぽかと暖かい日の午後、学校がおわって、大好きなお母さんが迎えにきてくれた。
お母さんの後ろにのって、男の子にとっては大きな背中に甘えながら安心しきっている。
天気はいいし、そよ風に吹かれて心地いい。
いつもの通学路。これからお母さんといっしょにおウチに帰るところ。
いつもの、緩やかな下り坂にさしかかった。スピードがでるのは知っている。
それでも、疾患があるので反応がやや遅れて仰け反るが、それがかえって楽しかったりする。
おもわず大きな口をあけて、「わー!」と歓声がでる。たのしい。安心だ。しあわせ。

(写真はイメージです)


 と、まぁ、そんな瞬間を信号待ちの運転席からみてしまった。
しかし我ながら、想像力たくましく作文したものだと思います。
ここに書いたことは、この少年が歓声をあげた瞬間を、たまたま見たボクが、想像で書いている事柄であり、
事実を確認したワケではないのです。しかし、想像は遠からずハズレではないと思うのです。

こんな他愛もない信号待ちの場面ですが、ボクはこのシーンを一生忘れることができないと思います。
あんなに嬉しそうにしていた少年。優しそうなお母さん。日常の中に「至福のひととき」がありました。
そして、彼もきっと、あの時のあの場面の楽しさを忘れないんじゃないかと思うのです。

ボクと少年は信号ですれ違っただけのご縁です。
当然、しゃべったことなんか一度もありません。
どこのだれかも分からないし、彼はボクの存在すら知らないのです。
だのに、ボクらは同じ場面を、一生忘れられないシーンとして共有している。
もし、そうだとしたら、おもしろいものだと思うのです。

「袖触れ合うも他生の縁」
こんなコトバがアタマに浮かびました。
道ですれ違うだけでも、ものすごく深いご縁があるもの同士なんだと。
こころから、そう思えてなりません。
況んや、夫婦・親子・兄妹。同僚・親友・ご近所さん。
これらの人間関係はどれほど深いご縁で結ばれたのか、想像がつかないほどです。


 ここのところ多くの本を読みました。多くの人の家庭問題を見聞きすることが重なったので、
求められた時によき助言ができるようにと考え、まずは知識を得ようと思ったのです。
その内の2冊「家族という病」というタイトルの本は大ヒットし、続編のパート2も出版されました。

出版社は本の帯に「待望の処方箋」と書いていました。
しかし、実際には作者の自叙伝的なところがあり、作者の主観が述べられているに過ぎません。
ですから、「待望の処方箋」という見出しは結局、本を売るための「コピー」ということでしょう。

読む方はその気になって本を買います。売る側は、実に無責任だと思いました。
まぁ、書籍の多くはそういう風に売られているのかもしれません。

「個」を大事にして「家庭」の犠牲になるな。と宣った2冊。
筆者には子どもがいません。
実の父親との関係は思春期に崩壊して父親が亡くなるまで修福できませんでした。
そのように本文中で謳っています。

ですから、個人の生き方を尊重して云々、という物の考え方がベースにあるのでしょう。
もし、子どもを産んで育てていたら、父親と仲睦まじい関係だったら、こういう内容の本を書いたかは疑問です。

すなわち、「家族という名の病」は、筆者の家庭内の問題に他ならず、
自叙伝を出版して、広くにそれを促すべきではなかったのです。

繰り返しますが、出版される書籍は所詮、そんなもんだといたしましょう。
ただ、願わくば、諸問題をかかえているみなさま、世間の影響をうけて、
わざわざ崩壊させるような道のりを進まないでほしいと願います。

世の中に落ちているヒントなんて所詮は無責任なもの。
親身になって考えてくれる人のコトバ、信用できる人のコトバが大事なのでしょう。

ボクとダウン症の男の子とのご縁は、すれ違っただけの関係です。
相手はボクの存在など知りもしません。
でも、生涯忘れられないくらいの場面を共有しました。
(ほんとにそうか分かりませんが・・・。)
これほど、ご縁というものは深遠なのです。

