清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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大奥様 7回忌

2016年02月29日 | 常住寺 行事 できごと 家族

ありがとうございます。本日・2月28日(日)11時より、本堂にて、常住寺第二世 恩師 権大僧正 日泰上人の御内室、大奥様・清信院さまの第7回忌が営まれました。

奉修御導師(ほうしゅう・おん・どうし)は、宣妙寺ご高職・宇治田日仁お導師。磬座(きんざ)には、廣全寺ご高職・柏日胤お導師。また、出座とご奉公で清秀寺より荒木誠啓講師がお手伝いにきて下さいました。寺内の教務部は3師。合計6師の出座をいただくご回向となりました。


 

大奥様・石関民子様は、大正2年にアメリカシアトルにて、外交官だった父・小山重右衛門氏と芳野姉の次女としてご誕生。

(写真は、上下とも「左」が、大奥様。右は、いまもご健在のお姉様・秋谷真佐子姉。)

ご入信は日本に帰国してから。お住まいは、台東区・上野桜木から港区・青山の官舎へと移り、お過ごし遊ばされました。青山学院大学にて学ばれ、女学校時代から青学時代、ご成婚までずっと毎朝、早朝5時には家をご出発され、当時は麻布にあった乗泉寺へ徒歩でお参りされました。

「青山から麻布まで、お寺へはお一人で歩いてお参詣してたから、冬なんかまだ暗いでしょ。だから、おまわりさんからよく呼び止められたの(笑)」

「若い女の子が、こんな朝方まで、どこをほっつき歩いていたんだ」と。

「いいえ、さきほど起床しまして、これからお寺の開門参詣です。」

「・・・・。そうか。すれはすまなかった。」

「だけど、お寺参詣は感心だが、まだ暗いので、女の子の一人歩きは危ないから、くれぐれも注意して行くように。」

おまわりさんとの間で、よく、こんなやり取りがあったといいます。大正ロマンという風に表現される時代、「ハイカラさんが通る」で描かれたのと同じ時代のお話しです。

「子どものころから、お小遣いをためて、お寺にお供え申し上げるのが楽しみだったのよ。かわってるでしょ。」微笑まれながら、そうお話し下さったのを思い出します。ご信心が強く、慈しみ深く、志があつく、家柄もよく、優しさと知性、聡明さを感じさせるような明るいご性格で、かつ容姿端麗でいらしゃった。そんなお方だったから、お寺に生まれたわけでもなく、宗門人として代々続いた家柄だったわけでもないのに、師匠の奥様(口唱院さま、清泉院さま)から見初められて、お教務さん(日泰上人です)とのご縁談をいただくことになったのでしょう。

信和会の集まりでお供をさせていただいた時に、「(前回は欠席だったけど)やっぱり、石関さんがいないとダメだわー。」と、盛り上がる井戸端会議の中で、ニコニコ顔でどこかの奥様が仰ったのを覚えています。「みんなが笑顔で盛り上がるのは、知性や慈しみ深さから出る。」この時、こんなことを感じたものでした。ウチの奥様ばかりでなく当時、ステキなご内室様方が集っていらしたのだと拝します。

日泰上人とのご成婚は昭和11年。日泰上人は御年33歳。大奥さまが御年23歳の時です。先述の通り、八世日歓上人の奥様・口唱院様とご令嬢で十五世日晨上人の奥様・清泉院様に見初められ、日泰上人のお嫁さんにと、ご両親を通してご縁談をいただきました。「口唱院さまと清泉院さまには、随分と可愛がっていただき、親しく、色々なことを教わったのよ。」と仰せで、乗泉寺時代は奥様方のもとで、乗泉寺内の教務部ご家内としてのご奉公に励まれました。昭和17年・師命により、日泰上人が王子に赴任。王子の地にお寺を(常住寺を)建立される時代の幕開けです。

以降、約70年もの長きに亘って、王子の地(東十条6丁目)にて、常住寺をおつくりになった日泰上人のお側でお給仕を申し上げ、ご法を弘めるための、内助の功を尽くされました。お寺をお護りされ、生活のリズムを正確に刻まれて、お弟子を愛でて、いつも明るくお元気で、周りに希望と元気を与えて下さいました。ボクは昔からずっと、いや今から先も、大奥様が、理想の女性像であり続けることでしょう。本当にお優しく、頭のいいお方でした。

