【英軍将兵422名の命を救った帝国海軍中佐 いまも英米で称賛】というタイトルの記事を読みました。
戦争中に、海で溺れて死にかけていた「敵国(イギリス)の軍人」を救助し、手厚く保護したという内容です。
海の男の精神、人命を第1とする行動に頭が下がりました。
心に感じ入ったのは、
「帝国海軍水兵たちは嫌がるそぶりを全く見せずむしろ暖かくケアしてくれた」
というところです。
422名もの敵兵を、わずか120名で救助しました。
しかも、艦長のみならず120名の海兵全員が、敵兵を進んで救助し、そして、手厚く保護しました。
戦争は、したくてやっているのではない。
私心を持たず、公に生きる軍人の凛とした姿を想像しました。
以下、本文を掲載します。
元・英国海軍大尉で戦後外交官として活躍したサムエル・フォール卿(当時89歳)は
埼玉県川口市、薬林寺境内にある工藤俊作海軍中佐の墓前に車椅子で参拝し、
66年9か月ぶりに積年の再会を果たした。
フォール卿は大戦中、自分や戦友の命を救ってくれた工藤中佐にお礼を述べたく、
戦後、その消息を探し続けて来たが、関係者の支援の結果
ようやく墓所を探しあてたのである。
フォール卿はこの直後、記者会見で、
工藤中佐指揮する駆逐艦「雷(いかづち)」に救助され厚遇された思い出を
「豪華客船でクルージングしているようであった」と語った。
これを実現させたのは、何としても存命中に墓参したいという本人の強い意志と、
ご家族の支援があったからである。
「我々家族は、工藤中佐が示した武士道を何度も聞かされ
それが家族の文化(Family Culture)を形成している(家訓・家風)」とさえ語った。
また護衛艦「いかづち」(4代目)艦長以下乗員多数が参列した。
まさに敗戦で生じた歴史の断層が修復される瞬間であった。
第二次大戦中、昭和17年(1942年)3月1日午後2時過ぎ、ジャワ海において
日本海軍艦隊と英国東洋艦隊巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」が交戦し両艦とも撃沈された。
その後、両艦艦長を含む乗員420余名の一団は約21時間漂流した。
加えて灼熱の太陽、サメの恐怖等で衰弱し生存の限界に達しつつあった。
中には絶望し劇薬を飲んで自殺を図る者さえいた。
日本海軍駆逐艦「雷」は単艦で同海域を哨戒航行中、偶然この集団を発見した。
「左30度、距離8000(8km)、浮遊物多数」の第一報でこの集団を双眼鏡で視認、
独断で、「一番砲だけ残し、総員、敵溺者救助用意」の号令を下令した(上級司令部には事後報告)。
「日本人は未開で野蛮という先入観を持っていた、間もなく機銃掃射を受けて、いよいよ最期を迎える」
と覚悟したという。
ところが「雷」マストに救難活動中の国際信号旗が揚げられ救助艇が降ろされた。
そして乗員が全力で救助にかかる光景を見て「夢を見ているかと思い、
何度も自分の手をつねった」という。
120名しか乗務していない駆逐艦が敵将兵422名を単艦で救助し介抱した。
勿論本件は世界海軍史上空前絶後の事である。
フォール卿の回想では、
「帝国海軍水兵たちは嫌がるそぶりを全く見せず、むしろ暖かくケアしてくれた」という。
しばらく休憩した後、艦長は英国海軍士官全員に対し前甲板に集合を命じた。
彼らに端正な敬礼をした後、英語で次のスピーチを始めたのだ。
さらに士官室の使用を許可したのである。
その際、舷門で直立して見送る工藤艦長にフォール卿は挙手の敬礼を行い、
工藤は答礼しながら温かな視線を送ったと言う。
平成10年(1998年)4月29日、フォール卿は本件を「英タイムズ紙」に投稿し、