ましてや、夫婦・家族、大事な存在は深い深い絆のもとで結ばれています。
どうか、わざわざ壊さないで下さい。
そして、マイナスのご縁を排除できるように努力しましょう。
その智慧がお寺にある。かならずあります。

一期一会。
二度と巡ってこないかもしれないご縁は山ほどある。
その瞬間を大事にしたいと思います。そう思えるのも「さとり」なのでしょう。



 


両手を伸ばして届く範囲

2016年06月10日 | 生活圏 関東 東京都 北区

「神谷・東十条健康プラザ」ではヨガや写経などの教室が開かれ、地元の人々が集っています。
毎日なにかの教室が行われているようで、みなさん実に活発に活動されています。


 

今回は臨時でその1枠をいただき、お坊さんのお話し会をさせていただきました。
参加者は12名。同級生のお母さまもご参加されていらっしゃいました。

このプラザは、フクシ調剤薬局が入っているビルの2階にあります。
フクシ調剤薬局の経営者が有志で自社ビルを開放。北区に提供されていらっしゃるのです。

東京都北区の社会福祉協議会では、地域ささえあい活動と題して、活動する団体を支援しているようです。
以下、北区社会福祉協議会のホームページの文章をコピーしました。


 

北区社会福祉協議会は、平成10年度より地域ささえあい活動を進める団体に、活動を軌道に乗せるための助成事業を始めました。
これまで、次のような活動を行う団体に助成を行ってきました。
食事、レクリエーション等のサービス提供活動

  1. 健康づくり、生きがいづくりを行う活動
  2. 地域づくり、ネットワークづくりを行う活動
  3. 相談、情報提供を行う活動
  4. 学習プログラム提供を行う活動
  5. その他、地域でのささえあい活動として必要と認められる活動

神谷・東十条健康プラザは、調剤薬局の経営者、地元の民生委員、特養老人ホームのマネージャーさま、社会福祉協議会の役員でNPO団体の代表さま、以上の方々の連携で運営されているようです。今後は育児放棄されたような児童に対するケアなどを活動に盛り込むことを考えていらっしゃるとお聞きしました。みなさん実に情熱的です。

常住寺も地域に貢献したいと常々考えております。実際には、非常災害時の対策の一部を、王子警察と連携して備えております。自治体に協力して、諸行事にご協力をさせていただいております。今後は、ここの神谷・東十条健康プラザの活動も、お仲間に入れていただけるようなら、積極的にお手伝いさせていただきたいと思います。


広くて使いやすいお部屋が2つ。
こちらの部屋はヨガ教室やカラオケ教室に使われているようです。

こちらは今回お邪魔させていただいたお部屋です。
テーブルもイスも、デザインがよくて、かるくて、使いやすい。すばらしいです。

これだけの施設を私財を投じてご用意されたおこころざしに随喜の思いがおこります。
内装を工事されるのだって大変なことです。
もう、ただただ、素晴らしいと申し上げるよりほかありません。


 

お坊さんのお話し会は、「さとり」をテーマにして、「無常」「一期一会」などのお話しを申し上げました。

悟りをどのように捉えるか?
「ピンときた!」 これが「さとり」(人間目線での)に一番近い表現じゃないかと思うんです。
お寺だと、「お参りすべきだというコトに気がついた。そこがピンときた。」という具合です。

一通りお話ししたあと、参加者みなさんの体験談「あのときは感動した」とか「こんな風に嬉しかった」とか、
そういうお話しを聞かせていただきました。

一期一会です。
時間はもどりませんから、いまを元気に生きるのに、感動を伝え合うのがよろしいかと思ったのです。
ボクも話しました。他愛もない場面について話しました。でも、近年では深く感動した場面です。
内容は次回、ご紹介します。

みなさんからいろいろなお話しを聞かせていただきました。
人生の先輩ばかりです。ずいぶんと勉強になりました。
貴重なお話しをありがとうございました。

「両手を伸ばして届く範囲」すなわち、ご近所のコトです。
地球上には80億もの人が生きています。その中ですぐ近くに住んでいるというご縁。
これはもう、浅からぬご因縁です。
同じ職場。同じ学校。向こう三軒両隣。友だち。親戚。そして、家族。
ボクらは過去世からの深遠なるご因縁で、人と出会い、共に暮らしています。
どうか、わるいご縁がなくなりますように。よいご縁がはかどりますように。
心から、そう、ねがいます。