平成2年12月29日に恩師日泰上人がご遷化あそばされたあとも、大奥様がご健在だったので、恩師の面影を失うことなく今日まで来れました。そんな、いつもお元気だった大奥様も、平成22年3月1日。行年97歳でご帰寂。3月1日ですから、今年のように閏年だったら、2月29日に亡くなったことになります。日泰上人が亡くなったのは12月の29日。数字からも、恩師にお仕えするお姿、ご夫婦の深遠なるご縁を感じます。


 

さて。宇治田お導師と柏お導師は、かつて常住寺において、恩師日泰上人のもとでご奉公遊ばされました。荒木師は、清秀寺先住・権大僧正日應上人ご夫妻のまご(奥様は、日泰上人の妹)です。おでましを賜りましたのはそんな方々ですから、今回はあくまで、ご来賓や団参をおことわり申し上げ、「常住寺の、寺内のお教務さんとご信者で営むご回向が、執行された。」という形の一座にさせていただきました。

本年・平成28年度は、当山の歴代住職・恩師上人(十五世講有日晨上人、権大僧正日泰上人、僧正日豊上人)のご年回を同時にお迎えします。11月3日には、「乗泉寺巡教」という「本末信廣会の公式行事」を常住寺で頂戴する予定で、この時に、乗泉寺のお導師にご唱導をたまわり、ご年回も併せてお勤めいただくことになっております。第一座を小松川清秀寺のご高職 権大僧正・岡本日苑上人に、第二座を乗泉寺巡教といたしまして、大本寺・乗泉寺のお導師に、それぞれ、ご唱導をたまわる予定です。このたびお招き申し上げなかった方々も、秋にはお出ましいただけるかと思います。その折りには、どうぞよろしくお願い申し上げます。

実は同日、田端佛立寺では門祖会がご奉修でした。田端は小松川の末寺で、岡本日苑上人が住職を兼務されています。荒木師はお導師の随行で田端に出仕予定でしたが、日苑上人より「お会式は毎回あるが、大奥様の7回忌は1度きりだからね。」とお言葉をいただき、荒木師を常住寺に遣わして下さいました。お導師には、ご高配をたまわり、ただただ、あつく御礼申し上げるばかりでございます。また、信興会さんからは祭壇のご遺影前に、生花をお供えいただきました。その他、お塔婆のお供えを頂戴した方々など、各位にあつく御礼申し上げます。 

 


ご有志者の こころざし

2016年02月18日 | 常住寺のご信者さんへ

今年は恩師上人の御年回が3つ。大奥様の7回忌もあり、これを機会にと、ご遺品や写真などを整理しています。今回は、お会式前の大掃除などでお道具を下ろした時などに撮った写真をアップしました。本堂の仏具には、常住寺の草創期を担った方々のお名前が入っています。お寺を建立したとき、それぞれが思いを込めてご奉納されたのが想像できます。


 

 

香炉=お線香たてには、佛立第十五世講有・日晨上人(当時の、乗泉寺のお導師で、常住寺の開基。)のお名前が刻まれています。

 

平成10年。ボクは宇都宮常照寺に出向して一年間ご奉公させていただきました。宇都宮の現在の寺観は、常住寺・恩師日泰上人が、宇都宮を兼務されていた期間に建立されたものです。ですから、宇都宮常照寺は、常住寺とよく似たところが随所にみられます。本堂の五具足も全く同じ品物です。ご回向の納骨台も常住寺とまったく同じもの。両寺院とも、日泰上人がお品を選んでいらっしゃるんですから、当たり前と言えば当たり前ですが、「おー!。お揃いなんだー。」と感動したものでした。そして、宇都宮の、香炉のご有志者名は「石関民子」と刻まれておりました。日泰上人・大奥様のお名前です。

ボクは宇都宮が好きでした。赴いてすぐ、宇都宮という土地が好きになったのです。初めて来たのですが、懐かしい思いが湧きおこり、なんだか郷愁を感じました。恩師のご因縁を頂戴しているのか、過去世からのご因縁なのか、本当に不思議な感覚でした。当時の宇都宮常照寺のご住職・花前日悠お導師と奥様には、本当に可愛がっていただきました。奥様は3度の食事をすべて手作りして下さいました。このご恩はずっと、忘れることはありません。

弟子をもつということ。寺院に所属のお教務さんができるってことは、衣食住の心配などもでてくるということ。これは、住職ひとりが心得ていても、どうにもなりません。協力者がいて、親身になってご奉公させていただく者ができて、はじめてお寺が回ります。随ってやってくれる人が集う。一つのチームになってやっていく。そのリーダーシップがとれれば、人が増え、喜びが増し、勇ましく精進する人が増えるのでしょう。また、自分の取り分を削って分け与え、それが2人3人と増えると本当に大変ですが、そうやって戦力が増えていく。弘通とは分け与えることでもあり、養い、慈しむことでもあるのでしょう。がんばらねばならない。