「友軍以上の丁重な処遇を受けた」と強調した。
我が国に賠償を求める動きがあった。
またこの年の5月には今上天皇皇后両陛下が訪英される予定であった。
そこで元捕虜たちは訪英に反対していたのだ。
天皇の謝罪を求める投稿文もフォール卿の投稿文と同時に掲載された。
ところがフォール卿の投稿文によって、これらは悉(ことごと)く生彩を欠いたのである。
米海軍は昭和62年(1987年)、
機関誌「プロシーディングス」新年号にフォール卿が「武士道(Chivalry)」と題して
工藤艦長を讃えた投稿文を7ページにわたって特集したのである。
これは対共産圏輸出統制委員会(ココム)が輸出禁止にしていたスクリュー製造用精密機械を、
東芝の子会社がソ連へ不正輸出し、ソ連原子力潜水艦の海中における静粛性を飛躍的に向上させた事件である。
このような情勢下で米国の対日貿易赤字は拡大しており、
米国民は『安保ただ乗り』と批判し全米で日本製品不買運動が起きていた。
「同盟軍中、最も高いポテンシャルをもつ組織である」(アーレイ・バーク大将)とまで強調したのである。
米国内の対日バッシングはこの結果沈静化した。工藤艦長らの遺産が寄与したものと思われる。
「ニュースポストセブン」が「SAPIO2018年7・8月号」に載った記事を、ネット上で紹介したものを、ここに転載した。
7月1日(日)16:00
常住寺庫裏のご宝前において、青年会お講が営まれました。
青年会の発足準備から、このお講席が営まれるまで、
遠妙寺と妙泉寺の青年会各位がご指導くださいました。
常住寺では、30数年ぶりとなる青年会お講です。
この日は、奉修の2時間前から、妙泉寺の青年会さんがご指導と準備に来て下さいました。
お参詣も、遠妙寺、妙泉寺の青年会方々を中心に、
本寺・乗泉寺、八王子・清流寺、板橋・信泉寺、
千住・立正寺、千葉・唱題寺、神戸・正法寺と、
各寺院から応援のお参詣をいただきました。
地域の学生たち。そして、寺内の事務局ご信者方々にもお参りいただきました。
子どもの頃から、ふすま越しに正座して手をつき、
「清純でございます。失礼いたします」とご挨拶申し上げてから入った「ご法宅」。
恩師ご夫婦がご遷化になって、あるじを失ったこの空間は、長らくご遺品がそのままにしてありましたが、
お講奉修を機に、思い切って大量に整理をさせていただきました。
お洋服やネクタイなどは、お役中方々にお形見分けしてお持ち帰りいただきました。
すっかりモノがなくなってしまいましたが、この日のお講席のご様子を、
恩師ご夫妻は、寂光からご覧になられ、さぞお歓び下さっていることと思います。
(最後の記念撮影。動画も撮って、ティックトックにアップしました。(笑))
(動画は、遠妙寺青年会会員が、手配、撮影をして下さいました。)
暑い夏を迎えました。8月には、青少年の一座が営まれます。
そして、8月には、もう一つのイベント
「東洋大学社会学部・青木辰司教授監修のディベート」が、常住寺でおこなわれます。
地域の福祉活動です。これを機に、お寺の土を踏んで下さる方が増えます。
開かれたお寺。地域の平和を治める役割を果たすべくがんばります。
そして、多くの人々が、妙法の功徳によって救われていきますようにと、ねがって止みません。
随喜の輪が広がりをみせています。ありがたくおもいます。合掌。
このたび、久しく途絶えていた青年会お講が奉修されます。
日時 7月1日(日)16:00
お席 常住寺・庫裏のご宝前
席主 高野正純
遠妙寺と妙泉寺の、お講師と青年会方々にご指導いただき、
常住寺の青年会が再発足の運びとなりました。
おかげさまで、7月1日には、お講を立てることができます。
