清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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ご教歌 福をとる手には欲をばはなせとよ わが思ひとはうらうへにして

2016年11月08日 | ご法門
【 金八先生の名言 】





(1)
生きるというのは人に何かをもらうこと。
生きていくというのはそれをかえしていくこと。

(2)
立派な人にならなくてもいいの。
どうか、感じの良い人になって下さい。

(3)
正しいという字は「一つ」「止まる」と書きます。
どうか一つ止まって判断できる人になって下さい。

(4)
何でも謝ってすむことではないけれど、謝れない人間は最低だ。

(5)
他人を責める前に自分を大きくしなさい! 
他人をうらやましいと思う前に、自分を育てなさい。

(6)
貴方が言葉を覚えたのは、悲しみ語るためですか。 
どうか何度も泣いてください、うれし涙に出会うまでは。

(7)
相手の身になって考えられる人間になってください。 
決して損得だけで物事を考える人間になるな! 
それらのことが君たちの人生を築いていくひとつひとつの礎になっていくんです。

(8)
努力をせずに欲望を満たそうとする。
そんな人間にはどうかならないでください。
いや、そういう人間をどうか憎んでください。
努力する人間を心からどうか、愛しいと思ってください。
そして不正を許すな。
苦しむことをどうか愛してください。

(9)
棚からぼたもち、楽して生きる。
そんな人生は、世の中に転がっていません。
頭も使って耳も使って、目も使って、口も使って、手も足も全部使って、人間は毎日毎日生きていくんです。

(10)
幸せになろうと思わないで下さい。 
幸せをつかみに行って幸せをつかんだ人は1人もいません。
幸せは感じるものです。





金八先生の名言を拾いましたので、あつかましく転載します。
こころに響く言葉の数々。ありがたく思います。
 
「幸せをつかみに行って幸せをつかんだ人は1人もいません。」
 
これなんかは、もう、仏教の教えです。

ご教歌 

福をとる 手には欲をば はなせとよ  わが思ひとは うらうへにして
 
幸せをつかむためには、欲を、手から離して、善根功徳を積むべし。
お寺で、(からだをつかって)(時間を費やし)(喜んでお供えをする)の功徳を積むのです。
損して得とれ。他によくすること。

うら‐うえ〔‐うへ〕【裏表】

裏と表が入れ替わること。あべこべ。反対。
裏と表。
前後・左右・上下など相対する物事の両方。あちらこちら。

よしやろう。そうだ。なんて思ってても、身近なところで、生活の1場面1場面で、実際に「欲を手放す」というのは結構むつかしいことかもしれませんね。強欲なワケじゃない。ごくごく普通に生きてる。でも、マイナスのご因縁が付いちゃってて、それを払拭しなくちゃならない。その方法は、意識して、確実に、功徳になることを行っていくのが大事です。お参詣して、時間も手間もお金もかかる。だけど、功徳を積もうと励むのです。

こうなりたい。ああしたい。という願いが強くて、周りが見えないのではつまらない。しかも、本人はそんな風だなんて自覚はなかったりする。人って、そんなもんじゃないでしょうか?だから、ごく普通に生きてる中でも、実はマイナスの方向に、ご縁が結ばれちゃってるって思ってるくらいでちょうどかも知れませんね(笑)。だったら1つ、その罪科を消滅する方に動いてみようと考える。そして、その方法は、ほとけさまが教えて下さったように、お題目を唱え重ねていくんです。そして、さまざまな場面で、損して得とれというような心持ちで歩んで行くんでしょう。


人を恐れず、勧め励ます人

2016年11月04日 | 学び ・ すすめ
先般、「第五支庁報・平成28年 秋号」の巻頭言を書かせていただいたので、それをそのまま、記載しました。この文章のタイトルは「人を恐れず、勧め励ます人」です。読んでいただければ分かりますが、ボクが大学一年生(18歳の夏)時の体験談です。ですが、この文章の主人公はお師匠さまです。そう思って読んでいただければ、本稿の意図を感じ取っていただけるんじゃないかと思います。しみじみ書きましたが、実は強烈なメッセージが込められています。どこに向けて?(笑)