ボクは一生、地域に根づいて暮らしていきます。
だから、地域のお役に立てて、地域に貢献できて、お坊さんとしての使命を果たせたらと考えます。

今回は地域の方々と交流できて、本当に嬉しく思いました。
今後も機会がありましたら、どうぞよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。


※ このブログ内の記事ですが、リンクをはっておきます。
  よろしかったら併せてご覧ください。

東京都北区における戦災の記録


町並み

2014年10月29日 | 生活圏 関東 東京都 北区

新宿中央東口。三越のうらあたりは、ボクのテリトリーでした。

すっかり景色が変わってしまい、いまも変わらないのはライオンのビルくらいでしょうか。

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ジョイパックビルなんかは建て替えられており、三越と三愛は、建物は昔のままですが、中がすっかりかわっています。並びにある「4℃」は同じ佇まいでした。

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ここはボクの駐車場。当時は路駐があたりまえ。ものすごい台数でした。みんな、ワケも分からないまま記念写真を撮ってます。

この日は渋谷で得度式があり、帰りに伊勢丹でまさよしの制服を購入。わずか一年半でボロボロにしやがって。。。

最後に、三愛の地下で珈琲タイム。ここは昭和のむかしに大流行した「竹の子族」発祥の地です。そんな話しをしましても、みんな夢中でピザをがっついてました。人の話しを聞けぇ~。

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お次は、戸越銀座。ここに来るのは高校の時いらいです。支庁協議会のあと、柴又の兄貴とアラーキーと3人でやってきました。あらきおススメの中華やさんでお食事。とてもいいお店でした。そして温泉へ。。。

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温泉といっても、銭湯です。ですが、しっかりした建物ですし内装もキレイでした。スーパー銭湯的なお風呂屋さんです。

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駐車場まであり、言うことなし。近ければちょくちょく利用したいくらいです。アラーキィーは中々いい店を知ってます。安くて大満足。お見それしました。


中央公園

2012年12月22日 | 生活圏 関東 東京都 北区

北区王子地区にある中央公園です。

あまり手入れがされていない感じの公園でしたが、よくみると樹木の配置が

ちゃんと計算して植えてあるように思えました。

遠くを見ると、とても心地よい景色だと気付きました。おもしろいものです。

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ここは、お寺の生活圏とは離れてますので、あまり来る機会がありません。

公園の入口正面には、昭和初期に建てられた感じの洋館があり、

北区主催の、文化教室などが開催されているようでした。

とても広い公園で、王子・滝野川・十条地区にまで隣接しているんじゃないかと

思います。

この公園のソバにご信者さんがいくつかあります。

そのうちの一軒に、しばらくお助行に通おうと思っておりますので、

今度は公園内全域を散策して、またブログで紹介させていただきます。


川をこえて

2012年01月28日 | 生活圏 関東 東京都 北区

新荒川大橋を渡りきって左方向へ進むと、JR川口駅までの間に数軒のご信者宅がある。

今日は十二月田でお講があり、帰りに年配のご信者を乗せて、122号線を本町ロータリー方面へと

クルマを走らせた。本町の自宅までは、10分もあれば着いてしまう。

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昔からのご信者で、私が幼少の頃には現役でバリバリご奉公されていたのを、昨日のことのように思い出す。