小川彰孝師、柴田教信師、2ヶ寺の青年会方々、
そして、布教区内の青年会方々には、深く深く、御礼申し上げます。
わが家のご宝前でお講を奉修する。
わが家と言いましても、恩師のお住まい(ご法宅)の
ご宝前をお護り申し上げているので、
いまだ、恩師のご遺品であふれています。
今回のお講席は、祈念すべき第一歩となるお講です。
なので、大勢がお参りできるように、
思い切って整理をしています。
大奥様のお気に入りだった小物。
幼児が手にとっても小さく感じる大きさの、手彫りのくまちゃんたち。
ぼくは幼稚園のころ、このくまちゃんを手にとってよく遊んでいました。
くまちゃんのお鼻の先からお顔にかけて、木の年輪が丸くひろがっています。
この年輪を数えながら、「この木は◯◯歳だったのよ」と、大奥様が優しいお声で教えてくださったのを思い出します。
ネクタイとお洋服。
日曜日の朝参詣(お総講)がおわったら、ご信者方々に、お方見分けすることになっています。
恩師のお名前が書かれたのし。
いつも、余裕をもって、前もって、ご準備遊ばされていました。
何かあったら、サッとお渡しできる。そういう準備の品が、
「木箱(かたま)」の中から出てきました。
お講の当日は、大勢のお参詣をいただけるように準備を進めます。
かつては、廊下からお部屋に向かって、正座をして、
「ありがとうございます。清純でございます。」と申し上げてから入ったお部屋。
恩師のお住まいは、佇まいは変わりませんが、その役割を大きく変えて、
いま、ご弘通の道場となります。
きっと、恩師もお喜びくださることと思います。
さて、もう一踏ん張り、当日までがんばります。(^^)/
、6月3日(日)
常住寺の、夏のお会式、開導日扇上人ご正当会式が奉修され、あわせて、
「常住寺・青年会」の発足式が執行されました。
常住寺青年会発足式のオープニングムービー
(柴田教信師が作成して下さいました。ありがとうございます。)
主導してくださったのは、布教区青年会の担当お講師、遠妙寺の小川彰孝師と
妙泉寺の柴田教信師です。
青年会の立ち上げまで一年。
その間は毎月、大塚・遠妙寺と蒲田・妙泉寺でお講や口唱会などの行事がある度ごとに、
この2ヶ寺の青年会のみなさんが、それぞれご連絡下さり、
その度に、ウチの青少年たちが、2ヶ寺の行事に参加させていただきました。
いつ、どこで、なにをするのか?なにが必要か?
準備から行事が終わるまでの流れなど、すべてを教えて下さいました。
(辞令の下付 と 誓いの言葉)
(お会式終了後、布教区青年会のみなさんと集合写真)
あたたかく迎えて下さり、ていねいに教えていただき、
そして、やさしく励まして下さったと聞いております。
まことにありがたく、深く深く、心より御礼申し上げます。ありがとうございます。
当日、本堂へとつづく階段の中段掲示板には、過去の、常住寺青年会活動の写真が貼られました。
今年の8月19日奉修される第6回青少年の一座の
キャンペーン用に作成された、「忠犬ハチ公」のフィギュアも飾られました。
作成したのは、遠妙寺の青年会にみなさんです。
( 布教区青年会担当講師・小川彰孝師のごあいさつ )
( ご法門は子どもお会式と同じご教歌。内容は青少年向けにしました。 )
ご供養場は大にぎわいでした。
常住寺の「講堂2階」は、近年、様々なシーンに活用されています。
解散前に、正面玄関にて、記念撮影。
前日も、小川彰孝師、柴田教信師は、よる遅くまで準備・打ち合わせをして下さいました。
ホント、寝る時間がなかったんじゃないかと思います。
青年会長の誓いの言葉を聞いて、みなさん何かを感じたのでしょうか?