 ご尊像の台座には、杉山さんのご家族のお名前。当主は大居士をいただいてます。常住寺には、昭和の高度成長期の時点ですでに、大居士授与者が二人いました。王子から東十条にかけての大親分・高橋重蔵さんと、写真の台座をご有志された杉山六雄さんです。杉山さんは、本山の境内に建っている元・学寮の設計建築に携わりました。

 


 ご乗台の正面にある大過去帳の見台には、「日本橋・第61教区」と、したためてあります。ご有志をいただいた経緯は知りませんが、おそらく、日泰上人が乗泉寺のお受持をいただいてた時代のご信者方からの御有志かと推察します。


お塔婆たてのご有志者は、豊島 宗さん金子常太郎さん。

昭和52年の9月ごろ、当時、小学3年生だったボクは、お導師に起こされて5時30分に本堂へ参りました。お講師方が朝のお給仕(本堂のお掃除)をされており、いっしょにさせていただくようにと命じられました。はじめての本堂お給仕は、五具足のおみがきでした。日晨上人のお名前が刻まれたお線香たてからおみがき申し上げ、燭台、花器、置き灯籠の順番でおみがきをさせていただきました。そのあと、お供水さんの水回りのおそうじをさせていただきました。金子常太郎さんは、ご生前は毎日、朝6時の開門参詣をされていました。ちょうどお供水さんまわりをやっている時に金子さんがお参りにみえて、ボクの姿を見るなり一言いいました。

「きよすみ君、今朝はどうしたんだ?」「今日からお給仕始めるのか?」「まぁ。どうせ三日坊主でおわるんだろうなー。がっはっはー。」

こんな感じで豪快にからかわれたのですが、実を言いますと、この日は無理矢理おこされて本堂に出てきただけで、翌日も続けてやるつもりなど更々ありませんでした。ですが、金子さんにからかわれたのが悔しくて、よし、明日からも続けてやると思って、朝おきを続けました。これが、小僧が見習いをはじめるきっかけです。金子さんには感謝しています。金子さんの一言がなかったら、ボクはきっと、翌日から起きていなかったでしょうから。。。

金子さんは郵政省の職員でした。毎朝6時の開門参詣をされてからお仕事に出かけます。毎日バイクを使って郵便配達の仕事をするので、毎日の無事をご祈願し、お講師方のご弘通車(バイク)を3台ご有志され、古くなったら新しいのをご有志されるという風に、ついには、ご帰寂される前まで奉納を続けられました。本当にすごい人でした。


お高坏を乗せる台。左右です。

染谷・松村さん。角田さん。長さん。永田さん。須山さん。日泰上人の身の回りのご奉公をされた方。王子と宇都宮、両方でご奉公された方お名前もあります。山田裕子さん常住寺の寺務所の職員でした。やがて、お導師の仲立ちで、田端佛立寺の浜野お導師に嫁ぎました。浜野誠寛師のお母さまです。


こうしてご有志者のお名前を拝見していると、ボクが生まれる前の常住寺の様子が、目に浮かんでくるような感じがします。仏具のどれ一つをとっても、決して安いものはありません。そして、ご有志者のみなさんは、お金持ちだからご有志できたワケではありません。ご宝前をご荘厳させていただきたいというお気持ちが、コツコツ貯めてご奉納されたことでしょう。そして、こうしてお道具の裏にお名前が残るということを、きっと、光栄に、嬉しく思っていらっしゃったに違いありません。ご内陣に自分の名前が記されるということは、そういう志しがある方に限ります。いくら積まれても、だれでもヨシとは、いかない事でしょう。

お道具には、ボクの知らない方のお名前もたくさん記されています。草創期のご信者です。どんなお方だったのだろう?そう思いながら、毎朝毎朝、有志者方々のご回向をさせていただいております。なにも無いところからお寺の寺観を整えるのは、並大抵のことではありません。それを相続させていただいたボクらは、次の世代にしっかりと、ご弘通の道場たるお寺を、発展させて渡さなければ申し訳がたちません。ボクは住職ですが、お寺はボクのものではありません。ご法様のものです。そして、自分の子どもにお寺を相続させるのではなく、ご縁をいただいて、ご法様が選んで下さった人々に相続させねばなりません。お寺を私物化してはならない。住職は自分の損得ではなく、むしろ身銭を切って、損を得と思い、公に立ってご奉公させていただかねばならないのです。ただ、チビどもが立派な佛立教務となって次世代を担ってくれるよう、育てていかねばとは思います。