なんでも、今年80歳になるという。

とても上品で、ものごし柔らかなお人だ。まるで往年の大女優を思わせるような出で立ちは、

オードリーヘップバーンの映像と同じく、白黒で脳裏を過ぎる。そんなイメージなのである。

ここ数年で足腰の軟骨をやられたそうで、神経に障って、たいそう痛いという。

それでも、信行ご奉公への意欲は衰えを知らない。

「寒参詣のご供養調理も参加したいんですよ。」

「だけどね。カラダがいうことを聞いてくれず。お寺に行っても足手まといで…。」

「ホント。くやしいですね。」  こう、コメントされていた。

日中のお寺参詣にはよくみえる。バスを乗り継ぎ、ゆっくり、ゆっくりと参ってくるのだろう。

東京都北区と埼玉県川口市の境界には、一級河川の荒川が流れる。

赤羽で新河岸川と合流し、岩淵水門から隅田川が分かれる。

鳥瞰すると、ちょうどXの文字に川が流れていて、新荒川大橋がそこを南北に渡しているカッコウだ。

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この長い橋を、昔は12分で歩いて渡ったという。

お寺まではさらに、徒歩30分はかかるだろう。

歩いてお寺にお参りし、それから板橋の学校へ勤務しにまた歩く。

これが日課だったとのことだった。

いまはクルマがあって、ものの15分でお寺と本町を行き来できる。

ありがたいことだ。

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暖房の効いた車内にこしかけ、日だまりでニッコリと微笑みながら、そんな昔話を聞かせてもらった。

耳が遠いが、クルマの中など狭い空間では、いくぶん良く聞こえると喜んでいらした。

連合内のご奉公がある日は、この家に寄ってからいっしょに参ることにしようと思う。


- FLOOD MAPS -

2011年05月23日 | 生活圏 関東 東京都 北区

洪水マップです。

海水面が高くなれば、どの地域まで浸水するかが、メートル単位で表示できます。

津波などの水害に備えて、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

ちなみにウチの地元は、海水面9メートルアップで、お寺近辺まで浸水すると表示されました。

まあ、あくまでシュミレーションです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

↓↓↓【 FLOOD MAPS 】のURLです↓↓↓

http://flood.firetree.net/?ll=35.6751,139.8669&z=7&m=9

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- 東京都北区 -

2011年03月29日 | 生活圏 関東 東京都 北区

地元・東京都北区の風景をアップします。

↓ 赤羽駅東口(北側)のロータリー。

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↓ 駅のロータリーより、すずらん通りの入口方向を写しました。(すずらん通りは現在、LaLaガーデンという名前になっています。)

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↓ ここいら辺は東京山の手の北端で、右側のビル裏は急な坂道です。坂を下ると東北線・高崎線・京浜東北線・新宿湘南ラインなどが走る線路が南北に延びています。またビル裏の坂の脇には「名主の滝」があり、北区の名所として永年地元の人々に親しまれています。写真は王子本町から上十条方面に向かっての風景です。この近所には、たくさんのご信者(十条連合)が住んでいます。

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↓ 平成おじさん=故・小渕首相邸です。さすが、立派な門構えです。

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↓ 豊島のサミット屋上より。

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P3090011駿台学園高校

P3090016清掃工場煙突

以上、絵画モードで撮影しました。

しかしイロイロな機能があって、カメラは実におもしろいなぁ。


- 青山 神宮外苑 -

2010年12月04日 | 生活圏 関東 東京都 北区
本寺・乗泉寺の帰り道。いちょうの落葉がきれいだったので、神宮外苑の並木道の落葉を見ようと思い立ち、寄り道しちゃいました。
↓ 外苑西通りとの交差点近辺。

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↓ 青山通り
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↓ 絵画館前の並木道。ドラマのロケ現場として有名ですね。

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↓ こっちが東側。ドラマで撮影に使うのはこっちが多いハズです。

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↓ 車道に出て、絵画館を撮影。

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↓ 絵画館前に近づき、青山通り方面に振り返って撮影。

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めちゃくちゃキレイな景色でした。 ぎんなんくさかったけど…。

- 東京都北区における戦災の記録 -

2010年08月06日 | 生活圏 関東 東京都 北区

昭和20年8月10日。B29など150機が飛来し、地元・北区を空爆した。死者152名。重傷者144名。

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空爆によって死亡した100体を超える遺体は常住寺に集められ、ひとまず境内に土葬され、後に神谷公園にて荼毘に付されたという。

その時、常住寺第二世権大僧正・日泰上人は、無数のご遺体の安置・埋葬に追われた。考えてもみてほしい。近隣が爆撃を受けた。境内には、ついさっきまで井戸端会議をしていたご近所の方々ばかりが、見るも無惨なお姿で息絶え、横たわっているのである。なんと辛く悲しい事か、想像に難くない。そして日泰上人とお弟子方々は、いつまた空襲されるかも知れない状況の中にあっても、有志で、遺体の安置埋葬と死者の回向を勤め続けたと聞く。