何人ものご信者方々からお声をかけていただき、「泣けたよー」「こっちも頑張らねばー」と、
仰っていただきました。
意気に感じた。私もがんばるよ!という感じです。
これも全部、小川彰孝師と柴田教信師の、長期に亘るご指導と、お会式プロデュースのおかげさまです。
布教区青年会関係者方々へご恩返しさせていただくためにも、
寺内で力を合わせて、盛り上がりを見せていかねば・・・。
また、まっすぐな信心前が育って行くように、がんばってご奉公させていただきます。
第5支庁報に書いた原稿です。
本日、支庁報が配布されましたので、ここにも記載します。
怨親平等とは、
仏教用語。怨敵と親しい者とを平等にみるという意味。
仏教の根本精神は大慈悲であるから、にくい敵であるからといって憎むべきではないし
また親しい者であるからといって特に執着すべきではなく、
平等にいつくしみ憐れむべきことをいう。
日本では戦いの終ったあと、敵味方区別なく戦死者の供養塔を建立したという例があるが、
これはこの精神の現れとみられる。(ブリタニカ国際大百科事典より)
怨親平等の精神のように、私たち仏立宗門人は菩薩としての生き方を教わります。
菩薩とは、「お題目を弘めて、一切衆生を救おうとする人」です。
すなわち、みほとけの深くて大きなお慈悲を真似ようとする人であり、
慈悲深い心の持ち主だからこそ、菩薩行ができるのであります。
「人々がお題目によって救われていくことを喜ぶ」そういう人ですから、
何とかして唱えさせようと工夫します。
仏立宗門人は須くそういう信心前でありたいものです。
本年・平成三十年は、教化法灯相続つづれ織り運動の初年度です。
皆さん、外に向かってはお教化を、そして、家族にもご信心を伝えようと
一生懸命ご奉公されています。
ぼさつの心で、自分の手の届くところにご利益を伝えようとしています。
「ご信心は一人では成り立たない。」
私は、こんな言葉をよく発しています。
人々を敬って慈しんで歩んでいくのが菩薩だからです。
誰彼の区別なくすべてが等しく救われることを願えるようになって行動してこそ、
ご信心が完成するのだと伝えています。
なので、好き嫌いの区別をしたら菩薩行はできないと思います。
冒頭の怨親平等という言葉は、
この、菩薩の心意気を語るときに、よく引用しています。
「大事な家族も、馬が合わない人も、等しく救われてほしいと願ってこそ、佛立ぼさつでしょ」と、
こんな具合です。
実際、愛娘は目に入れても痛くないほど可愛い存在です。
ご信者さんから「娘さん、可愛くて仕方がないでしょ」と
親しみを込めてお言葉をかけていただくことが間々あります。
ありがたいことです。
しかし、そんな時「ボクは菩薩でありたい」という思いを同時に持つことにしています。
「誰彼の区別なく。全てが救われますように。皆、等しくご利益の恵みがありますように。」
これが菩薩の心意気だと思うのです。
娘だけが可愛いでは、菩薩にしては貧しい感情だといえるでしょう。
近親憎悪という言葉があります。
辞書には
「血縁的距離が極めて近い関係にある者どうし、また、性格の似通った者どうしが憎み合うこと。」と
記載されています。
心理学的には、人はみな自分自身のマイナス面を心の奥底にしまって触れずにいる。
その心の暗部と類似した事物を見聞きすると普段以上に強い憤りを覚えるのだと書かれていました。
ご信心ではこういう様を罪障と呼ぶはずです。
ご奉公させていただいている者同士、同じ心の交わりで協力してご弘通に気張ります。
そんな中、ちょっとしたボタンの掛け違いや、場合によっては我慢のこころが沸き起こって
それがきっかけですれ違いを起こしてしまったとしたら、これは残念な事です。
本来、忌み嫌うところは謗法ですから宗門外にあると言えるでしょう。
しかし、敬いや慈しみがぼやけて、大事な人たちが誰なのか、
守るべき人は誰なのかが分からなくなると大変です。
ご法さまの深い深い慈しみの中で、ボクらは救われてゆきます。
菩薩はそういう大慈悲心を真似るのです。
ですから、全ての人を大事にしてご奉公させていただくべきで、
みんなが、不安なく、安心を得て、夢と希望をも得られて進んでいけるとしたならば、
きっと、もっともっと、ご弘通は伸びゆくことでしょう。
人を蔑ろにしたり憎んだりしてしまったら、本当につまらない事です。
人はかけがえのない宝です。
特に、ご弘通を志す人は全て、そういう存在です。
そう銘記して、全てが救われることを心から祈って、
高祖日蓮大士ご降誕八百年慶賛
教化法灯相続つづれ織り運動の5カ年間、
ご弘通ご奉公にきばって参る所存です。
先日・5月6日(日)
ウチの別院(常住寺には、埼玉・上尾に別院があります)でお会式を奉修させていただきました。
ご法門は、こころの中の「ほとけ心」や「闇のこころ」について、お話しさせていただきました。
自分の中に、色々な自分がいます。
目線や立ち位置で、思考が大きく変化する。
置かれた環境で、モノの考え方が変わります。
よい信心前の人に囲まれれば、功徳を積もうとする良き信心前が芽生えます。
果たして、自分は、いま、どこを向いているか。
そして、他人に、どんな影響を与えているのでしょうか?