昭和61年。夏休み限定であったが毎日、ご信者宅にて詰め助行をさせていただく事になった。得度5年目、初めての受持を賜った年の事である。

助行先は高齢なご婦人のひとり暮らし。ご自宅は古い木造平屋、床は抜け落ちそうで、窓は隙間があり、扇風機もない室内はもの凄い湿気と暑さで、ここに住んでいては体力を失ってしまうのではないかと心配するほどであった。ご宝前のすぐ脇には、ご法様の方に頭を向けて、久しく万年床となっているであろう煎餅布団が敷かれていた。

このご信者は、婦人会常任として連合婦人会を先導していた。恰幅がよく、声が大きく、凜とした雰囲気と優しいまなこが印象的であった。そのお姿を、まだ子どもだった頃の小僧は、高く見あげて頼もしく拝見していた。大変かわいがって頂いた。お寺の顔であり菩薩のご奉公者であった。それが、その頃のお姿が想像できないくらい別人のようにやせ衰えていたのに大きなショックを受けた。そして、連日のお助行が始まった。

こういうご奉公は、当たり前だが、気がつかなければ行われることはない。また、「他人さんの家の事情だから、余り立ち入らない方がよい」とか、「お年だからそっとしておいてあげよう」とか、尤もらしい事を言い合って結局何もナシという結果になってしまう事も充分に考えられる。クレバーな信心の典型と言えよう。そこを、ご奉公できるようにとお師匠様がご指示下さる。躊躇している教務部・役中を叱咤激励して、一人のご信者がご利益をいただけるようにと、「お勧めする側のご奉公者」をご指導下さって、事が進んで行ったのである。こういうご教導の連続で、常住寺は御弘通を伸ばしたのであり、また、世間を舐めたような学生であった小僧にさえ、功徳を積む機会を与えて下さったのである。

以降は毎日、夕方になると厨房のおばちゃんがおにぎりを握って、お新香と教務部の夕食と同じおかずを少々添えたお弁当を作って下さった。それをお供水さんと一緒に持参し、お線香一本のお助行をさせていただき、お看経が終わってから、一緒におにぎりをいただいた。前述の通り、部屋は蒸し暑い。小僧はネクタイをしめて上着も着ている。毎日汗だくであった。おにぎりがのどを通らない。しかし、一緒に食べてこないと帰山してから報告に上がった時にお叱りをいただく。仕方がないから毎日、無理矢理おにぎりを頬張った記憶がある。お導師は、食事がのどを通らないご信者さんが、少しでもお仏飯とお供水を口にできるようにと願って、「一緒に食べてこい」とご命令下さったのであった。そしてご自身もこまめに、昼間の内に巡回をされた。

お助行は夏休み一杯続いた。学校が始まっても続けてさせていただくようにとご命をいただいたが、学校が遠いという理由で断ることができた。非道い話しである。ただ抑も、その頃このご信者は、既に自宅でひとり暮らしできる状態ではなかった。お導師が親戚に連絡をされ入院することになった。そして一年一月経った日に訃報が届いた。悲しかった。もうお年だったので寿命だと言われた。その通りであろう。しかし、止めどもなく涙が流れた。

当時、思いを込めてご奉公に当たろうなどと考えもしなかった木偶の坊が、お導師の厳しいご教導の元で何とか、ご奉公らしい事をすることができた。真似をすると身体が覚える。それでも屁理屈が先行していたが、ご薫陶をいただき、お側にいるだけで心や所作を習っていたと思う。だから、お側でお仕えできるのはとてもありがたい事だったのだと、今頃になって思い返している。

いま、そんな愚かなモノが住職のお役を頂いている。やがて次の世代のお講師ができるであろう。そんな時に、「あそこは、師匠にも師匠が必要だな」などと揶揄されないよう信心を磨かねばならないと、ご薫陶を思い出しては、常々懺悔改良の日々を送っている。