下記の文章は、地元・北区が空爆された時の戦災殉難者の記録である。本日8月6日。広島に原爆が投下された日に、8月10日に常住寺で奉修される「戦災殉難者・慰霊言上式」に先駆けて、北区の史実を調べて一部を選び記事をアップした。

【北区における戦災の状況 (総務省・HPより)】

北区域に対する最初の大規模な空襲は、昭和20(1945)年2月19日午後2時40分からのもので、王子区豊島地区にかなりの被害を受けた。

『新修北区史』は全壊60戸、半壊66戸、焼失戸数99戸、死者29人、罹災者は1128戸としている。さらに2月25日午後2時すぎにも空襲を受け、滝野川区で死者1人を出した。3月4日の空襲でも、滝野川区で死者14人の被害を受けた。3月10日の東京大空襲でも、余波を受け、30人が罹災し、14戸が焼失したほか、荒川区等からの罹災者を寺などで保護した。

4月12日にも空襲があったが、翌13日夜から14日未明にかけての空襲は、北区域最大規模のもので、王子・滝野川両区の広い範囲にわたって甚大な被害が出た。200人以上の死者、800人以上の負傷者を出した。王子区では、区役所や陸軍兵器補給廠等の官公署、王子製紙や日本フェルト等の民間工場が焼失した。滝野川区では、低地部で大きな被害を受けた。

この空襲の状況を「下十条国民学校建物焼失顛末書」で見ると、下十条国民学校の被災の状況は以下のようであった。

4月13日午後10時40分の警戒警報に続き、空襲警報が発令され、間もなく王子区の低地南方から荒川筋へ焼夷弾が投下された。校長以下の特設防護団員が詔書を背負い、重要書類を持ち出して防空壕の中に埋め、校内を点検した。すでに堀船、王子、東十条方面は燃え上がっており、14日午前0時30分には通学区域内の岸町に数百発の焼夷弾が投下された。その後、午前1時をまわって、学校内にも焼夷弾が投下され、そのうち消火が間に合わなかった理科室から燃え上がって、ついに校舎は全焼した。周辺は火の海であり、校庭には、周辺から避難してきた人々が続々と押し寄せた。(下記の絵画は、堀船国民学校が空襲で全焼する様子の描写。)

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5月25日夜の空襲では、「じゅうたん爆撃」を受け、王子区では883戸が焼失、死者10人を出し、滝野川区では23戸が焼失した。さらに、敗戦まであと5日という、8月10日には、朝からの空襲警報のなか、B29など150機が飛来し、北区域は死者152人、重傷者144人を出した。

さて、私が子供の頃の昭和40年代前半。線路のむこう側にある十条仲原地区には、戦時下を連想させるかの如き風景が未だ残っていた。あかつち山とドングリ山の間には、旧・国鉄の職員舎跡が廃墟となって残存しており、山の手の麓には防空壕の跡らしき横穴が数カ所空いていたのを思い出す。現在この土地は、「清水坂公園」という公園になった。地の利を活かした、高台からの見晴らしが良く、水と緑に囲まれた、素晴らしい場所に生まれ変わっている。

軍都と呼ばれていた北区は、終戦から半世紀をかけて力強く復興を果たし、そして更に大きく変貌を遂げた。旧・岩槻街道に沿って西側に集中していた軍用地は、公団住宅や野球場、全世界からオリンピック選手が集まってスポーツを科学する施設や国立競技場、学校や公園図書館などが立ち並び、都心の中でも緑が多く暮らしやすい住環境が整っている地域と言えるであろう。

豊かな国日本。愛する北区。

8月は終戦記念日の月である。この暑い季節を迎えて常住寺は宣言する。

平和と発展を祈念する意味に於いても、日々戦災殉難者等の追善回向を志し、愛する地元の御弘通教化のご奉公を以て地域を利益せしめ、地域に貢献する活動を貫いていく所存である。