自分の言動が、人に影響を与えるなら、ご法門も、伝え方で大きくかわります。
上尾別院のお会式では、勇ましく説こうと思いました。だけど、優しく。
義は強く、こと柔らかに・・・です。
乗泉寺に、ボクの尊敬するご信者さんがいます。九州ご出身の女性です。
今回は、このお方のしゃべり方をイメージして説きました。
ようするに「ものまね」です。
但し、ふざけるのではなく、雰囲気やトーンをまねてみました。
すると、なんだか、慈しみの心が深まったような感覚に包まれました。
不思議ですね。
真似るって、こういう効果があるんだなぁ。。。
そう感じました。
やはり、「ならう」「まねる」というコトが、
ものすごく大事なんだって思えた瞬間です。
よいお手本を真似る。恩師のご信心前をそっくり真似る。
そうやって、良い坊さんになるんでしょうね。
ふざけて不良の格好をしたら、そういう気持ちになっちゃう。
清浄な出で立ちに整えたら、気持ちもそっちを向きます。
おふざけでも
「きらいだー」「ばかやろー」「あっち行けー」なんて言ってたら、
本当に仲が悪くなっちゃうかも知れませんね。
コトバって大事です。
ほんと、思いやりや、感謝、慈しみのこころを、コトバにして伝えたいものです。
4月30日
第5回「東京中央布教区・子どもお会式」が奉修されました。
会場寺院は、常住寺(じょうじゅうじ。ウチのお寺)です。
当日は快晴。
約200名の、大人、青少年、そして子どもたちが集いました。
みんなが思いやりを表して、積極的で、喜びながら、ありがたく、恭しく、
そして「互いに思い遣っていること」を、「喜んでいるよう」に見えました。
それは、大勢の人の善意が集まったってことです。
そのパワーたるや、すごいものです。
そういう集いを執行することができました。
ご教歌
末法は無智なる故に心にて 出来ぬを所作でするが信心
ご指南
まず つとめて まねを ならえ
当日、子どもたちは、ご教歌の教えのとおり、大人がよろこんでいるのを、自然に真似てました。
いや、子どもたちが喜んでいるのを見て、大人が随喜したのかも知れません。
なので、「子どもから教わる」っていうのは、そういうことなんですね。
そもそも、よい方向とは逆に流されやすいのが凡夫です。
だけど、ぼさつ心を持った人が大勢集まったると、
功徳を積めるような言動が連鎖していきます。
今日も、まさに、そのような空気でした。
「人を思い遣ることができている自分を嬉しく思う」
「こういう心を持った人が、目の前に大勢いることを喜ぶ」
そういう、たがいに、たがいを敬う雰囲気で満ち満ちていました。
それを、子どもたちは肌で感じて、持って帰ってくれたと思います。
この日のイベントは大成功でした。
みんな、慈しみ深い「ぼさつ」です。
このあたたかな思いが、広くに、多くに、
そして、次の時代にも伝わっていきますように・・・。合掌。
4月20日。
大塚の遠妙寺さんで、子どもの居場所・子ども食堂が始まりました。
当日、様子を見におじゃましました。
短期間でよくぞここまでと思うほど準備万端でした。
町会、民生委員、学校、地域の支援団体、遠妙寺の方々などがスタッフとして
名を連ねており、にぎやかに、なごやかに、そして全てが整ったご様子で
運営されていました。素晴らしいです。
豊島区の社会福祉協議会の方々ともごあいさつさせていただきました。
コミュニティソーシャルワーカーのお仕事は、善意と善意をつなぎ大きな力に
仕立ててくれます。本当にすばらしい活動です。
常住寺でも活動をしています。
一足お先に、ボクらのグループは活動を始めて、はや17ヶ月。
北区で第一号となった学習支援教室と、子どもの居場所(食堂)です。
準備期間を入れると、まる27ヶ月の月日が経ちました。
地域にが輪になって、たがいに支え合う社会。
そんなイメージで、行政が働きかけてくださいます。
豊島区と北区。おとなりのよしみで、何かと協力できたらいいなぁと思います。
そして、もうしばらくしたら、板橋区でも、宗門内の寺院が主催する新たな団体が動き出します。