お道具のご有志者名を眺めているだけで、こんなことを考えてしまいます。ですから、先人たちは、草創期の常住寺をご荘厳されただけでなく、後世の人々にご信心のお手本を残して下さったと言えます。それは未来永劫に亘って、きっと、大きな功徳となってその魂にかえってイクことでしょう。

恩師上人方々の御年回の年。教講の信心が増進して往年の常住寺に迫る勢いを得るのに、先達が残して下さった景色を拝しながら、温故知新で学んで行きたいと思います。

 


7回忌に向けて

2016年02月16日 | 常住寺のご信者さんへ

2月28日。大奥様の7回忌が営まれます。

お風呂で、石けんでを使う。新しいのは四角くて、手触りが良い。ゴシゴシして、泡立てて、手や身体を洗う。

やがて角がなくなり、そして、小さくなる。小さくなると次の石けんを出して、小さくなった石けんを、新しいのにくっつけて使う。

「石けんのお母さんとチビちゃん。」「ホントだ。」

そうやって、お風呂に入れていただき、大事に使い切るのも教えていただきました。

大奥様のお顔を拝すると、石けんの匂いがするようです。

よく、なぞなぞで遊んでいただきました。

夢中になって身体が冷えると、肩まで浸かるようにと、優しくほほえんで下さったものです。


 

写真は、大奥様の7回忌の当日、講堂にならべて、みなさんにご覧頂こうと準備しているものです。

これは、第一会館の上棟式。着工から竣工まで、小出しでアップします。

高橋重蔵さん。吉水幸一さん。中村義男さん。中山又親さん。歴代の局長さんです。

山田正次さんもいます。

斉藤さん、めちゃくちゃ若いです。

長さん。庄村さん。長谷川孝司さん。長瀬さん。村上さん。

亡くなった方もたくさん写ってます。

みなさんの名前の一部をキーボードで入力すると、まだ全文変換で出てきます。

杉山なかさん。田村さん。園部静江さん。近藤フミさん。香月笑子さん。お世話になった方々です。

金子智昭さん。


 

2月28日は、講堂に写真を並べます。

大奥様のご年回の日に、在りし日を懐かしみながら、みなさん一緒にご回向のまことを捧げましょう。


次世代へ

2016年02月14日 | 常住寺のご信者さんへ

2月14日。14時。東神連合の乙お講が奉修されました。

50前後の女性信徒が4名。お子さんが4名。その他、お役中、ご家族あわせて、14名のお参詣でした。

(写真は、前月のお講席。)

次回の甲お講席には、20代の男性ご信者が2名。40代から50代のご信者が6名。

また、お子さんがMAXで9名のお参詣を目標にしてご将引させていただきます。

その他、お役中のお参詣を見込んで、20名ほどのお参詣になろうかと思われます。

一時はさみしい限りの東神連合でしたが、どうぞ、盛り返して、

みんなで元気に信行ご奉公に励んで行ければありがたく思います。


町会 お餅つき

2016年02月14日 | 常住寺のご信者さんへ

2月14日(日)

常住寺の境内にて「東十条6丁目町会」の「お餅つき」が行われました。

小雨がぱらつきましたが、途中からはすっかりお天気になり、

今日は関東でも春一番が吹いたとのことで、暑いくらいの陽気になりました。

町会の範囲はどこでも、歩いても数分で通り抜けてしまうくらいの広さですが、

ここに、600近い世帯が暮らしています。ご近所と言っても、ボクの知らない人がたくさんいる。

ですから、門戸を開いて、お寺が地域の交流の場となることは、とても大事だと考えます。

こんなにたくさんの人が集まってくる。お寺の土を踏んで行かれました。

ボクは、一人ひとりにお声をかけるようにしています。

広いひろい地球上で、一生かかっても会えない人が大勢いる。

そんな中で、ご近所さんはご縁の深い方々です。大事にしなくちゃ。

子どもたちの元気な声が聞こえます。なんだか嬉しくなります。

今年から、同年代の、PTA時代の方々が大勢、町会のお役を受けました。

ウチのかみさんも、今年から町会のお役をいただき活動しています。

地域の為にみなさんと協力して、愛する東十条6丁目の平和が保たれるよう努めさせていただきたいと言っております。

お寺が、地域の絆を深める場になる。ありがたく思います。

これからも、町会、そして、区役所、警察、そして福祉などと連携して、

より良い町づくりの一端を担えるよう、活動をしてまいりたいと思います。