北区の中では子ども食堂ネットワークがありますが、佛立の寺院間でのネットワークも
いま、広がろうとしています。
ますます、いつくしみ、思いやり、まごころの輪が、地域に広がりますように。。。
4月30日(祝) 11:00 ~ 14:30
第5回目となる、東京中央布教区・子どもお会式 が、奉修されます。
会場寺院は、ウチのお寺・常住寺です。
ボクらの任期中、最後の「くんげ会(こども会)行事」です。
振り返ると、平成21年・秋に、当時の布教区長・妙泉寺のお導師 柴田日賢上人ご発声のもと、
子ども・青少年の為の行事がスタートしました。
平成22年度で発足準備をし、平成23年度には、第1回目のファミリーキャンプを開催。
平成24年には、第1回目の子どもお会式を奉修させていただきました。
明日・4月28日は高祖立教開宗記念日。あさって・29日は布教区の総会。
そして、30日に子どもお会式と、行事がつづきます。
ちょっと準備が追いつかない感がありますが、なんとか無事に執行できるようにがんばります。
飾り付けは、22日に済ませました。本堂の準備も予定通り進んでいます。
本堂の屋上より。写真撮影のアングルを確認です。
ウチのチビは、生まれて初めてのぼった屋上で、ちょっぴり、はしゃいでました。
いつもの風景も、見慣れない角度からだと、なんだか新鮮な感じがするものです。
短い時間でしたが、親子ふたりっきりで共有した楽しいひとときでした。
当日の天気予報は「快晴」。晴天のうちに無事に執行できますように。。。
4月8日(日)
常住寺の例年行事、「街頭募金」が行われました。
60年前。戦後の復興期に於いて、戦災で親を失った子どもたちの支援や、ハンセン病患者さんへの
支援を目的として、常住寺の募金活動が始まり、今日まで、例年行事として引き継がれています。
浮間連合浮間1教区の、衆議院議員・高木けい先生が募金の応援に駆けつけて下さいました。
募金の活動場所は、赤羽駅、十条駅、東十条駅の3カ所です。
先生は、すべての募金場所を巡回して下さいました。おかげさまで、より活気がでました。
ありがとうございました。
地元の子どもたちも参加してくれました。
みんな、キラキラと目を輝かせて、いい汗をかいたと思います。
社会に貢献するよろこびを、小中学生たちと共有することができました。
思春期を迎えていますから、はずかしいんじゃないかと察しましたが、そんな心配は無用だったかも
しれません。みんな、募金という社会貢献の活動に誇りを持っているかのような振る舞いでした。
募金で集まったお金は、北区社会福祉協議会の全額寄付させていただきます。
かれこれ7年ほど前から、募金活動の経費を差し引きせず、食事代も自弁で寄付させていただいてます。
今年はのぼり(ステ看板)に「北区社会福祉協議会の公式キャラ・あいちゃん」のイラストを
プリントしました。
今回のご奉公者(募金活動の参加者)は、40名。
一人暮らしの高齢者が、さみしい思いをしませんように。
子どもたちがいきいき成長しますように。
障害者が暮らしやすい環境でありますように。
支援が必要な人のところに支援が届きますように。
不安がなくなり、安心が得られますように。
そんな想いを実現しようとしている活動に賛同して、お役に立てればありがたいかぎりです。
3月18日(日)。お彼岸の入りに【 常住寺のお彼岸会 】が営まれました。
常住寺のご供養は毎回、愛情たっぷりの、婦人会の手作り弁当です。
今回はチキンカツ弁当。とてもおいしかったです。
お弁当の包み紙も寺内のお手製です。ステキなデザインでしょ。(^^)/
今回のお弁当は280個つくりました。ものすごい数量です。
でもね、ホントは500個くらい、なくちゃいけないんです。
お弁当の食材は業務用スーパー。
お盛物(おもり・もの。本堂のお供えです。)は足立の問屋さんで購入しています。
ここはスーパーなどの業者用の問屋さんですが、学校の行事でPTAが買い物をする場合などは、
一般の人も購入することができます。ウチも会員登録しているので購入することができます。
お供え。お鏡もち。果物。清酒。ジュース。毎回一通りそろえて、準備に取りかかります。
本堂をご荘厳する。「信は荘厳より起こる」と申します。
キレイなものを、お初を、お供えするのです。
また「香華・灯明」ですから、「お線香や生花のよい香り」そして、
「おロウソク、置き灯籠、吊り灯籠などの(あかり)」などをお供えして、ご荘厳するのです。
当日は厳かに、そして力強く、法要が営まれました。
「声、仏事をなす」と申します。
しっかりと、想いのこもった善きメロディーを奏でるのです。
当日はよいお天気に恵まれました。本当にありがたいことです。
そして、普段は中々お会いできない方々とお会いして、会話することができました。
これもまた、本当にありがたことです。体調など、無理を押しても参る方がありました。
あつい想いに、深く随喜したものです。
お彼岸がおわって一段落ですが、でもまたすぐ、次の行事がやってきます。
いや、行事もそうですが、日常のお参りがメインです。
日々淡々と修行に励みます。ただただ、その連続、積み重ねが大事です。
ここ数年、一生忘れることができない出来事の連続でした。
なぜこんなに続くんだろう・・・。
とびきり嬉しいこと。
死別やそれに匹敵するくらいの悲しいこと。
自分のことばかりではありません。
周囲の人々の、喜怒哀楽にふれる機会がものすごく多かったのです。
嬉しいことにせよ、悲しいことにせよ、いづれにしても無常を感じます。
喜びですら無常を感じます。決して永遠ではないのです。
刹那的なものは必ず苦しみがついて回ります。
なので、世の栄枯盛衰に心奪われることなく、
日々功徳を積むことが大事だと説く「仏さまの教え」が身に染みます。
今日は日曜日。
朝のお参りがおわってからご信者さんも大勢参加しての清掃デーでした。
おそうじが終わってお寺の運営会議。中長期のビジョンを語ることができました。
栄光ある近未来が想像できます。一人じゃできない。だから、信、ですね。
ボクたちなら、きっとできる。必ず成し遂げる。
仏さまの教えを遵守するという【信】と、そして、人を信頼する【信】。
喜怒哀楽の出来事があればあるほど、それに振り回されず、
仏さまの教えを守って、人を信じて、一歩一歩進んでいこうと思うのです。
そういうコトをあらためて意識することができた「今年のお彼岸」でした。
3月11日(日)
大泉学園を拠点に活動している【だいこんブラス】という吹奏楽団の、年に一度の演奏会に行ってきました。
昨年秋に急逝した叔父が所属していた楽団です。
最後のごあいさつの時、団長さんが追悼のコトバを述べて下さいました。
叔父が亡くなってから初めて、大泉の地を訪れました。
生活の匂いを感じるとこみ上げてくるものがありました。
普段はお寺に来れませんでしたが、亡くなる直前はお寺にいました。
お寺のクルマのオイル交換と洗車をしてくれるとのことでしたが、
曇天なので、洗車はまた次回と言って帰って行きました。
いま思えば、あのときは亡くなる数時間前なのです。洗車なんかできるワケないですね。
それよりも、よく、お寺まで参ることができたなぁと、そう、思った次第です。
世の中は一秒たりとも同じ状況は無いといいます。いわゆる「無常」です。
人の命は、本当にはかないものですね。いや、すべての形あるものは、いつかは必ず壊れる運命です。
ひとの心も同じですね。
常に移ろい変化していきます。なので、コトバって大事だと思います。
大事にしよう。仲良くしよう。がんばってやっていこう。
こうやってコトバにして、態度で示すよりほか、真実は存在しません。
大事にしようって思わなくなったら、それでお終いです。
仲良くしようって思わなくなったら、やはり、それでおしまい。
なので、コトバにして、そして行いで表し続けるんですね。
それも、死んだら、今生はそこまで、です。諸行無常の理を痛感する瞬間です。
いま、だれかが情けをかけてくれる。
ありふれた場面ですが、決して当たり前ではありません。
あること難し=ありがたい。のであります。
笑顔をみることができる。これも、ありがたいことです。
些細な日常は、奇跡の連続です。すべて、ご縁というものなのでしょう。
よいモノを向けよう。よかれと働きかけよう。ウソはつきたくない。ズルいことはしない。
そう言い続けて、人は罪を重ねているのといいますが、
そうだとしても、
言い続けよう。そして、態度で示そう。その瞬間しか、真実は無いのであるならば・・・。
【「本当の友だち」がしてくれること 】というタイトルの記事を読みました。
このコラムで、以下の「6項目」が挙げられていました。
(1)厳しい指摘をしてくれる
(2)人の幸せを喜べる
(3)親身になって相談に乗ってくれる
(4)病気のときに心配してくれる
(5)何でも言い合える
(6)何年経っても関係が変わらない
弱っているときに力になってくれる人。
自分のことのように喜べる人。
落ち目の時に寄り添って励ましてくれる人。
数年ぶりに会っても変わらない人。
素のままの自分を見せられる人。
ずっとかわらず、タンタンとつきあえる人。
結婚、子どもや孫ができる。
昇進、独立、転勤。利害関係が変わった。
どんな時でも思いやって、
ススメ励まし、寄り添い、裏切らず、
いっしょにいることを喜ぶ。
こんな関係でいられたらいいですね。
どんな時もかわらず、大事な友だち。
自分が、仲間を裏切るようなことなく過ごせたらいい。
①番目の「厳しい指摘をしてくれる人」なんて、
やり方が難しいかな。。。
同じところを見つめながら、ずっと、ずっと、
手を取りあいながら歩んで行けるなんていうのは、
本当に、有ること難し。
「ありがたい」こと、なんですね。
有るとわからない、なくなると気がつくのでしょうか。
先般、お葬式をつとめました。
亡くなったのは、89歳の男性でした。
友だちがお別れにきていました。
80年間、ずっと友だちだったそうです。
80年!!!
すごいことだと思いました。
「竹馬の友」であり「生涯の友」ですね。
逆に、長渕剛のうたを思い出しました。
うたのタイトルはわかりません。
ともだちがいなくなっちゃった。
気がついたらひとりもいなくなっちゃった。
だけども、おれ、寂しくなんか、ない。
仲良しクラブの、付き合いは、まっぴらさ。
こんな歌詞でした。
ごもっとも。です。
仁・義・礼・智・信
五常を知り、正直に恥じることなく生きたい。
そうやって人に接していくことにしよう。
そして、自分から人に対してアプローチしていこう。
そうやって、ひとつひとつ、大事なモノを育んでいこう。
そうは思ってても、難しいなぁ。
無明の風に吹きさらされる毎日です(笑)。
うら‐うえ〔‐うへ〕【裏▽表】
1 裏と表が入れ替わること。あべこべ。反対。
2 裏と表。
3 前後・左右・上下など相対する物事の両方。あちらこちら。
よしやろう。そうだ。なんて思ってても、身近なところで、生活の1場面1場面で、実際に「欲を手放す」というのは結構むつかしいことかもしれませんね。強欲なワケじゃない。ごくごく普通に生きてる。でも、マイナスのご因縁が付いちゃってて、それを払拭しなくちゃならない。その方法は、意識して、確実に、功徳になることを行っていくのが大事です。お参詣して、時間も手間もお金もかかる。だけど、功徳を積もうと励むのです。
こうなりたい。ああしたい。という願いが強くて、周りが見えないのではつまらない。しかも、本人はそんな風だなんて自覚はなかったりする。人って、そんなもんじゃないでしょうか?だから、ごく普通に生きてる中でも、実はマイナスの方向に、ご縁が結ばれちゃってるって思ってるくらいでちょうどかも知れませんね(笑)。だったら1つ、その罪科を消滅する方に動いてみようと考える。そして、その方法は、ほとけさまが教えて下さったように、お題目を唱え重ねていくんです。そして、さまざまな場面で、損して得とれというような心持ちで歩んで行くんでしょう。